天より糸を授ける蟲怪人
トマトスープ
《ねもね》がアオホシ園にやって来る数日前のこと――――
夕刻に差し掛かったカナキー大森林は既に仄暗い。
奇怪なホログラムマスクで顔を覆った男たちが手分けをして草木をかき分ける。
いくら地を這いつくばろうとも見つかるはずないと、木の上から見下ろす影は息を殺して行く末を見守っていた。
捜索隊の一人が首を振る。隊長と思われる男が耳に装着しているBCDを起動する。
その機械を親の仇のように睨みつける。アバターからすれば人間たちが持つBCDは厄介極まりない。カードに触れたら最後、身動きも取れぬまま体の端から刻まれ、悠久に従属せねばならない。
反吐が出る。
この世に生を受けて信じられたのは己の力だけ。そのおこぼれにあやかろうと弱者は勝手に擦り寄って来る。覇道の礎としてお望み通り利用してやる。だが、人間は違う。弱者でありながらアバターの天敵たり得る。そんなものに従うくらいなら死も
「対象ロスト。カード化と同時に自切を計り、逃走した模様です」
『……………………』
どうやら遠くの誰かと通話しているらしい。話までは聞き取れない。
「現状、データを回収しておりますが進捗は芳しくありません。遠くまでは逃げれないと踏んでおりますが、これ以上は野営も視野に入れる必要があります」
『………………』
「ハッ。総員撤収!」
上官の指示に従い、没個性に徹した兵隊は隊列を組んで、その場から去っていく。
気配が失せたところで白い糸をロープ代わりに影は地に降りる。しかし、自切した衝撃で下半身を失い、受け身をもままならない。ぬかるんだ地面へ無様に頬を擦る。傷口からはデータが少しずつ消失しており、視界もだんだんと狭くなってきていた。虫の息という表現がしっくりくる。
「――――忌々しい人間どもめ。よくもこのような姿にしてくれたものだ」
辺りに糸を巡らせ、散らばったデータを集める。しかし、人間どもに回収された部分が無いので、完全とは言えない。一度、初期化して体を再構築しなければならない。
「いずれこの報いは受けさせる。だが、まずは回復を優先せねばなるまい。それまでは手足となる駒が必要だ――――」
全身を糸で覆い、繭の中で深い眠りについた。
◆
「解散!」
「継続です!」
「なにしてるの? あのふたり」
「さあ? 夫婦喧嘩じゃない」
アオホシ園の食堂では人目を憚らずアオバと《ねもね》が口論していた。
「ハンターから追われる心配は無くなったんだから、約束通り契約は解除して本当のマスターとやらを探せばいいさ」
「私はマスターがいいのです。どうか考え直してください!」
アオバはサバサキとの激闘に大変満足していた。《ねもね》との強力関係も後腐れなく終わるかと思いきや、契約継続を申し出されたのである。
ハンターがアバターに迫られる不思議な状況にアオバは頭を掻いた。
「お二人さん。夕食の時間だから続きは外でやってくれる?」
金髪を頭の後ろで束ねた少年が食堂に併設されたキッチンから熟練のウェイターさながらに両腕に皿を乗せて運んできた。ちゃらんぽらんなアオバに代わってアオホシ園を仕切っている影の年長だ。
「おっ、マクワ。今日の飯はなんだ?」
アオバに前に置かれたのはほとんど具が入ってない赤いスープだった。
「また、トマトスープかよ」
「じゃあ、アオバは飯抜きね」
爽やかに死刑宣告を告げられたアオバは慌てて取り繕う。
「食うよ、食う! あー、おいしそうだなー」
主従契約を断られたことにしゅんと肩を落としている《ねもね》の前にも味見用の小皿が置かれる。中には皆と同じトマトスープが注がれていた。
「そんな私の分なんてっ」
「大した量じゃないから気にしないで。それより体のサイズに合うようなものが無くてごめんね」
小皿であっても妖精姿の《ねもね》では片手で支えられないほど大きい。お祝い用の大盃のようである。
「いえいえ、大丈夫です」
「そうだ。アオバ、後でサバサキとかいうハンターの食事も運んでね」
「何でオレが!」
サバサキはDIVEの決着と同時に倒れた。限界はとうに超えていたのだろう。流石にそのまま見捨てるのは忍びないので温室内の物置小屋に寝かされている。見知らぬ成人男性を母屋に上げるのは危険だと判断されたためだ。
バーバラの診断では栄養失調とのこと。カナキー大森林を単身で彷徨っていたのだからしかたない。手持ちの食料も底を突きかけていたので、かなり強引な探索だったことが伺える。しばらく安静にしていれば街へ返されるだろう。
「アオバが一番顔を合わせているし、他の子にやらせるわけにはいかないでしょ」
確かに子どもたちに世話を任せるには荷が重い。トラブルに巻き込むのは本意ではない。
「ケッ、分かったよ」
