急行

 そこには、いつもと変わらずに大量の桜が舞っていた。



「リリィッ!!」



 穏やかな桜の雪景色に、厳しい怒号が響く。



 全く心構えをしていなかったリリィは、その声に肩を大きく震わせた。

 それと同時に、胸の中に苦いものが広がる。



 見れば、声の風格よりも随分と柔らかい印象を受ける少年がこちらへ走ってくるところだった。



「リリィ、これはどういう―――」

「すまない!」



 怒り顔の実が言葉を言い終えるより前に、リリィは頭を下げた。



「完全に私たちの落ち度だ。気付かなかったんだ。朝にはもう……もぬけの殻で……」



 言いながら、悔しさが身にみる。



 自分は、自分より年下ながらもかなりの強さを身につけている実を心の底から尊敬していた。



 女性ばかりのこの屋敷で、実を尊敬する者は他にも多い。



 その気持ちの中に浮かれた要素を含んでいる者もいるが、自分は純粋に実を剣の師として敬っていた。



 だからこそ、実に無理を言って手合わせに付き合ってもらうことも多かった。



 実は自らのことを謙遜していたし、手合わせをめんどくさがっていたが、最終的には手合わせに付き合ってくれたし、自分の甘さを的確に指摘してくれた。



 正直、他の人間よりも可愛がられていたと思う。

 他の人間よりも、桜理を守る者として信頼されていたとも思う。



 だから悔しかった。

 易々と桜理をさらわれて、実の信頼を裏切ってしまって。

 言いのがれなどできないし、言い逃れをする気もない。



(うっ…)



 一方の実は、リリィの反応に言葉をつまらせることになっていた。



 感情のおもむくままに出そうになっていた暴言が、喉元で絡まって気持ち悪くわだかまる。



 実は言おうとしたことを言えない困惑に視線をさまよわせ、結局それ以上の言うことを諦めて、代わりに大きく息を吐き出した。



「……もういいよ。リリィたちの頑張りは知ってるし、今回は相手もそれだけ用意周到だったってことだろうから。」



 こんな風に平謝りされては、こう言ってやるしかない。



 元々リリィを責めるために来たのではないし、彼女だけを叱るのは何か違う気がする。

 とっさに怒鳴ってしまったが、自分もいささか彼女たちへの配慮を欠いていたと思う。



「実…」



 ほっとしたリリィが顔を上げた。

 しかし、実はその時すでにリリィの前から駆け出した後。



 実は足早に、桜の花びらで敷き詰められた地を踏む。

 はやる気持ちを表すかのように、その足取りにはとにかく落ち着きがなかった。



 真っ白な屋敷の扉が見える。

 実はその扉には目もくれず、屋敷の壁の前で大きく跳躍した。



 軽々と屋根に着地し、羽が一瞬触れるかのようにすぐさまそこから跳んで、屋敷の裏手へと向かう。



 地面に降り立った実は、前にそびえる桜の大樹を見上げた。



「話は聞いた。」



 声に滲むのは、苛立ちと焦り。



 本当なら直接ここに移動してきたかったのだが、この辺りは桜理以外の人間が辿り着けないように妨害魔法が働いているので、目的地に定められないのだ。



 それ故に地球にいれば、アティの声も普段は全く聞こえない。



 今回アティの声が聞こえたのは、アティが宝樹石の繋がりから地球にユエを送る際、その短い間だけ運よく声も届けられたからなのだろう。



 頭の端でそう分析しながらも、今は頭が勝手に動くささやかな時間でさえも、苛立ちを煽る要因にしかならなかった。



「桜理はどこにいるの? アティなら分かるんだよね?」



 桜理と魂が繋がっているアティだ。



 アティを介して間接的にしか桜理と繋がっていない自分には、彼女が本当の命の危機に陥らないと異変を察知できないが、アティなら常に彼女の居場所まで分かるはず。



 早く迎えに行かないと。



 気持ちばかりが焦って、もどかしさが空回りする。



 到底、普段の自分らしくない姿。

 それくらい、自分にとって桜理という存在は大きい。

 桜理の危険を前に、普段の冷静さや理性など風前の灯火に過ぎなかった。



 答えを待つ実。

 しかし、そんな実の耳を打ったのは予想外の言葉だった。



「すまぬ。分からぬのだ。」


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