第17話 虚数の国

 あるいはここが魂の牢獄かもしれない。

 わたしの意識はPC内にあって、実体を持てない。

 実態がない以上は、ここでモニターするしかないわ。

 しかしながら千晃と真弓が中和して以降、そう唯由の出現以降は途絶えている。この状態を以前、植物に喩えた自分に嫌悪してしまう。北御堂の一戦にわたしは無力だったし、むしろ真弓の最期には残機の念が絶えない。

 そしてわたしはあの娘から贈り物まで貰った。

 大事に使わせてもらうわ。

 そこに連絡が入った。それは香澄からのものだった。

『那由多さま。目標座標を把握しました。切り札はこちらにあります』

 ふふ。攻められて辛い時、その業苦に耐え抜いたものが勝利を掴むのよ。 

 インドラの矢。

 宇宙に浮かぶクロムモリブデン鋼の、神の雷。

 レールガンによって放たれるその破壊兵器の照準エンジンをハックして、かつ香澄は特命を果たして、ある座標を探り出した。

 それは日巫女に電源を供給している、原子力発電所の特定。

 その炉心を暴走融解させずに、無力化する必要があった。

 それは北御堂に至る地中メインケーブルの変圧基点の座標。

 インドラの矢ならば、それを貫くことが出来る。しかもその座標に香澄がいて、大気流動のデータを衛星に同期しているから確実よ。

 山脈に隔たれているのでそのエリアが圧壊したり溶滅しても、原発にもわたしの領地には直接的な被害はない。大規模な地表の粉塵が舞い上がり、数年は核の冬らしきものが来るだろうけれど、もう生物が死滅しつつあるこの平野ではそう大差がないだろう。


 あのウィルスが世界に蔓延し、個別で自主隔離が当然となった日々。

 それでも世界は平和の仮面を被っていた。

 それがある春、東欧でR国の侵攻が始まった。

 戦乱に荒れた大地が失ったのは、EUの穀倉を満たす単年度の穀物だけではなかった。実はその大地が育んでいたのは、数年分の膨大な種籾と合成肥料でそれがEU全体、いや世界に及んでいた。

 なぜ地域紛争で、あれほどの支援が行われたのか。

 R国はEUの胃袋を握りつぶす戦略で脅しをかけていたの。

 そんな欧州で始まった飢餓の危機は世界に蔓延する。

 世界人口が急増する中で、危ういバランスで均衡していた天秤が、丸ごと地に堕ちた。財力か武力かを、持てる国と持てない国との奪い合いが始まる。

 もともと天候不良でかつ農業従事者の高齢化による穀物生産の減産は、問題になっていた。その上で状況は加速度を持って深刻になった。

 このPCの閲覧権限で、かなりの政府資料を読んだ。

 世界各国はオンライン会議を継続し、そして食糧の生産量が全人口の6割に満たないことを知る。それを戦術核兵器まで投入して奪い合い、汚染を受けていない安全な農地を失って、さらに自給量は削減された。

 蛸が蛸自身で、自らの足を食べていることを自覚して政策が転換された。

 世界人口の隠密的な削減である。

 その割当ての数字も、オンライン会議で冷徹に下った。

 各国において責任を持って、自国民の緩やかな餓死、そしてその政治的隠蔽。それを世界は選択したのだ。一部の選ばれし人間を将来に残すために。

 こうして世界は干上がっていく。

 かつての千晃の頃に受けていたプログラム業務は、その分別試験だった。難度がどんどん上がっていく業務、それ自体が訓練であり選別であり、生殺与奪の関門だったの。

 あの建物に眠るカプセルの中の人々。

 その関門をクリアした人々なのか。彼らの全ての感情を含有したような微笑みは充足感を示していたのか。

 そうはさせない。

 ではどうしたいの?自問しても答えなんて出ない。

 ただ何だか不公平感があるの。電気も自然エネでは天候任せで自由に使えず、家庭菜園で作ったものを物々交換して食い繋ぐ生活。賞味期限切れでも缶詰は貴重品に祭り上げられていた。同調圧力のために家に引きこもり、外へ出るときはマスクは欠かせない。市外に出るには医療警察に申請書を出して検疫を受け、市に戻る時には2週間の強制隔離が待っている。

 それが残された国民の生活。

 そんな中で無尽蔵の電力で清潔に管理され、栄養分を与えられて惰眠を貪っている人間がいる。そして今わたしはこの力を得た。

 そう自分で切り拓く可能性を得た。

 だったら平穏に見える湖面に石を投げて、波紋を起こしてみたくならない?

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