▼12「妄想」
『今テロリストが来たらどうしようかしら』
唐突に安立さんが不安を浮かべた。
それはあまりにも突拍子がなく、想定したところで杞憂にしかなり得ないもの。
何せ、僕らの交流は妄想から始まっている。人に思考が覗かれているのではという疑心から生まれた遊び。その荒唐無稽な想像こそが、僕と安立さんを今こうして繋いでくれていたのだ。
ならば、教室の中で一度は考えてしまうだろうその議題を避けては通れない。
『やっぱり皆考えるわよねっ』
ノリノリな僕に安立さんは嬉しそうだ。普通なら決して声に出せない妄想だからこそ、共感出来る相手を見つけられた喜びはすさまじい。
それで、まず相手の戦力はどのくらいなのかな?
至高の妄想を仕上げるため、僕は早速情報収集から始める。
『うーんそうね。教室に突入してくるのは3人かしら。外には見張りで2人。それぞれが銃を構えているわ』
ふむ、比較的オーソドックスなパターンだ。動くな、と言って僕たちに銃口を突きつけるところから始まるわけだね。恐らく前側の戸から入ってくるだろうから、先生が真っ先に人質に取られるだろう。
現在は社会。担当は加賀見先生。40代男性だ。どことなく覇気のない人だから、あまり抵抗しなさそう。
『まあ最初の内は言うとおりにするしかないわよね。でもそれとなく文房具を服に忍び込ませるの。後で武器として使うためにね』
それは当然だね。文房具は武器として優秀だもの。※文房具の殺傷能力はいずれも高いものとする。
それじゃあ、文房具だと何が一番強いと思う?
『三角定規、かしら。角で攻撃出来るし、銃弾も弾けるわ』
うん、無難な選択だ。※銃弾は目で追うことが出来、文房具はいかなる衝撃にも壊れないものとする。
確かに三角定規は攻守バランスの取れた万能文具だよね。
『でしょ? それで三戸くんは何が強いと思うのかしら?』
おっと、僕に聞いてしまうかい? 僕は既にこの問いの正解を持っているんだよ?
『へぇ、自信満々ね。三角定規よりも優れた文房具なんて、一体何かしら?』
三角定規が優れた文房具だというのは僕も賛成だ。けれど僕はそれを選ばない。それが優秀な武器だというのは、テロリスト側にも伝わってしまうからだ。あの三つの鋭角は、どうやってもその凶器性を隠し切れないからね。もし持っていることがバレたら、すぐに捨てさせられてしまうよ。
『ふぅん、なるほどね。もっともな意見ではあるようだけれど。ということは三戸くんは、武器と認識されにくいものを選ぶのね』
そうだね。僕なら、液体のりを手にする。
『え、液体のりっ? そんなもの、攻撃のしようがないじゃないっ!』
普通はそう思う。だからこそ効果的なんだ。それにそもそも、何も攻撃ばかりが無力化する手段ってわけじゃないよ?
安立さん、本当の実力者って言うのは、血を一滴も流させずに事態を解決させるのさ。
『み、三戸くんにはそれが出来るって言うの……?』
出来る。僕と液体のりなら、ね。
『そんなに言うなら、どうやって使うのか教えてもらえるかしら?』
どうやってって、そんなの、いつもの使い方と変わらないさ。
『いつもの使い方って……まさか!?』
そう、くっつけるのさ。
人質として集められている隙に、こっそりと床にのりを塗っておく。テロリストが歩くだろう道筋を見極めてね。そのトラップはすぐ作動する。犯罪者って言うのは落ち着きがないものだ。ウロウロしていればすぐに引っかかる。それだけで足は動かなくなるよ。なぜ動けないかも分からない。その真実は自分の足が隠してしまっているからねっ。そして、その困惑しているところへ、更に手のひらにのりを塗り、指同士をくっつける!
『そんなことしたらもう何も出来ないわ!』
ふっふっふっ。僕の作戦は完璧でしょう?
