第17話 デート(?)1/5

 7月26日(水)11時38分


 夏休み五日目。

 俺は通学路にある公園に来ていた。何かしに来ているわけでもなく、木陰にぽつんと置かれたベンチで一人、イヤホンを耳にはめてスマホで動画を見ている。


 スマホ画面には天母マリア。

 今配信しているのは#マリアのお悩み相談室という企画で、リスナーから寄せられたお悩み相談にマリアが片っ端から答えるというものだ。


 配信を見ていると、つー、と汗が頬を伝ってきた。

 半袖シャツの肩口で汗を拭う。もう何度この動きをやったかわからない。

 今日も今日とてザ・夏って感じの晴天。とにかく暑く、風が吹かないから木陰でも暑さが和らいでいる感じはしない。しかも、真後ろの木でセミが大合唱をしていてイヤホン越しでもミンミンうるさくてしょうがなかった。

 暑いし、うるさいし……イライラする。


 ――また五十嵐くんのところに遊びに行くの?


 今朝、母さんに言われた言葉が脳裏をよぎる。

 母さんは困ったような顔で遠慮がちに言ってきた。


 ――翔ちゃん、最近お泊りとかで行くことが多いけど……。

 ――五十嵐くんのご両親だってお家でゆっくりしたいんじゃないかしら。

 ――大丈夫? 翔ちゃん、向こうで迷惑かけてない?


 迷惑かけてると思う。だから、五十嵐の家に行くっていうのは嘘だ。

 俺は、家に居たくないだけなんだ。


 母さんが天母マリアとして仕事を抱えている一方で、陰キャ高校生の俺は夏休みなのに予定がない。だからといって頑張る母さんを横目にだらだら過ごすことには抵抗がある。それで仕方なく宿題や家事をやって気分を紛らわせていた。


 だけど折角の夏休み、俺だってのんびりしたい。でものんびりしたらしたで、忙しい配信の合間にご飯を作ってもらったときの申し訳なさがハンパないんだ。俺はファンのくせに、家にいるだけで推しに面倒をかけてしまう。


 つまり何が言いたいかと言うと……家の居心地が悪い。この一言に尽きる。


 そういうわけで、ここ数日、俺はなるべく母さんに面倒をかけないように朝から夕方までは外で時間を潰し、夕飯だけ用意してもらう生活を送っていた。朝飯と昼飯はカロリーメイトをリュックに入れて来ているから問題ない。

 もちろん母さんはそんな事情を知るわけもなく、俺が出掛けようとすると嫌そうに眉をひそめ、こう言うのだ。


 ――迷惑かけてない?


「じゃあ、俺はどこに行けってんだよ……」


 吐き捨てるように問うけど、スマホ画面のマリアは名前も顔も知らない誰かのお悩み相談で一生懸命だった。

 炎天下の公園には俺と、蛇口で水を飲んでいるホームレスらしきおじさんの二人だけ。公園に来るたび見かけるからか、毎日同じ服のおじさんに俺は親近感を覚えつつあった。絶対に話しかけないけど。


「ん? あれは……」


 公園の前を横切る女子に目が留まった。黒髪を背中で揺らし、犬耳のような短いツインテールをぴょこぴょこさせながら歩く、きれいな顔立ちの女子。

 美波だ。

 俺が見ていると、ふいに向こうもこっちを見た。笑顔で手を振ってくる。美波が小走りでこっちに来たので俺はイヤホンを耳から外した。


「やっほ! 通りかかったら秋山くんが居てびっくりしちゃった。何してたの?」

「えっ……いやー、何も」

「へ? こんな暑いのに、公園に居ただけ?」


 ごもっともな疑問だけど、マリアの配信を見てたと言ったところで、「なんで家で見ないの?」と聞かれるだけだろうし言わなかった。

 美波はリュックをベンチの端に置くと、俺の隣に腰を下ろした。遠足に行くような大きなリュック、手提げ鞄まである。


「美波はどこか行く途中か?」

「そうそう。行き先は決めてないんだけどね。ちょっと、家出するとこ」

「へえ、家出…………えっ、まじで⁉」


 そんなコンビニ行くみたいなノリで言う……?


「昨日の夜さー、ママと喧嘩しちゃったんだよね……」


 美波は口ごもりながら、いきさつを語った。


 昨日の夜、美波が配信を終えると、母親は配信中の声がうるさいと怒鳴ってきた。

 対する美波は、防音個室で配信しているからうるさいはずがないと反論した。

 その防音個室は、ホームセンターに売っている板材に防音シートを貼り、音を吸収しやすい素材で覆った、美波の自作とのこと。そのため防音性能はまずまずで、大声を出すと二階にある美波の部屋から廊下までは声が漏れてしまうが、一階のリビングには届かないらしい。美波が父親に協力してもらって確かめたと言うのだから間違いないだろう。

 だが美波の母親は、リビングに居てもうるさかったと言ってきた。

 結局、二人の言い分は平行線をたどり、母親の「うるさくするなら配信やめさせるよ」が美波の逆鱗に触れてしまった。


「……で、今に至るわけか」

「あんなの言いがかりだもん。どーせ、夏休みに入ってから配信ばっかしてるあたしのことが気に入らなくて、ちょっと注意してやろうと思ったら反論されちゃったから嘘ついてでも丸め込もうとしたけど、そのせいで引くに引けなくなった……そんなとこっしょ」

「そこまでわかってるなら家出しなくてもよくないか?」

「よくないよ! ……配信やめさせるって言うなら、あたしは絶対引かない。好きなこと禁止しようとすれば思いどおりになるって思われたくないもん。VTuberは好きなことだから、弱みにはしたくない」

「……本当に強いよなぁ、美波は」


 俺は呆れ半分に苦笑する。

 絶対に口には出さないが、美波の母親の気持ちが俺にはわかるような気がした。配信者じゃない俺が母さんに不満を持っているように、美波の母親も娘にいろいろと言いたいことがあるに違いない。

 夏休みに入って、俺たち子どもと親は共有する時間が無駄に増えすぎた。

 そのせいで日頃の鬱憤が暴発することになったんだ。俺が不満を言えずに家から逃げたように、または不満をぶつけられた結果として美波が家出したように。


 ……親子で仲良くなんて、もうそんなことできる年じゃないのかもしれないな。


「あーあ。でもどこ行こうかなー。おじいちゃんとおばあちゃんは旅行で北海道だし、家出したのはいいけど行くとこないんだー」

「美波なら友達たくさんいるだろ。泊まらせてもらえばいいんじゃないか?」

「夜、配信したいんだー。あたしのV活を知ってるの秋山くんだけだから他の子には頼めない。説明してもさ、『なんでそんな頑張っちゃってるの?』って冷めた目されたらヤじゃん……そしたらあたし、我慢しなきゃってわかってても、その子のこと嫌いになっちゃうから」


 美波は横に置いたリュックを撫でながら言う。なるほど、そのリュックや手提げ鞄には配信機材が入っているわけか。


「つっても、うちはダメだしなぁ……」


 女子が男子の家に泊まるのは、やましい理由がなくてもマズいだろう。おまけに我が家には母さんがいるわけだし、気軽に友達を泊めてうるさくするわけにもいかない。

 俺が美波の宿について考えていると、


「ねぇ……どっか涼しいとこ行こーよぉ……あづぅい……日焼けイヤぁ……」


 いつの間にか美波が干からびていた。気温は35℃。俺は既に慣れてしまっていたけど、それでも喉は乾く。

 ひとまず、俺たちは炎天下の公園を出ることにした。行き先は決めてない。

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