第5話 虚数の国
姿見に全裸を映してみた。
細身で乳房もまだ薄いけど、つんと尖った蕾は苺のように朱い。シャワーで冷水を浴びているせいかもしれない。もう少し栄養をとって大きくしたいわね、と両手で優しく支えてみた。
大丈夫。可愛いじゃない。腰をひねってお尻までのラインを、くいと艶かしく描いてみる。
けれどこれはいい武器になるわ。
言いよってくる男達の素体を並列化して、同期リンクを張れば演算力もきっと上がる。そうそう思慮の足りない働き蜂を集めるには蜜がいるのよ。
わたしが女王蜂になるの。
その発想にぞくりとした。
電流でも走ったように、甘い陶酔が乳首をさらに尖らせてきた。
しかもわたしの素体のバイオチップはハニカム構造になっていて、マルチタスクになってる。そこにあの中年男のIDをコピーして、ネット通貨の残高確認をした。わたしの持ち分と合算して、そのまま投機に出した。軍資金はいくらあって損はないし。
キッチンではコンビーフのトマトシチューの香りがしている。
空腹で目眩がしそう。
このレシピが『私』のものか、わたしのものかはもうよく分からない。
この邸宅には二階があって赤い絨毯が階段に引かれていた。
下着を変えて、洗濯を終えた制服を着て食事を済ませたあと。わたしは死臭が気になって、そこを制服の靴下のまま歩いていく。
そのフロアの奥の部屋から、濃密な腐臭の壁が出来ていた。
掻き分けて山に入るように進み、荘重な彫刻を施されたオーク材の扉を開く。わたし自身の記憶を辿ると、そこは両親の寝室だった。次の光景もしっかりと脳裏に刻まれている。天井のシャンデリアに母が首でぶら下がっている。ベッドの間に足が下がり、そこには汚物と血溜まりが小山になっていた。
書き置きもあった。
「お腹が空いたら、私をお食べなさい」って。思い出したら、眼の前が昏くなる。だって血抜きからやらないといけないの。
「ああ、もうだめ。食べられないわ」と誰かの独り言のように冷たい声がする。
腐敗が進みすぎて、何かの幼虫が沸いていて、さらには成虫にまで育ったのがぶんぶんとうるさく集っている。
わたしの目的は別にあった。
母の化粧台の引出し、そこを開けてジュエリーボックスを取り出した。吟味は階下でやりましょう。ここだと臭いが移っちゃうわ。お目当ては金製品。バイオメモリ製造に必要なので、金は高騰している。これも投機にかけるの。
庭には金属の軋む嫌な音のするブランコがあった。
手入れのされていない庭木が、それでも心地よい日陰を落としてくれていた。
わたしはそのブランコに身体を預けながら、あの中年男にリンクした。これからはわたしの名前を那由多にすることにした。あの男はそうね、メモリ格差を言って悪いけどスペック的に千晃とでも呼びましょう。
その千晃の素体を使って、情報屋と連絡を取ることにした。
「電源は」
「おお今日も連絡を取ってくるなんて珍しいね」
「今日はさ、面白い娘を紹介してあげようと思って」
「へえ」
「なんと現役の女子高生だよ。制服だよ」
「それは・・・」と舌なめずりの音を聞き逃さない。
「身寄りのない娘でね。とてもお腹を空かせている。ちょっとご馳走してあげたんだよ。そう紹介してあげようと思ってね」
情報屋はこれまで千晃に個人アドレスを教えてはくれてないし。現実に素体を持っているかも解らない。残念な人かもしれないわ。バイオチップを脳幹に持たないただの人間で、PCを使ってネット空間で生業を立てているだけかもしれない。それでも情報を売れるほどはあるのよ。
さあ、食事を食べさせるってことは現実にデートしなくちゃいけない。その先も期待できるかもしれない。肉体があればで・き・る・こ・と。
そのことに抗えるほどのひとかしら。
もしくは素体でもなく、位相空間の電子体だけのひとかもしれない。
金属的なメールの着信音が鳴った。
「ありがとう。このメールの転送を頼みます。このメールから彼女が再返信してくれたら、解凍ファイルを渡すからって伝えといて」
ほら、かかった。
でも用心深いこと。
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