第8話 虚数の国
湾岸線の道路の状態は酷いものだった。
わたしは制服からパンツルックに着替えて、独立共通回線の結束点へと向かった。検索できたなかで最も規模の大きい場所。
使っているのは電動バイクだった。この国の舗装状態はどこも酷いもので、チューブの入っていないシリコン充填タイヤになってる。けれどそれで乗り心地がダイレクトにお尻に響くわ。
古都の北御堂までの道を登っていく。
この街は戦災にも震災にも、また世界大戦の核の影響もない都市だった。
そのおかげで国道の両脇にまで緑を湛えた古樹がせまっていた道路だったはず。その森の中に幾つもの苔すら美しい塔や寺院が、歴史の置き石のように織りなす静謐の街だったはず。
それが無惨なものになっていた。
森深かった小山が切り開かれ、素裸になった寺院が、あるものですっぽりと包囲されている。それは薄汚れたソーラーパネルで、平行に密集して太陽を睨んでいる。それはもう恨みがましい目つきに見えた。
奥には廃棄されたパネルが乱雑に放棄されていて、泥を被って死骸のように鎮まりかえっている。
そして大量の表土と石ころが国道までまだらに流れている。その埃っぽい空気で、空調付きのメットまで息苦しいわ。ここ数年の台風で土砂災害があったらしいけど。現在の政府の統治能力では、その被害のままで放置されているのだろう。
バイオチップのマップで目的地が近いことを知る。
わたしは千晃にリンクした。
『そろそろ目的地よ。ジャミングを開始して』
『了解です、那由多さま』
ジャミングしながらの探知は、バイオチップのダブルコアでもできない。情報の指向性が相反するからだけど、つまり後ろに前進はできないということ。なので千晃の援護がとても必要。
左右には住宅街が墓場のように並んでいるが、どの家にも人影もなく、生活の匂いがない。わたしの家のように、むしろ死臭が満ちている。
わたしはスタンドを脚で蹴り出して、電動バイクを停車させた。
鳥の声もしない、樹木の影も差さない、それが緑奥深いはずの北御堂なんて。
その最も高みにあるこの場所に、風力発電の塔が林立していた。超低周波の回転音がコンクリートの土台に振動を伝えている。巨大なブレードが風切り音を上げて回転する支点では、遥かな中空で黒板を爪で引っ掻くような耳障りな音がする。放置されてどのくらい経過するのだろう、メンテナンスさえも受けてはいないのね。
『どう?いける?』
『大丈夫です。今の那由多さまは電子的に不可視です。映像モニタもハックしました。もう実体のある幽霊ですよ』
要塞のような白亜の塊の向こうに、濃紺に塗られた鋳鉄製の堅牢なドアがある。けれどそれが掌の静脈スキャンを必要とする新型の電子錠になっている。ドアの傍にあるモニタに躊躇わずに右手をかざすと、呆気なくノブが抜ける金属音がいくつか響く。そして電動で右側の壁の内部にスライドしていった。
電気の無駄よね、と腹立たしくなる。
さあ、わたしは深呼吸をひとつして建物に侵入した。
カタコンべのような場所だと思った。
パリの地下のカタコンベが一番有名だけど、まあ中世からの共同墓地で白骨がパイプ椅子のように天井まで積みあがっている名所旧跡。
ただこの場所は生者のカタコンベ。
真珠色の繭状のカプセルに閉じこもっている。それが甲虫の産んだ卵のようにびっしりと地下回廊に並んでいた。当初の計画では地下ドーム内に収まる予定だったんだとはわかる。後から通路まで床面が見える隙間もないくらいに産みつけられた電子の卵。
僅かに表情が読み取れる程度の透明な窓がカプセルにはあって、どの顔も満足げに微笑みを浮かべている。能面の海のような場所だと思った。全ての表情をそこに集約している。そしてそれぞれが数本のチューブで連結されている。生命活動に必要な養分を受け取り、廃棄するものを出す。
産みつけられた機械の子宮。
ここに電源を供給するために山を切り拓いて、自然エネルギーの電源ダムにしている。けれどそれが安定供給できるはずがないわ。
だからこその原発再稼働プログラムが関係しているはず。
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