『恐れ入ったわ……っ』
※のり=瞬間接着剤(超強力)とする。
ちなみに、スティックのりじゃぁだめだよ。液体だ。液体なら勢いよく出す事で遠距離にも通じることが可能だからね。だから、僕は常に筆箱には液体のりを忍ばせているのさ。
『……なるほどね。これは盲点だったわ』
驚嘆してくれる安立さんに僕は調子に乗って鼻を伸ばした。思わず顔もにやけてしまう。
けれど彼女は、不意に冷静な思考をよぎらせた。
『でも5人同時は難しそうよね。1人を拘束している間に他の人に撃たれちゃいそうだわ』
そ、そこはほら、銃弾を避けながら……
『避けたら他の皆に当たる可能性があるわ。同時に無力化する必要があるんじゃないかしら?』
……それなら三角定規だって使えないと思うけど。
『ふぅん、あくまでもマウントは取る気ね?』
そ、そんなことはないよっ。
感情的になってしまいそうだったので慌ててブレーキをかける。とは言え妄想をやめたわけではない。僕らはお互いが納得出来る案を更に模索していく。
……それならどうやって複数人の相手を制圧出来るかな。単独ではやっぱり難しいんだろうか。
『そうでしょうね。誰かに協力を仰ぐのが賢明よ。この教室には30人ちょっとも人がいるんだから、多少内緒話をしていてもバレないわ。それで5人集めて同時に無力化すればいいのよ』
そうしよう。それなら5人に液体のりを持たせて……。
『いいや待って。液体のりを持っている人は少数派よ。その点、三角定規なら皆持っている可能性が高いから、確実に確保出来るわ』
確かに、誰もが持っている物を武器にする方が、この場合ではメリットが高いか。これは、一本取られてしまったね。
『ふっふっふー。それでまあ、拘束したテロリストたちから話を聞くわよね』
そうだね。他の仲間がいないかとかだね。
『いや、先に目的じゃない?』
そう? それよりまずは増援を呼ばれないようにとか、他の教室でも同じようなことが起きていないかとかを確認する方が優先するべきだと思うけどな。
『待ってよ三戸くん。何もテロリストだからって悪い人とは限らないじゃない』
おっと? ここにきて明確な価値観の違いが現れたようだ。
でも、テロリストが悪い人じゃないことがあるだろうか。犯罪者だよ?
『いいえ、理由があってこんなことをしたのよ。恐らくこの学校を経営している偉い人にとってもあくどい人がいるの。その人に虐げられた人たちが結託して、状況を改善するためやむなく、教室を占拠したのよ!』
中学校の偉い人って、校長? 数年で変わるような地位の人がそんな企みするかな?
『そ、それはあれよっ。この学校は他と違うのっ。在籍している教師は全て裏教育委員会によって育てられていて心が機械なのっ。実際の権力者は裏にいるのよっ。教師を使って、生徒たちの様子を観察し、優秀な子を引き抜いて洗脳していくの!』
裏教育委員会……洗脳……。
『それで、余った生徒たちは進学も許されず地下に捨てられるの。食べ物は給食の残飯。恋人や友人を奪われた人々は、次第に計画を練って、打倒裏教育委員会を果たすため組織を作り上げたのよ!』
……それは、僕たちも協力するしかないじゃないかっ!
『そうよねっ。けれど裏教育委員会は非道よ。テロリストの話を聞き終えた時、リーダーが突然、銃で撃たれるの。撃ったのは加賀見先生。教師は皆裏教育委員会の手先よ。先生は、クラスの中でも飛び切り優秀な、そうね、佐々木さんを連れて教室から飛び出すわ! 唖然とする皆! その瞬間、残された生徒も構わず外から攻撃が始まってしまう!』
そ、そんなっ、それほどまでに卑劣なのか、裏教育委員会っ!
『ええ、もう空中から爆撃ミサイルよ。校舎は木っ端みじん。皆押し潰されてしまうわ』
くそっ、僕たちは一体どうすれば……!
『けどね、あたしたちはギリギリのところで助かるの。それは、テロリストたちが身を挺して庇ってくれたから。彼らは本当はとても良い人なのよ。始めからあたし達を傷つけるつもりなんてなかった。彼らの犠牲のおかげで、あたしたちのクラスはどうにか地下へと続く隠し通路を使って、地下組織のアジトに到着するわ』
テロリストの人たちは、もう、助からないのか……。
『一人だけ、グループの中でも一番若い人が、リーダーに託されてあたし達を先導してくれたわ。その人は悔しさを語りながら、あたし達に協力を仰ぐの』
勿論、協力するよ! 裏教育委員会は成敗しないと!
