第6話 お風呂配信1/3

 6月19日(月)17時52分


 俺は片目をつぶって、シャンプーボトルの中を覗き込んでいた。


「残りは……半分もない。念のため補充しておくか」


 風呂場を後にして脱衣所へ。洗面台の下の引き出しを開け、詰め替え用シャンプーを取り出した俺は、風呂場に戻ってボトルにとぽとぽとシャンプーを注ぎ足した。

 続いてブラシを手に取り、浴槽をごしごしと擦る。洗剤を付けて擦っているのに、ぬめぬめした汚れが落ちない。どうなってるんだ。


「翔ちゃん?」


 汚れと熱いバトルを繰り広げていたら、母さんが風呂場に顔を覗かせた。


「どうしたの、急にお風呂掃除なんかして……。最近お洗濯や洗い物も手伝ってくれるし。お小遣い足りないならあげるよ?」

「ちげぇよ。とにかく、これから風呂掃除は俺がやるから母さんは仕事に専念しろ」

「あぁ……! 翔ちゃんがこんなに立派になって……っ! もう総理大臣よりも立派!」

「総理舐めすぎだろ」


 言い返したいけど、今まで手伝ってなかっただけに反撃の言葉が見つからない。

 こうして俺が風呂掃除をしているのは、美波の前で誓ったように母さんのアイドル活動を陰からサポートするためだ。家の雑用を俺が引き受ければ、母さんは今までよりも天母マリアとしての活動に集中できるし、配信で疲れたときに休む時間も増える。

 だから、ファンとして頑張らないと。

 俺がブラシでごしごし擦っていると、母さんが隣に来て屈んだ。


「ありがとぉ翔ちゃん。お母さんね、すごくうれしいっ。ちなみに、浴槽のぬめぬめした汚れは重曹をつけたスポンジで擦るとよく落ちるのよ?」

「そうなのか……」


 見れば、母さんの手にはスポンジと重曹のボトルがあった。


「まずは、スポンジを水で濡らしま~す」

「いいよ母さんは。俺がやるから、あっち行ってろよ」

「えぇ、あっち行ってろはひどいよぉ……」


 ウッ……。


 悲しそうに見つめられると罪悪感が凄まじい。別に母さんのことが嫌いなわけじゃないし、なぜかこういう言い方になってしまうだけなんだ許してくれ。


「じゃあ最初だけ。最初だけお母さんがするから、次から翔ちゃんにお願いね?」

「……お好きにどうぞ」


 母さんは「よぉし!」とノリノリで腕まくりをする。ゆったりとしたTシャツに足を大胆に出したデニムのショートパンツという部屋着で、濡れたら困るだろうにお構いなしだ。

 濡れても知らねえぞ――そう思った直後。

 母さんが蛇口をひねった瞬間だった。


「うわっ⁉」「きゃあっ!」


 バシャァァ――ッ、と俺たちにシャワーの水が降り注いだ。

 母さんが慌てて蛇口を閉める。切り替えバルブが逆になっていて、蛇口ではなく壁に引っかけてあるシャワーヘッドから水が出てしまった。最悪だ、着替えないと……。


「ひゃ~……。ごめんね翔ちゃん。冷たかったよね?」

「いや、俺もうっかりしてた――んんっ⁉」

「ほえ?」


 きょとんとする母さんの服はびしょ濡れで、ぺったりと肌にくっついたTシャツには肌色が浮かび上がっていた。というか肌色以外が見当たらない。肌に張り付いたシャツが谷間に潜り込み、豊満な胸の形が思いっきり強調されていた。

 俺は咄嗟に視線を彼方にぶっ飛ばし、


「ばっ……、ぶ、ブラ、なんでしてねーんだよっ⁉」

「あー、このTシャツね、色が浮き出ちゃうからブラはつけたくないのよ。ほら、お母さんのおっぱい大きいでしょ?」


 ぽよんっ、ぽよよんっ、と手でおっぱいを持ち上げる母さん。


「し、知るかよ……。俺がやるからもう出てけって!」

「カッチ~ン……。もういいです、おこですからね。どんどんキレイになっていくお風呂を翔ちゃんは指をくわえて見ていてください」

「いいから着替えろ! あっち行けっ!」

「またあっち行け発動したぁ! でも残念でした効きましぇ~ん。バリア~!」

「うるせえええええええええッ‼」


 この後、いたたまれなくなった俺は風呂場から逃げ出し、最終的に風呂掃除は母さんに片付けられてしまった。

 親孝行、母さんの乱入により失敗。なぜこうなる。




 6月19日(月)19時00分

 

 夕飯は俺の好物のグラタンだった。


「お昼にパスタ食べたんだけどね、ミートソースが余ったからグラタンに入れてみたの。味どうかな、大丈夫そう?」

「ああ」

「よかったぁ」


 美味いな。特に、チーズに焦げ目がついたところがしょっぱくて好きだ。

 俺は食いながら、対面に座る母さんにちらりと目をやった。

 そろそろあのことを話すか。風呂掃除のときに言えればよかったんだが、ドタバタしていてチャンスがなかったんだ。


「母さん……俺、今週の土曜いないから」

「えっ、いないって一日中? どこか行くの?」

「五十嵐の家に泊まる。朝から出掛けて、日曜まで帰らない」

「今週、土曜……」


 と、母さんは俺の後ろを見た。リビングの壁にかけてあるカレンダーだろう。


「わかったわ、624ね。いってらっしゃい」


 ……種は蒔けたな。


 夕飯を食べ終えた俺は、部屋に戻ってごろごろしながら時間が過ぎるのを待った。時折ツイッターを開いては閉じてを繰り返す。

 そうしているうちに午後十時になった。

 と同時に、天母マリアのツイッターが更新された――


『告知‼ 6月24日夜、マリアの神殿にて入浴決定‼‼ #ダーマリお風呂配信』


 同じタイミングで黒曜ダークもお風呂配信の告知ツイートをしていた。どちらのツイートも瞬く間に拡散されていき、ものの数分でリツイート数が一万を超える。


 計画通り。


 これまでのダークの配信活動から、彼女は土曜日なら高確率で配信できると踏んでいた。あとは当日に俺が家を空ければ、母さんはダークを招いてオフコラボ配信ができる。

 シャンプーなどの消耗品は風呂掃除のときに補充したし風呂場の準備は万端だ。

 これでひとまず、やれるか怪しかったお風呂配信を実施に導けた。


「って、ただの告知が日本トレンドに入ってるし⁉」


 日本中が母さんの風呂に注目している、そんな悲惨な現実にがっくりと項垂れてしまう。


「……なんで俺、見たくもない母親の風呂のために暗躍してんだろ……」


 他のファンが心待ちにしているから仕方ないとはいえ精神的にくるものがあるな。

 当日は絶対、配信を見ないようにしよう。俺はそう心に決めた。

 ……のだが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る