第15話 虚数の国
おれは路地を駆けていた。
手榴弾の破裂する音は予想外に、拍子抜けのするほど軽いものだった。それよりも悲鳴の方が大仰に聞こえた。
真弓の肉体は薔薇の花弁のように、華々しく紅く広がって散っているだろう。しかしおれの中には真弓は生きていた。
牟田口が犬死にした瞬間に、おれは自身を身代わりに真弓を逃そうとした。しかし逆にそれを押し留めたのは真弓だった。あいつは上衣を脱いで下着を取り去り、そのままあのクローン集団に入っていった。
「今なら逃げれるよ。うちは大丈夫、きっとあいつら、うちを玩具にするに決まってる。今なら逃してやんよ」とウィンクをして去っていった。
畜生。畜生。それをアイツら。
おれは逃げなかった。死ぬなら一緒だと思った。
おれも左袖がなかったので、あの中に混じっても誰も気がつかなかった。そりゃそうだ、獲物を貪る獣の群れだ。自分のオリジナルが激しい陵辱を受けているのに、さらに酷い言葉で罵りながら煽る真弓のクローンどもを張り倒してやりたかった。
畜生。畜生。一緒に死ぬつもりだった。
おれだと気づかせたくて、キスを求めた。誰もがバイオセンサーの侵食を恐れてキスなどは避けている。手榴弾のピンを縛られているあいつの掌に持たせてやった。その時、あいつの子宮の中でそれが起動した。
バイオセンサー。なぜそこにあるのかはよく覚えていない。脳幹から離れているので、真弓の意識と記憶は、この肉体に完全にコピーはできていない。
おれの意識と、あいつの意識がこの肉体で中和しているだけだ。
それでもあいつの想いが残っている。
最期の瞬間に、あの身体で何を見たのか。それはわからない。
安全にその場を離れて、うちを見ないで欲しい、が残っている想いだった。
北御堂は両側に山麓が迫り、その中央に川が流れている。
その山の斜面の森が趣きを変えて、太陽光パネルが林立している。そしてその川の両岸に国道とJRの線路が平行に、場所によっては交差しながら通っている。そんな国道に出るとすぐに捕捉される。
おれはその国道の側の住宅地を駆けている。ドローンは空中にいない。いないということは、その必要がないということだとわかった。おれ達が車を捨てた時点で、その装備を見てクローンを作っている。電子体の那由多が張った結界は有効だったようだが、そこであの牟田口がヘマさえしなかったら。
「ねえ、千晃」と呼び止められた。
住宅街の角にワンピース姿の『那由多』がいた。麦わら帽子に、ざっくりとした素材感のある棉のワンピースを着ていた。石塀に腰を預けながら、細い指を組んで微笑んでいた。何の警戒心もない無邪気な笑顔だった。
「ねえ、緊張しているの。わたしよ。貴方のマンションの下に住んでいた。そう本物のわたしよ」
軽く背伸びをして、こちらに歩いてきたので、咄嗟に散弾銃を向けた。
「やだな。そんなこと。無粋よ、貴方」
眼は笑ってない。おれは散弾銃を遠くに放った。数度跳ねて電柱で止まった。おれの意志ではなかった。もう動かされていた。
「貴方さあ、わたしの身体に興味があったでしょ。バイオチップを乗っ取った後も随分といじくり回していたわね。それとさぁあ・・」
一瞬で距離を詰められ、目前に『那由多』の瞳があった。避けようもない、全身が氷結したかのように固まっていた。
「世界がこうなる前から、貴方、わたしで自慰行為してたわよね。嘘はダメよ。貴方の記憶やら想いはこちらにもメモリされているのよ。今のあなたにあのクソビッチの記憶があるようにね」
「お前は、な、那由多なのか」
「そうね、ややこしいから、いよ、唯由とでも呼んでよ。その名前嫌いなんだ」
「おれに何の用だ」
「用があるのは貴方の方じゃない。案内してあげるわよ。タイミングさえ合えば、日巫女さまにもお目通り出来るかもよ」
唯由がおれの左腕をとって組んできた。すっと全身の緊縛が解けた。
「さあ行きましょう。わかっていると思うけど。今すぐのdeleteも可能だからね」
そうこの領域では敵う相手ではない。前回は上手くサイコハックが出来たけど、単体でのスペックはおれのチップを遥かに凌駕している。
おれは掌で踊らされている哀れな悟空に過ぎない。
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