第2話 虚数の国

 夜になるとこの国は眠りにつく。

 蓄電池の残量ばかりを眺めていても仕方がない。太陽光を使えない時間帯では、それこそ気まぐれに頼る風力で水を揚げて、翌日の揚水水力発電の準備をする。その技術者とアプリを請け負った人間だけが待機している。

 私も器としての肉体を所持している。

 その不便さときたら、 枚挙にいとまがない。

 肉体は駆動するために、常に糖分とタンパク質を必要とする。ビタミンという成分もミネラルという希少金属も必要だ。さらには排泄物というものも出る。私の目にはそれもアミノ酸の塊であって、なぜ吸収しつくさずに排出するのか、そんな非効率性は理解できない。

 新陳代謝反応のケアも欠かせない。私が特に疎ましく思うのは爪切りだ。何故こんなモノを指先に必要としたのかがわからない。

 然しながら得られる価値も大きい。

 肉体を持つ方が人権というFirewallで護られるからだ。

 モノであれば劣化したり、旧タイプになれば即座に廃棄を言い渡されるが、肉体があれば酌量される。かつて肉体は暗記量を競うだけの、受験というセレモニーに対応する必要があったらしい。その無意味さは、脳内にメモリとバイオチップを置くという簡単な手術で解を得た。

 人間がそれだけで拡張されたのだが、反面ではメモリ格差というものが置きた。現在の社会悪は、不法にメモリを奪うメタハックというサイバー怪盗である。



「電源は〜」と情報屋に電話を入れた。

「ああ、電源は」

 電源は、というのは、世界とこの国の危機に検討しかしなかった総理が産んだ造語であるとは先に述べた。

「どう、その後進展はあった」と私は聞いた。

「政府発表では、まだない。アンタのくれた情報さ、一体どこからの話なんだね。おれらにはどうにも理解できない。今更・・・」

「出処を聞くのはルール違反だよね。それと前に言った『彼女』の存在はどうなったかな?」

「いや、まだ何も掴めてないな」と相手はこんな夜中に電気量を費やされて、鼻を鳴らして答えた。そしてふっつりと切れた。

 私は思案することにした。

 そして行動することにした。

 この時間帯ならば、平等に電力は不測している。うかつにも日中の充電が不備なものは、ネット防壁も薄かろう。そこで検索を掛けてみることにした。

 バイオチップの障壁を自ら解くのは勇気が必要だ。視覚的には私もアミノ酸とカルシウムの実体がある。そのなかには血管という細胞活動を支えるネットワークを内側に持っている。

 その血管という内側のネットワークを、外へ開放するイメージに近い。脊椎に平行して走る大動脈と大静脈をメインフレームに見立て、その支流となる血管と毛細血管までもが、その網の構造のまま磁空領域に広げていく。

 脳裏に浮かぶのは、月下美人が月光を浴びてその白い花弁をひらいていくさまである。

 その網で得られた情報を私は味覚として捉える。

 それが敵性情報であればあるほど、苦いか渋いという味覚として把握できるようにプログラムした。反面で有益な情報は甘味であり、いくらでも接種が可能になる。それは肉体を持ったことで知覚した機能のひとつだ。このプログラムだけは他人に任せるわけにはいかないので、自前だ。

 この国の交通網は寸断されてはいるが、電子世界ではまだ往来は盛んに保たれている。

 私の体内の血管網の範囲が広がり、数点の甘いポイントと避けるべき辛いポイントを見つけた。この夜は下見に留めておくことにしている。

 甘いポイントからは、生体の反応が透けて見える。プログラムではなく、もっと高機能で独立したバイオチップそのものではない。私と同じように生体を持ち、この磁空領域で意識を開放する存在はまだいたわけだ。

 そのなかで最も遠いスポットに忍び寄ることにした。

 磁空領域では電子の世界であるので、距離も重力もない。そして音もなく臭いもない。そして存在もない。一瞬で虚数が背中に忍び寄るので、気づかれる心配はない。

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