マクワは仕事に戻り、子どもたちに指示を飛ばす。二台の長机にパンを盛ったバスケットと人数分の食事を手際よく配置していく。
全員が席に着いた頃合いにバーバラが姿を表した。子どもたちの顔を見渡し、アオバに近づいていく。アオバも気づいているにも関わらず、背を向けたまま一向に目を合わせない。
「DIVEで勝ったそうじゃないか」
「オレが簡単にやられるかよ」
「今回は幸運だったと思いなさい。うまく相手の虚を突けたようだが、次やって勝てる保証はないよ。巷ではハンターが襲われる被害が多発していると聞く。あまり調子に乗るでない」
「ハンターが襲われる? なんだそりゃ。ハンターは狩る側だろう」
近くの席に腰を下ろしたマクワが補足する。
「『イルミナティ』っていう組織が関わっているって噂だよ。なんでもハンターを多人数で取り囲んで、お金やカードを全て巻き取るまでDIVEをしかけるんだって」
「何のために?」
「さあ、そこまでは何とも……」
子どもたちからも「こわーい」と声が上がる。
「分かっていると思うが、狩りの時は常に数人で行動して街には近づかないように」
「「「はーい」」」
バーバラは《ねもね》に視線を送りながら端の席に腰を下ろす。律儀に会釈する横でアオバは不機嫌に肘をついた。
頂きますの合掌と共に食事を頬張り、舌鼓を打つ。子どもたちの年齢が低いこともあってか粗相が多い。タオルで汚れた口の周りを拭きとり、飲み物を零せば皆で掃除する。泣き出した子には付きっきりであやした。
「まるで子どもが育児をしているようですね」
「孤児院だからな。ババア以外アオホシ園に大人はいない。自分たちの世話は自分たちでする。ここではそれが当たり前だ。むしろ親の顔なんて見たことないよ」
慌ただしくも微笑ましい日常風景を肴に《ねもね》は小皿に口を付けた。果物のような甘さの後に酸味が口の中で弾ける。芳醇な大地の恵みに思わず言葉が漏れた。
「………………………………美味しい」
「ホント!」
隣のそばかすの女の子が目を輝かして机に身を乗り出す。
「キャロット、危ないよ」
すぐにマクワが宥め、椅子に座らせる。
「このスープ、キャロットがてつだったの」
キャロットは自慢げに語る。まだ5、6歳くらいでしゃべりたい欲が旺盛だ。
「そうなんですか! すごいです」
「なのにアオバはぜんぜんほめてくれないんだよ」
「そりゃ、何度も食べれば飽きるだろ」
パンをちぎって口に放り込みながら答える。
「それでも、おいしいっていうの!」
「このパン、美味しいね」
「キャロット、パンはつくってない!」
頬を膨らませるキャロットが少し可哀そうに見えた《ねもね》は口添えをしてみることにした。
「マスターはトマトの花言葉を知っていますか?」
「トマトの花言葉……? あれは薔薇だのチューリップだのについている奴だろ」
「野菜にも花言葉は有ります」
「そうなのか」
「トマトの花言葉は『感謝』です。命に感謝を捧げて『いただきます』を言うなら、料理を作ってくれた人に『美味しい』を伝えることが感謝ではないでしょうか」
「………………まぁ……ねぇ」
ごもっともであるが、面と向かって言うのは気恥ずかしさが湧いてくる。
「《ねもね》ちゃん……。アオバじゃなくてキャロットがますたーになるよ」
「それは…………」
「はっはー、残念だったな。オレは一向に構わないけど、《ねもね》が嫌だってよ」
「ぶう、こんなののどこがいいの?」
まるで素行の悪い彼氏から守ってくれる女友達のようである。
《ねもね》は小皿を脇に置いて背筋を正した。
「…………それは、可能性を感じたからです。マスターがDIVEしている時、確かな熱量がありました。ただ、時間が経つにつれて冷静になっていく。それは何処か諦めに似ていて。マスターには夢があるのではないですか?」
「…………」
《ねもね》が本気なのは十分に伝わった。だが、即答できない。迷いがあるから言葉を選んでしまう。すると先におしゃべりが割り込んでくる。
「アオバの夢は『わーるどだいばー』じゃないの?」
話を聞いていた一同が吹き出す。
キャロットの口が軽いのは今に始まったことではない。しかし、アオバ本人がいる前でやってしまった。
「アオバ…………」
マクワが取り繕うよりも先にアオバは席を立つ。キャロットは何をしでかしたのかさっぱり分からない様子で周りの顔を交互に見る。
「サバサキに食事届けて来る」
アオバはカウンターに置かれたバスケットを手にして食堂を後にする。《ねもね》はスープを一気飲みしてから後を追った。
「ご馳走様です! 美味しかったです」
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