第9話 虚数の国
この施設のホールは幾階層にも別れていた。
構造物を支える中央シャフトにはエレベーターもあったが、わたしは徒歩を選んだ。ここまで来て、ドジは踏みたくない。乗降中に電源を落とされたら良くて捕虜、下手を打てば餓死という選択になる。
この施設の全てがAI制御という可能性もあるけど、番人のひとり位はいると思う。LED照明で仄暗い明るさがあるのでありがたいわ。この施設は外部へのマップ開示もなかったし、内部に侵入してからは接続を切っているので、千晃の眼も使えない。だから手探りみたいに進んでいる。
とある回廊の隅に少女がいた。
薄いベージュ一色の無機質な空間に、女郎花の花を揺らせて歩いていた。
少女は薄手の絹でできたかのようなシンプルなワンピースで、ぴんと筋肉の張った素足が健康的だった。後ろに手を回してその交差した手の中に、黄色い花弁がひらひらと泳いでいる。まとめていない黒髪が背中を覆ってる、体型で推しはかるよりも幼いのかもね。
問題はそこじゃない。この場所に彼女がいる異質感。
その身体は電子体でもなさそうな現実味がある。以前見かけた幽体でもない。だからこそその不条理感は拭えない。
彼女は楽しそうに数歩歩いて、はっきりと振り返った。
その瞳に心臓を貫かれた思いがした。
確実に視られた。そして微笑みを投げてきた。
わたしだって愚かではない。千晃よりも上手く肉体を不可視化してる。電子体の気配も耐性被膜で防御してた。その目前に彼女は瞬時に迫ってきた。
「あなた、起きてるひとなの?」
電子体!しかももっと高位相にある存在!
「そうよ。かくれんぼしていたの。貴方ってすごいのね。見つかっちゃった」
「ふふ」と無邪気な笑みを見せた。中学生に上がったばかりの幼さが透けているけど、油断は禁物だと思った。
「お姉ちゃん、次は何をする?」
背伸びをして顔が近づいてくる。キスされて舌からバイオセンサーが侵入するかもしれないので、わたしは身を引いた。視線が高くなったので、サイズが大きめのワンピースのVネックから肌が覗けて見えた。鎖骨からわずかに肉が盛られているだけのふくらみに、まだ生白い乳首が見えた。まだ服に擦られて痛みを感じる前のもの。下着もなく中身は全裸のようだ。
「ふふ、お姉ちゃん、男が混じっているね」
「そんなぁ、これでも男っぽく見える?」とわたしは上着を開けて胸を突き出して見せた。
「ちがうのよ」と今度は背後から耳打ちしてくる。
「そうね。お姉ちゃんのオリジナルもバックアップしてるのね。小学生の時に男に悪戯されたのね。ふうん、それに今の人格には、男だった時の記憶があるから、わたしをこの姿で知覚しているのね」
ぞっとした。これは今のわたしをも軽く凌駕する計算速度だ、太刀打ちできない。耐性皮膜を二重に張っても、きっとすぐに突破されるだろう。
「怯えないでね、お姉ちゃん。ここまで到達してきたのも珍しいのよ」
左手の人差し指で、つんと額をつつかれた。
「わたしの名前を教えてあげるね。そう日巫女よ。覚えておくのよ、ひ・み・こよ」という言葉で、わたしはシャットダウンさせられた。
わたしは目覚めたとき、何かがのし掛かっていた。
獣の臭いがした。汗がわたしの顔に飛び散った。
「いやっ」と叫ぼうとしたが、猿轡を噛ませてあった。
子宮にも熱いものが蠢くのを感じた。陶酔したような痺れがそこにだけ、否定しようもなくある。
「おっ、目が覚めたか。面白くなってきた。大丈夫だよ、薬はまだあるし、もう随分と俺たちが遊んでいたから、こなれてきてる。気持ち良くなるのもすぐさ」
それは情報屋だった。それからもうひとりが視界にはいってきた。それは千秋だった。全裸だった。まだ男の気配がする。目線だけが自由になる。両手足はそれぞれロープのようなもので、ベッドの脚に結びつけられていた。
目線を下げると、掴み潰された乳房の向こうに男の群れが見えた。
はっとそこで気がついた。この大きな胸はわたしのものではない。
先輩の男好きのする肉体のものだ。
このバイオチップにinstallされた。
わたしは唇を噛み締めようとしたが、猿轡に拒否された。
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