「間宮莉冴記を愛していた」
紬こと菜
遺書
『
幼馴染の遺書に記されていたのは、たった一文だけ。
幼稚園から高校二年生の今日まで、私こと
母の友達の息子であった成のことを、私は気の毒に思っていたものだ…幼稚園の頃から。幼い私には、どうして成が外に出ないのかとか、よく幼稚園を休むのかとか、理由は何もわかっていなかった。でも、いつも家にいる成を子供ながらに心配して、いろいろなおもちゃを持って行くなどしていた。成が入院しているときは、足繁くお見舞いに通った。
成は無口だが優しい。
そして頭がいい。図鑑を読みこんでいるから、昔の私が到底知り得ないような
ことをすらすらと教えてくれた。私は図鑑が羨ましく、母に買ってもらったものの、一日で飽きた。
心から尊敬していた、なんてありきたりな言葉は言わないし言えないけれど、私にとって成は憧れの存在であり大切な友人だったのだ。
そんな成が死んだ。結局、病気は治らなかった。自らの死を悟っていたんだろう。遺書らしきものが私の家に届いた。私宛てで。
思い出す。
「ありがとう、美璃。来てくれて」
「いつもごめん」
「美璃のおかげで暇にもならないんだ」
「でも……もういいよ」
なんでそんな悲しいことを言うのか。
まるで近いうちに死んでしまうみたいじゃないか。
私は当然ながら不満だった。これでは逃げられてしまう。このまま死なれては困る。遠ざけられては困る。
弱音ばっかりな成に、文句をまだ言えていないのに!
誰なの、間宮莉冴記って。成が愛した人。
伝えてあげないといけないでしょ。成の遺言。最期の言葉。これを間宮莉冴記さんに伝えることが、私の使命であるかのように思えてしまう。
探し当てるしかない。
……成の面影と生きた証を、繋ぎ止めておきたいだけかも知れない。
周りで人が死んだのは初めてだった。今は鮮明に思い出される成との思い出も、成の声も、顔も、好きなものも、嫌いなものも、成の死が過去のこととなっていくにつれ薄れ薄れて消えてしまうのかもしれない。私の中の成が死んでしまうかもしれない。私が殺してしまうかもしれない。嫌だ。いやだいやだいやだ。
間宮莉冴記さんを利用してまで、私は成を忘れたくないんだ。
「山﨑さん、急にどうしたの?」
まず私が向かったのは、成の親友だった
彼も元は入院患者であり、成と一緒だった通信制の高校に通っている。朗らかで穏やかな感じなので、成とも気が合ったんだろうと思う。成以外の男子とはほとんど関わってこなかった私も、寒河江くんとなら気兼ねなく話せた。
「……久しぶり。お葬式以来だね。ちょっと聞きたいことがあるの」
「久しぶり。とりあえず上がって。風冷たいでしょ」
寒河江くんの家に来たのは今日が最初ではない。成と一緒に、今まで二、三回訪れていた。一人で来るのは初めてだけど。
寒河江くんが退院したあと、成は何度か一時退院を繰り返した。そして、時折、寒河江くんの家に出向いたそうだ。成が言うには、私以外の人の家に遊びに行くことは今までなかったんだとか。だから寒河江くんを訪ねられることが嬉しいのだと、珍しく笑みを浮かべながら話してくれていた。
靴を揃えた。私の家はマンションだから、一軒家に来ると何だか不思議な気持ちになる。寒河江くんの家はいつも木の匂いがするのだった。遠出ができなかった成はここくらいでしか木の匂いなんて嗅げなかったんだろうかと、ふっと思った。今更、どうでもいいことかもしれない。
「聞きたいことって?」
前にも招かれたから寒河江家の間取りは何となくわかっていた。寒河江くんの部屋は一階のリビングの隣にある。何かあったら親や兄弟がすぐに気づけるように、らしい。寒河江くんはそれを窮屈だと嘆いていた。同調する成を見て、成が感じる病室や家の窮屈さを、ようやくその時私は察した。
「あ、座布団どうぞ」
「ありがと」
和室風な部屋の座布団に私と成は座っていた……と思うと、なんだか泣きそうになった。
「えっと……間宮莉冴記さん、って知ってる?」
「間宮莉冴記?」
「そう。成の遺書に、その人の名前があったの。名前を見る限り女の人みたい」
首を傾げる寒河江くん。寒河江くんも知らないんだ……。
「遺書なんてあったんだ」
「ああ、うーん、遺書っぽい、って感じ。私宛てに郵便ポストに入ってて……。成のご両親に渡そうかと思ったんだけど、断られちゃった」
「文面って聞いてもいいのかな」
「寒河江くんなら大丈夫だと思うよ。今持ってるから、見る?」
「うん」
私はショルダーバッグの中から例の遺書を取り出した。絶対に折れないように、曲がらないように、丁寧に入れてある。開いて寒河江くんに見せた。
「『間宮莉冴記を愛していた』……」
寒河江くんは文面を繰り返す。間宮莉冴記、とまた名前を読んだ。少しだけ空白を経て、顔を上げる。
「それで、この人を探してるんだね」
「そう。伝えてあげたいと思って。でも、寒河江くんも知らないんなら、誰なんだろ……」
病院の、例えばお医者さんとか看護師さんとかではないんだろう。病院内の友達でもなさそうだ。
成と寒河江くんは一緒にいることが多かったから、間宮莉冴記さんの話くらいしていそうなのに。知らないのは少し意外だった。男子って恋バナしないのか?
