第7話 お風呂配信2/3
6月24日(土)20時56分
ぺらっ、とページをめくる乾いた音が鳴る。
今日はお泊りだ。五十嵐の部屋で、俺たちは触り飽きた携帯ゲーム機を床にほったからして、それぞれが好きな漫画を読みふけっていた。
「もう九時かよ」
五十嵐はそう言って漫画を置くと、部屋を出ていった。
しばらくして帰ってきた五十嵐の手には、炭酸飲料とスナック菓子。映画でも見るのだろうか。俺は五十嵐の後ろからノートPCの画面を覗き込んだ。
果たして画面に出ていたのは、スタイル抜群な女神が我が子のように悪魔の頭を洗ってあげているイラスト――#ダーマリお風呂配信のサムネだった。
「秋山! マリアママのおっぱい見よーぜ!」
「断るッ‼」
何が悲しくて母親の風呂を友達と見守らなきゃいけないのか……。
そもそも、お風呂配信は音声だけだ。裸なんて映したら規約違反のセンシティブBANでチャンネルが消し飛ぶ。
「ていうか五十嵐、いつから〝マリアママ〟呼びになったんだよ……」
ずるいぞ、俺は事故で呼べなくなったのに。
「お前があんまり言うからよぉ、VTuberってのはそんなにいいもんなのかと気になって見たんだよ。そしたらお風呂配信とか言ってんじゃねえか。――なあ! なんでもっと早く言わねえんだよ⁉ エロいやつって始めから言えよオイ!」
「意味不明なキレ方するな……。あとな、VTuberは別にエロくないし、そういう活動をしている人が一部にいるだけで可愛く清純なアイドルVまで一括りに考えるのは――」
「まあいいや。折角の土曜だ、ママのお風呂でも見ようや」
「嫌だッ! そんな休日は絶対に嫌だァァ!」
「あぁん? さてはお前、惚れてエロいのが見れなくなったな? バカだなぁ。VTuberも中身は人間なんだし裏で恋愛なんかふつうにしてるぜ、知らんけど。マリアママの包容力と余裕っぷりはぜってぇに彼氏いる」
彼氏どころか夫がいるし、お前が得意そうに話しているのはその息子なんだぞ。
「な、秋山? ……現実見ようぜ」
「うるさい! 俺を見ろ! 俺がその現実なんだ!」
「ぶははははっ! 唐突な中二病ウケるわー」
なぜか中二病にされてしまい、俺は目頭を押さえた。
……まあいいさ。五十嵐もファンジェルだって言うなら、お風呂配信を楽しむ権利は当然ある。俺が見なければいいだけなんだ。漫画の続きでも読んで気を紛らわそう。
そうして漫画を読んでいると、「きた!」と五十嵐が歓喜の声を上げた――
『はぁい、聞こえてますかぁ? メタライブ0期生、天母マリアですぅ。こんばんマリ~。今日は罰ゲームということでね……仕方なくお風呂に入っていこうと思います。ハァ……』
『……マリア先輩は罰でもないと体を清めんのか。ばっちぃのじゃ』
『ねええぇぇえ! いじわる言っちゃダメでしょぉ? ……はい。#ダーマリお風呂配信なのでダックちゃんと入りま~す!』
『ふははっ! こんばんダーっク。四期生の黒曜ダー――ぇっちゅ!』
小鳥のさえずりみたいに可愛らしいくしゃみだった。
今頃チャット欄では、可愛い声の提供に感謝して「くしゃみ助かる」とコメントが賑わっているに違いない。
「げっ……、なんだこの『くしゃみ助かる』って大量のコメント、気持ちわりぃな。おっぱいはまだかよ?」
……お前も大概キモいよ。
『ダックちゃん大丈夫? 体冷えちゃうから湯船に浸かろうね』
『うむ……。えー、今どうなっているか民どもに解説するとじゃな……浴室にノートパソコンとマイクを設置して、すっ裸の余たちが中腰で語りかけている状態じゃ。いと寒し』
……寒いならやめちまえ!