『あたし達のクラスは、成績では測れない才能を持った人たちの集まりだったわ。それで、それぞれの得意を生かして新たな作戦を立案していく。あたしはそうね、クラスを指導する役かしら。新リーダーと何度もやり取りをして意見をぶつけ合うの。気づけばすっかり絆が出来て。作戦決行前夜、新リーダーが、最初の占拠の時の恐喝からは想像出来ない優しい笑みで、協力してくれてありがとうと言ってきて、』
……………その人、イケメンですか?
『ま、まあイケメンかもしれないわね。別に顔はどうでもいいんだけど、その人はたまたま城田優似ね。それでえっと、なんだっけ? そう、協力して苦難を乗り越えていく内に、あたしとリーダーが惹かれ合って、いやっ別に惹かれ合わなくてもいいんだけど、えぇっと、そんな感じよっ!』
なんだか最後は誤魔化すようにストーリーが締めくくられた。
それを聞き終えて僕はふむ、と納得する。
やはり、安立さんも女子なのだと。
結局、黒幕を倒すことはどこかへ行って、恋愛的な決着が重視されている。もちろん僕はそれを非難したいわけじゃないのだけれど、ただ、きっと他の登場人物もイケメン揃いなのだろうなぁ、と勘ぐってしまう。安立さんを囲むイケメン集団。その構図を思い浮かべただけでなんだか嫌な気分がした。
『い、イケメンでもいいじゃないっ。三戸くんの妄想にだって登場するのは可愛い女の子ばかりでしょっ?』
少なくとも今回は男ばかりだったけどね。何ならテロリストの顔なんて見ずに終わる予定だったし。
『た、倒したらハイ終わり、ってほど現実は甘くないのよっ。それに相手にも事情があるし、もっと現実は厳しいのっ。だからこそ、乗り越えた時は、決して揺らがない絆が結ばれるのよっ!』
それ知ってる。吊り橋効果って言うんだよね。
『ち、違うわよっ! もっとこう、ちゃんと心を交わし合ってるもの!』
安立さんは言い訳をするが、僕は納得出来なかった。なんと言うか、ずっと胸の中がモヤモヤしているのだ。
きっと、加藤くんや松下くんも安立さんを取り合って争っているんだろうなぁ、とクラスメイトの顔までが妄想に介入する。
『な、なんでその二人の名前がっ。……ってそう言えば、いつか名前を上げたような気がするわね。……三戸くんって、案外ねちっこい?』
ね、ねねねねちっこくないよっ! ただっ、そういう状況に流されるような恋は、すぐに冷めちゃうって忠告しているんだよっ!
『妄想なんだからいいじゃない別に。……それなら三戸くんは、どういう恋愛なら良いと思うのよ?』
不満げだった安立さんの声音が急変し、興味深いとばかりに弾みだす。突然の質問に僕は戸惑ったけれど、聞かれたら思い浮かべてしまった。
どういう恋愛って……日常的な感じ、かな。もっとこう、何気ない中にある幸せみたいなさ。ただ話してるだけでいいんだよ。劇的じゃないけど、相手が特別だからその時間が大切になっていくとか、そういうありふれた……
と引きずり出される自分の理想に、強烈な羞恥が襲った。今挙げた例がまさに、安立さんとの関係から導き出していると気付いて、頭がオーバーヒートする。
『……三戸くんの理想って、今みたいなこと、なのね』
ぼ、僕はそういう方が好きというだけです。
当然、筒抜けな思考は相手にも届いている。誤魔化すためにむしろ開き直って見せるが、変に敬語を使って余計な恥ずかしさを味わった。
『ふ、ふーん。まあ、そう言うのもいいわよね。……そうよね、この時間は、幸せね』
安立さんの方も、僕と似た熱を覚えている。それでまた熱くなる。
それから、お互いついつい思い浮かべてしまうことはあったけれど、どうにかして必死に止めた。まるで逃げるように授業へと集中する。
共に聞こえないふりをして、でも隠し切れない本音が漏れてしまう。
それでも決して考えないようにした。
踏み込まないようにした。
『……ダメよね。現実を見ないと』
僕と彼女。
その間にはどうしたって、線引きが必要だから。
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