第6話 虚数の国

 丘を降りると、潮の匂いがした。

 海手の大通りに隣接している、かつての名門女子校がある。

 重力に導かれる林檎のように、その学舎に同じ制服の流れが吸い込まれていく。わたしも同窓の少女たちの顔と胸の値踏みをしながら、そこへ向かう。清楚な仮面を忘れずに。

 学舎は明治期に建設された意匠を受け継ぎ、洋風建築の装いを施されている。校舎の入り口さえアーチ型で、嵌め込まれたステンドグラスが、澄んだ彩りを青いリノリウムの床に零している。カーテンですら濃緑色で、その深窓ぶりを際立てている。

 この空気感でさえ、華美な静謐さがある。

 だからこそこの制服にはプレミアムが加算されていた。価値は布地にも、中身にもあってそれを活用している生徒もいた。

 わたしは微笑みを浮かべながら、バイオセンサーをcloudに散らしている。その磁空領域に、不用心に同期してくる存在を探っていた。

 

 そのマンションは倉庫街に隣接していた。

 まるで港の澱みを集めて発酵させたかのような場所に建っていた。

 わたしは埃の溜まった階段をつたってその六階まで上がった。自分でノブを触る前に、ドアが開いていた。

 よかった。内側から千晃が、潤んだ眼と頬に朱を含ませて開けてくれた。

「ご苦労さま」

「はい。那由多さま」

「様子はどう?」

「はい、プロテクトは外しました。今は全ファイルをコピーして解析中です」

「並列化はしてる?」

「メモリ不足で素体がまた6体も増えましたが、まあ足りると思います」と説明する声に、細い嗚咽の揺らぎがある。

 わたしは深いため息をついた。

「本当にこの実体でないと移動できないって、不便よね。情報屋さんはどうしてる?」

「ああ。はっはは、まだ肉欲に溺れてますよ」

 その千晃の股間を下から掴んでやったが、熱い硬度のある肉棒の感触がした。指が記憶している感触でもあるが、今は鳥肌が立った。

「他人を嗤うのはおやめなさい。この肉体であった頃もあるわけよ、わたし。そんなになってるなんてお見通しだわ」

「すみませんねえ。私は今、routerしてるんですよ、ご同窓の。女性側の快感って凄いものですね、しかも二人分ですよ」

「それは、まあ。大目に見てよ。それってわたしが⁈なんて、願い下げの汚れ仕事だし」

 隣室からは先輩の喘ぎ声がここまで洩れ出している。

 今日も彼は絶倫ですこと。室内カメラを同期してモニタしたが、先輩の乳を揉みしだく獣の股間に、後輩の頬が埋もれてねっとりと律動していた。互いの吐息と唾液を擦り付けあって、一体の軟体動物のように蠢き続ける醜悪な姿なんてぞっとする。

 この娘たちをサイコハックしたのはわたしだった。

 憐憫も感じない。わたしのcloudに接近してきて、校舎の裏に呼び出された。でもわたしを売ってクレジットを稼ごうとしたのが運の尽きだった。耐性被膜もちゃんと張れていないこの娘たちを、キスもなしに瞬時に意識を奪った。

 そして情報屋に引渡したのは、千晃だ。

 やはり情報収集だけに血眼を上げていた男は、バイオチップを持たないただの人間だった。その堅牢無比のPCのプロテクトを、自ら外させるにはご褒美の蜜が必要なので、とてもツイてると思った。

 今でも2人のリモート知覚を通じて見た、あの眼は覚えている。生臭い体臭と濁った視線がチラッと胸に落ちたときは寒気がした。

 肉欲に飢えて皮脂の浮いた豚は、この身体を代償に洗いざらい話している。千晃は生身のマリオネットをrouterとして統御して、手練手管を尽くしている。男の機微なんて熟知してるし、うってつけ。こんなのにわたしの自我領域を触れさせたくない。

 全く獣だわと思った。こんなアナログな手法で口を割るなんてね。

それにしても、と思った。この部屋への供給電力の安定ぶりには違和感がある。不公平だと思う。だって設置してる蓄電池の能力とこのPCの消費電力は、落差がありすぎて不釣り合いだった。この蓄電池では数分と持たないだろう。

 電子音が脳内に響いて、全データの解析が終わった。

 千晃とわたしははっとお互いに顔を見合わせた。

 鏡面のように。わたしとしたことが個別統御をミスってしまった。

 解析した結論が予想外に大きかったからだけど。

 −原発再稼働プログラム−

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