ダメだ、漫画を読んでいても配信が耳に入ってきて内心でツッコんでしまう。母さんの風呂なんて覗きたくないのに、マリアの声で実況されると気になってしまう自分が嫌だ。
『じゃあマリアが先に体洗っちゃうから、ダックちゃんは湯船で温まって。ちゃんと肩まで浸かるんだよ?』
『かたじけないの。……ん、ふぅ~~。足が伸ばせるお風呂なのじゃ~』ガサガサッ。
『あっ! ビニール袋の音、マイクが拾っちゃうからね……』
『おっとすまぬ。そうじゃった。余は今宵の配信を盛り上げるべく、とある道具を持ち込んだのじゃ。後ほどちょっとした余興があるゆえ、民どもも楽しみにするがよいぞ?』
『それでは……マリア、洗いますっ!』
『実況・解説は黒曜ダークが担当じゃ!』
『うぅ……やっぱり、こんなのアイドルの配信ですることじゃないよぉ……』
シュコシュコシュコ……。
ボディタオルを擦って泡立てる、今までに散々聞いた音が流れる。
「……こっからが本番だな」
と五十嵐は神妙な顔で言うが、なんのだよとツッコミたい。
「すげぇぜ秋山。同時接続数、十二万! #ダーマリお風呂配信が開始五分で世界トレンド一位だぜ!」
「……もうダメだよ、この世界……」
十二万もの人が母さんの風呂を覗いている事実だけでも限界なのに、そのうちの一人に自分が含まれていると思うと頭が痛くなってきた……。
『さあマリア先輩! 初手、ボディタオルから泡を手ですくい取る。それを胸元に持っていった。そして泡を撫でるように広げていき……おおっと、おっぱいを洗い始めたぁっ! マリア先輩はお風呂に入ったらおっぱいから洗うようじゃ! さらに、たわわな胸を持ち上げ、空いた手を胸の下に滑り込ませて下乳を洗っていくぅ~!』
『ダックちゃあん⁉ なんでそんなに語彙力が豊富なのっ⁉』
『おっ、次はお腹を洗うのじゃな。どれどれ、包み隠さず実況してみせようぞ』
『ひ、ひぃぃぃぃい……!』
それから、マリアがどこをどういう具合に洗ったのか、ダークは語彙力を駆使して実況していった。さすがは有名配信者、聞いているほうに絵をイメージさせるには充分すぎる語りの上手さだ。
まったく、本当に勘弁してくれ……。
「秋山、苦しそうな顔でニヤニヤしてるけど大丈夫かよ?」
「……ほっといてくれ……」
俺の脳裏では、母さんが体を洗っているという見たくもない絵面と、天母マリアが泡まみれで恥ずかしがっているという最高の絵面が紙芝居みたいに繰り広げられていた。
耳栓が欲しい。こんなん感情がバグっちまう。
だが地獄もここまで。母さん――いや、マリアは体を洗い終えて頭を洗おうとしていた。これでセンシティブな発言が飛び交うことも減るだろう。
と、俺は思っていた。
『……皆の衆、ここで内緒の話じゃ』ボソッ。
『ダックちゃんー? ごめん、よく聞こえなかったー』
『なんでもないぞー。ただの独り言なのじゃ』
『あー……ダックちゃん、たまに歩きながらブツブツ一人で喋ってるもんね』
『あ、あれは次の企画を考えてるだけじゃっ! 余を不審者に仕立てあげるでない!』
『ごめんなたぁい』
『……ぐぬぬ、今に見ておれぇ~。皆の衆、先ほど余は道具を持ち込んだと言ったな? その道具の名は、魔銃ダークネス。下界で水鉄砲と呼ばれる代物じゃ』
『ふんふーん♪』
『……今、マリア先輩は頭を洗っていて目が開けられぬ。そこで民どもよ、好きな体の部位をコメントするがよい。余の射撃テクで先輩のそこに当ててみせようぞ』
予想外の行動に出やがった、あのクソガキ――ッ!
気になりすぎて思わず画面を覗いたところ、チャット欄には大量の「おっぱい」コメントがどんぶらこ。
十二万人もいるのに変態しかいないのか⁉
「おっぱいだぁ? 生ぬるいこと言ってんじゃねえ、漢は黙ってTKB!」
「させるかあああああああッ‼」
母親の乳首が狙撃される事故現場なんて見たくない!
「秋山てめ……っ! 邪魔すんな! マリアママの喘ぎ声が聞けるかもしれねえんだぞ!」
「聞きたくねーよそんなもん!」
「だがオレは聞きてえ!」
「くたばれ変態!」
くそっ、力が強い……。俺が掴むのもお構いなしに五十嵐の太い腕は徐々にキーボードに近づいていく。
五十嵐の指がTとKを押し、Bに伸びる。
直後、「ひゃんっ!」と、可愛すぎる声に俺たちの時間が止まった。
『あっ、ちょ……ダックちゃん⁉ 何か飛ばしてきてる? もしかして水鉄砲?』
『ふははっ、余の魔銃ダークネスじゃ! 民どもの要望により、マリア先輩のおっぱいを狙撃致す!』
『ちょっとぉぉお! 魔界の民には変態さんしかいないのぉ⁉』
『そんなのファンジェルも同じじゃろう! うりゃうりゃ~』ビュッ、ビュッ。
『やっ……、そんなにたくさんダメ……っ!』
『んなっ⁉ 頭を洗っているだけなのに胸が揺れて的が定まらぬ! しかし民どもの夢、このダークが叶えてみせようぞ! 狙うは、先っぽじゃあっ!』ドピュッ!
『――んっ、あぁんっ♡』
「っしゃああああああああああああああああああっ‼」
「ぐあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ……‼」
五十嵐は飛び上がり、俺は床に転がった。
きつい。母親のエロい声はきつすぎる。しかし一方で、本能ではマリアのエロい声が聞けて喜んでしまっている自分がいてもう死にたい……。
『…………ねえ、ダックちゃん。配信枠、生きてる……?』
『案ずるでない。神の裁き――センシティブBANは免れたようじゃ』
『もぉぉおお! マリアの枠だからって攻めたことして! もう水鉄砲は取り上げますからね! めっ‼』
『ふはは、すまぬすまぬ』
『ほら、マリアは洗い終わったから次はダックちゃんの番だよ』
『……昨日洗ったから今日はいいのじゃ』
『えぇ~、最近暑くなってきたから洗わないと臭くなっちゃうよ? ほら、おいで。ママがゴシゴシしてあげるから』
『わぁ~い、マリアママ~!』
ゴシゴシと頭を洗う音に、二人の笑い声が加わる。
マリアとダークの楽しそうな会話は、息子の俺から見ても親子のようにほのぼのとした雰囲気だった。ダークは俺よりも母さんの娘らしいかもしれない。だからなんだって話だが。
……そんなこんなで、お風呂配信は終盤に差し掛かるのだった。
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