情報生命体

 ジーランディア大陸は赤道よりやや南に位置する。年中温暖な気候と瀑布のような豪雨が大陸北部を覆うカナキー大森林を作り出していた。


 その森の奥の奥に孤児院が存在する。なぜこのような秘境にあるのか、子どもたちがどこからやって来るのかはバーバラしか知らない。アオバが知っているのはアオホシ園という名前と昔はこぢんまりとしたツリーハウスだったことだ。子どもがやって来る度に手狭となり、増築を繰り返すことになる。結果、アスレチックのように建物が点在していた。


 母屋へ移動したアオバは森に入る支度をしていた。


 壁に子どもたち人数分の外套が並ぶ。カモフラージュ用だったものが長年使い込まれてドブ色に変色していた。汚れるよりマシの精神で羽織った。


 再び狼に跨り、踏み固められた生活道を駆ける。スコールでぬかるんでいるが、足を取られるほどではない。邪魔な枝木は切り落され、通りやすいように整備されている。切除が難しい張り出した根っこなどは狼が軽快な身のこなしで飛び越えていく。


 ものの数分で温室のガラス屋根が見えて来た。農園というより植物園と勘違いされそうな見た目をしている。


「クソ、やられたな、こりゃ」


 入口の脇のガラスが無残に割られている。穴はアオバが匍匐前進すれば入れるくらいの大きさ。加えて、施錠していない入口を無視しているあたり人間の仕業ではない。そもそも部外者が気軽に来れるような場所ではないのだが。


「また、金がかかるな」


 森に住んでいる以上このような接触は避けられない。むしろ、アオバたちが都市部へ移住すれば解決するのだがバーバラは首を縦に振らない。しかし、不便な生活をあえて選んでいる。アオバにはそう思えて仕方が無かった。


「《ムーン・ウルフ》はここで待ってろ」


 ターゲットとのすれ違いを防ぐため、その場は狼に見張らせてからアオバは温室へ入る。空調が効いているので屋外よりも過ごしやすい。気まぐれに降り注ぐスコールの影響も受けないのでカナキー大森林の気候に適した栽培方法と言える。


 細い通路を挟んで作物が葉や蔓を伸ばす。ブロックごとに育てる作物が切り替わり、奥まで続いている。成長期の子ども達が十数人が暮らすとなると広さとしては心もとない。足りない分や手に入らない肉などは街で買い足すしかない。


「ガサガサ……」


 思ったより近くにいたことからそれほど時間は経過していないのかもしれない。今なら被害を最小限に抑えられる。アオバは悟られないよう身を低くし、葉をめくって隣の通路の様子を窺う。


 小型犬サイズの昆虫が夢中で作物に噛り付く。その度に返り血のようなトマト汁が辺りに飛び散った。


「《オウサマバッタ》か――――」


 農業の天敵といえば害獣と害虫。そして、アバターだ。


 情報生命体などと小難しい名が付けられているが、データを掛け合わせて生まれたキメラに過ぎない。《オウサマバッタ》はトノサマバッタと王様のデータを基にしたものだ。いかにも酩酊した神様がダジャレ感覚で産み落としそうなネーミングセンスをしている。


 アバターの姿形は元となるデータによって千差万別。見張りをしている《ムーン・ウルフ》もアバターであるし、空想上の生物ですらアバター足りえる。


 全てはデータ次第――――。


「――――っ?」


 《オウサマバッタ》は何かを察知したのか、握っていたトマトをぼとりと落として姿勢を低くする。発達した脚で地面を蹴ると作物の壁を軽く越える跳躍力を見せた。


「待て!」


 アオバはすぐに後を追う。しかし、人間の足ではアバターにはかなわない。腕時計型の端末に手を翳す。


「ブランク!」


 音声認識でショートカットコマンドを入力するとホログラムカードがポップアップする。


 Blank Card Device――通称、BCD。データの圧縮と解凍ができる携帯型のストレージ。過去の圧縮方法とは異なり、『洪水オーバーフロー』が再び起こらないとされている。この発明によって人類は危機を脱することが出来たと教科書に記載されている。


 アオバは着地のタイミングに狙いを絞って投げナイフの要領で投擲する。


「グギィ!?」


 カードが《オウサマバッタ》の背に突き刺さると、一時停止したかのようにフリーズする。細切れのデータとなってカードに取り込まれていく。保存が完了するとカードだけが地面に残された。


 アオバはカードを回収すると対角を抑えながらホログラムを引き延ばしてウィンドウサイズを調整する。


┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……

《オウサマバッタ》

┣━━━━━━━━━━{アバタータイプタグ2コスト1クラッシュ2000パワー1500ガード

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……


「ちぇー、《オウサマバッタ》かー。《飛蝗隊ひこうたい》が良かったな」


 BCDの登場によりアバターがいくら束になっても、端末一つで解決できるようになった。女、子供でも扱いやすく、護身用に一人一つ持つのが当たり前の世の中だ。


 享受できる恩恵はそれだけではない。圧縮したカードを解凍すればアバターは使役が可能になる。荷車を引けば労働力になり、火や雷を吐くアバターはエネルギーの代替にもなる。


 アバターに価値があると分かれば経済が回る。カードショップが軒を連ねて客にカードを売る。在庫を充実させたいカードショップは買い取り表を公開する。するとアバターを狩って生計を立てるハンターまで現れるようになった。


 取り込んだデータによって姿を変えるアバターの特性は商品が更新され続けるメリットとも取れた。


 アオホシ園も狩りが収入の大部分を占めている。子どもたちを養っていくには途方もない額になる。それにも関わらす同じアバターをカード化しても入手できるカードは確率次第で変わり、売却金額に関わるとなれば舌打ちもしたくなる。


 どうにか生活が成り立っているのは、カナキー大森林がアバターが発生しやすい土地であること。部外者が足を踏み入れない奥地を独占できていること。条件が幾重にも揃ったからこそである。


 あとは地道にカードを集めるのみ。


「まあ、パンの耳くらいの価値はあるか」


 アオバは《オウサマバッタ》のカードをBCDに収納する。はした金でもこのカードが明日の食事になることを十分に理解していた。役に立たない勉強より優先するべきことはあるのだと――――。

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