「芸能人とか?あと、小学校や中学校で一緒だった人?親戚……とか」
「検索したけどヒットしなかった。小中は私と同じだったけど、さすがに全員は把握してないからなー……。親戚にいるかどうかは、成のお母さんに聞いてみる」
何度も何度も、寒河江くんは遺書に視線を落とした。親友の遺したものをしっかり心に留めておきたいんだろうか。ご両親が受け取ってくれないなら、ただの幼馴染の私よりも、一番親しかった寒河江くんに持っていてもらうのがいい気がしてきた。
「この遺書……手紙、寒河江くんが…」
「いや、山﨑さんが持ってて」
少しだけ強い口調だった。
「え……うん、わかった」
「山﨑さんに届いたんだから、山﨑さんが持ってるべきだよ」
断る理由はないから、ぎこちなく頷く。
鳥の雛に触れるように、今にも崩れそうな何かを扱うように、寒河江くんの細くて白い指先が手紙を元のように折った。余計な折り目をつけることなく、ふわりと折った。
「はい、……見せてくれてありがとう」
寒河江くんはいつも丁寧なのだ。お礼だって最後の「う」まで、しっかり息を使う。クラスの騒がしい男子と同い年とは思えないくらい、粛々と生きている。
それは成も同じだった。でも二人でいる時はもっと声が弾んでいて、ああ、同性の友達ってやっぱり、ただの異性の幼馴染とは違うふうに接せるんだなぁと痛感してしまうことがあった。
ただ二人の生き方が時々、地を這うように感じられてしまうのは、病気のせいなのかもしれないのだから、私は手放しに彼らの絆を羨めはしなかった。
「何かわかったら、また来てもいい?」
「もちろん。そうだ、連絡先交換しようか?やっと、って感じだけど」
「寒河江くんが良ければ」
出会って数年だというのに、今になってようやく連絡先を交換する。成を通してしか繋がっていなかった寒河江くんと、お互い一人で顔を合わせるのは、本当の意味ではこれが初めてなような感覚だ。
「お邪魔しました。寒河江くん、またね」
山﨑さんは帰っていった。さらさらのポニーテールを弾ませながら歩いて行くのを、山﨑さんの姿が見えなくなるまでしかと見送った。
俺は山﨑さんに嘘をついた。嘘をついたというか、黙っていた。本当のことに気がついたのに、山﨑さんに伝えなかった。
『間宮莉冴記を愛していた』。
何してんだよ成、不器用すぎるだろ、馬鹿、なんでそんなこと書いたんだよ。
成に打ち明けられたことがある。好きな人のことを。
「向こうからしたら、ただの幼馴染なんだろうけど」
俺が退院する前日のことだった。
「美璃がいたから外が見えていたっていうかさ……、もうちょっと生きたら美璃と同じ世界が見られるかな、って考えてたんだ」
隣のベッドにいる間、俺が何度山﨑さんを見たか、話したか、数えきれない。山﨑さんにとっても、成のお見舞いは完全なる義理や同情だけのものではなかったはずだ。
勝手に、本当に勝手に、俺は二人が結ばれることを期待していた。
もちろんそれはもう叶わないこととなってしまったのだけれど、あの遺書。
間宮莉冴記。そんな人、知らない。
その名前の響きを口にした時、もう一つの名前が頭をよぎった。
山﨑美璃。
まみやりさき、やまさきみり、そんな単純なアナグラムに気づいてしまった。
もしかしたら単なる偶然かもしれないが、「美璃のこと好きかも」となんでもないことのように言っていた成を思い出したら、山﨑さんの名前を組み替えたものとしか考えられなくなった。
「どうせ先に死ぬやつに好かれたって、嬉しいわけないからなぁ」
それを決めるのは山﨑さんじゃないの、と言いたかったのに、あの日言えなかった。
成のご両親も気づいたのかもしれない。だから山﨑さんに持っているように言ったのかもしれない。
どうせ、成の的外れな気遣いなんだ。どうしても遺したくて、でも山﨑さんを縛りたくなくて、あんな、遠回しでめちゃくちゃで、山﨑さんに何も伝えられないかもしれないようなものを書いたんだ。
一瞬、山﨑さんに伝えようと思った。成に少しでも報われてほしかった。
でも……たぶん俺は一生、言わないんだろう。
成が決めたことを踏み荒らさないように。
親友の秘密を守り続けるために。
「間宮莉冴記を愛していた」 紬こと菜 @england
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