第5話 リンドウ
「城元くん、夏休みは何してたの?」
「バイトバイトバイト墓参りバイトバイトバイト」
「とても青春時代の夏休みとは思えないね」
夏休みを挟んで久しぶりに会うはずの彼女だったが、その光景にもはや懐かしさはなく、むしろ僕に「ああ学校が始まってしまったのか」と非情な現実を突きつけるだけだった。
変わったのは棚の上の花瓶に生けてあるのがリンドウになったことくらいだ。
「じゃあ春原は何してたの」
「ピアノピアノピアノお墓参りピアノピアノピアノ」
「一緒じゃねえか」
「これぞ青春よね」
しゃあしゃあと言いながら、彼女はいつものように英語の問題を解き進めていく。
ちらりとその問題集を覗き見れば、一学期のものよりも明らかに英文のボリュームが増していた。何ページあるんだよその問題。
「ところで城元くんはどうしてバイトがしたかったの?」
「どうしてって」
「お金が欲しいわけじゃないのに。いや欲しいのかもだけど、それが一番じゃないんでしょ? 普通バイトってお金目的に始めるもんじゃない」
彼女の疑問もなんとなくわかった。ただ、なんと言えばいいんだろう。
やってみたいと思った理由はもちろんある。しかしぼんやりとしたそれを言語化したことはなかった。僕はしばらく悩んで、口を開く。
「……自分の価値が目に見えるから、かな」
「価値?」
僕は思考のプロセスをひとつずつ確かめるように言葉にしていく。
「バイトは自分の働きに『お金』っていう価値が与えられる。自分の時間に報酬が支払われる。それは僕の存在を肯定されるってことで、大袈裟に言えば」
そこで一度言葉を切って。
机の上に置いていたコーヒー牛乳のパックに右手で触れた。
「僕は生きてていいんだって、誰かに認めてもらえる気がしたんだよね」
すっかり常温になってしまったコーヒー牛乳を一口飲む。
春原はペンを動かす手を止めて「へえ」と感嘆の声を上げた。
「そんなこと考えたことなかったかも」
「僕も言葉にして改めてわかったよ。他人から必要とされるのってどんな感じだろうなって興味が湧いて、バイトを始めたんだ」
「それで、実際やってみてどうだった?」
完全に手を止めた春原は僕のほうを向いて尋ねる。
僕はストローから口を離して答えた。
「花は綺麗だと思った」
「それだけ?」
「うん。正直あんまり自分の価値ってのは感じなかったな。むしろ僕の代わりはいくらでもいるんだ、って思った」
彼女と目が合う。
その瞳に、僕の言葉はどう映っているんだろう。
「だからやっぱり、自分の価値は自分で決めなきゃいけないんだと思う」
生きる理由とか人間的価値とか、そういうのは誰かに委ねちゃいけない。
僕がバイトを始めて得たのはそんな結論と、毎日のコーヒー牛乳代くらいだ。
「自分で決める、か」
彼女はそう呟くと再びペンを走らせた。淀みなく走っているように見えるが、その速度はいつもより少し遅い。
それから少しして、彼女は筆記体を丁寧に並べながら「でも何で花屋にしたの?」と訊いた。
「クラスメイトが来ないと思ったから」
「それは残念だったね」
「そうでもないよ」
するりと口から出た自分の返事を聞いて、なんだ、と思った。
なんだ。案外僕はこの時間を楽しんでたのか。
「ねえ今度バイトいつ? 遊びに行きたい」
「断っても来るんだよね」
「うふふ」
「笑顔がこわい」
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