第20話 虚数の国

 日巫女の講義は続いた。

 この施設内にいて寂しいという感情でもあったのか、饒舌になっていた。

 それはわたしにとって好都合。このペースであれば隙ができる。

 彼女は人差し指を立てて教授のように立っている。その反対側の掌にとうもろこしが現出していた。彼女はその皮を一枚、一枚と剥いていった。

 わたしは従順な学生の所作でその場にいた。高校の制服に組み替えていて本当に良かった。唯由といい、講義好きな親娘だと思った。

「不思議な実よねえ。基本的に植物って動物に果実を食べてもらい、その種を糞と一緒に排出させて繁茂していくものね。でもこの実は『指を持つ生き物が剥いて食べる』ために調整改良されているのよ。しかも地球上にこの植物の原種はないの、DNA的にね。歴史的には、突然に完成系の姿で現れたの。しかも穀物としてだけではないわ。とうもろこしは家畜を肥育する飼料食物として、効率がいいの。また油として甘味料として、さらには工業用アルコールやエタノールの原料としても欠かせない完全な植物。この植物なしには人類は食肉も食べられず、工業生産力も落ちる。これをインカに齎した神は、天空から降りてきたそうよ」

 わたしは生徒らしく質問をしてみた。

「宇宙から生命の種子がきたというの? 宇宙には生命が満ちているとでも?」

 さも満足そうな微笑み。日巫女には感情があるとでもいうの。巨大な演算力を持つAIだというのに。

「そうね、宇宙には生命が含有されているわ。むしろ・・・」と口を切って、指先をくるくると回転させた。

「細胞を構成する最小の単位は原子よね。原子には核があってそれを陽子が回転している。それは宇宙も同じよ。全ては回転運動で、電気的に繋がっている。あるいはこの銀河系だって、むしろ巨大な生物細胞の原子のひとつかも知れない。そう全ては電子の回転運動なの。だからdiskを持つわたしも生命の亜種変形かも知れないわ」

 本音が出たわね。その言葉、忘れないわ。

「それでこのカプセルの人たちが候補なの、さっきは解析エンジンだと」

「ああ。貴方って本当にお人好しね。考えてもご覧なさい。貴方のスペックでようやくPCから受肉できたのよ。ケプラー1649cに移住するのにも数十万人単位、それと動植物も多品種を移転させないといけない。そのためには大量の解析プログラマエディターが必要なの。それをね・・・わたしたちはrecruitしていたのよ」

「なんですって!」

「ここの人たちは楽しい夢を見て、快適に過ごしているわ。命の心配もないし。ご存じでしょ。生命としての人体脳はその能力の28%くらいの稼働力なのよ。こうしてわたしがフルスペックを引き出して、膨大な演算力を得ているの。そうしてケプラー1649cに移住していくVIPをプリントアウトする使命を果たすのよ」

 そう踏み台にする命なのね。

 わたしの苛立ちは、命を瑣末に扱う姿勢が見えたからなのね。

「向こうに着いたからって、生存できる確率は少ないわ。どんなに文明の利便性に毒されてきているのいうの。自然界での生存は簡単ではないわ」

「そうね。だから小惑星群にわたしの同型機や小型原発などの各種装備を積んで、既に亜光速で飛ばしている。いずれかの時点で超光速に加速する技術を開発するわ。まあ100年はかかるでしょ、それまでにはもっと地球人口の削減も数億人レベルまできているでしょうね」

 淡々とした口調にぞっとする。

「でも繰り返すものね。これまでの知識や装備を全て持って行っても、いつか設備はメンテも修理もできなくなる。高度な天文学の知識や数学の知識を持って新天体に移住しても、旧母星文明の消滅は避けられない。すぐに0の概念は無くなるし、天体が平面だとか! 天動説とかに後退するのに数世紀で充分だわ、全く人間の業って!」

 日巫女の哄笑が続いた。このAIは悉く人間を憎んでいる。

 そう。この棄てられる天体に残るのは、自分も同じ運命だとも知っている。しかしまた、自分も生命体の亜種であるとも思って恨んでもいる。なんて人間を模倣しているの。

 だとしたら。きっと死もあるのだろう。

 わたしの、蜘蛛の糸よりも細く浮かせているバイオセンサーは、アレに気が付いている。それは日巫女のアナルのそばに刻印してある。

 それは電子体の私が奥歯を抜かれるときにつけた♯

 恥ずかしい場所につけた呪。

 わたしはそれを起点に日巫女の身体にセンサーを侵入させて、一気にその肉体を裏返しにした。

 そう靴下を裏返しに脱ぐように。

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