七夕

あべせい

七夕



 総合病院の診察室。

 年は30代後半だが、可愛くて、ぽっちゃりタイプの看護師が、次の患者を呼び入れる。

「次の方、どうぞお入りください」

 と、見るからにメタボの中年男性が、キョロキョロしながら入ってくる。

「この病院は患者を待たせるところだな」

 看護師、患者の愚痴には取りあわず、

「どうぞ、お掛けください」

 と言って、目の前の丸椅子を勧める。

 患者、チラっと見てから、丸椅子を通り越し、

「じゃ、きょうは遠慮しないで……」

 と言い、肘掛けのついた椅子のほうに腰掛ける。

 看護師、思わず、

「お客さん……」

「お客さん?」

 看護師、間違いに気がつき、

「患者さん、椅子が違います。患者さんは、こちらの椅子です」

 丸椅子を指差す。

 しかし、患者は、肱掛椅子に腰掛けたまま、

「こっちのほうが座り心地がいい」

 看護師、困って、

「そりゃそうです。い、いいえ、そうじゃなくて……」

「私はお金を払う患者だよ。お金を払う患者が、座り心地のいいほうの椅子に腰掛けるのは当然じゃないか」

 患者は威張って、看護師を無視。

 そこへ、女医がやってくる。

 女医、その光景を見て、

「美和子さん、どうしたの?」

 続いて、肱掛椅子に腰掛けている男性患者の後ろ姿を見て、

「椅子の修理屋さん?」

「そうみたいです」

「だったら、修理が終わるまで、わたしは別室でお茶を飲みながら待っているから。終わったら、知らせてね」

 女医、事態を把握しているにもかかわらず、引き返そうとする。

 患者が慌てて立ちあがる。

「先生、待ってください。私は朝から3時間も待っていたンです。どれだけ待たせるつもりですか。これ以上ここにいたら、椅子になってしまう」

 女医、振り返って、わざとらしく微笑む。

「あなた、患者さん? 本当に? そォは見えないけれど……」

 女医、メガネをずり上げて、よォく見る。

 ハッとなるが、とりすまして看護師の美和子に向かって、

「きょうは何曜日だっけ?」

「木曜です。先生」

「木曜は泌尿器科だったわね」

 美和子が答える。

「はい。先生の木曜は泌尿器科です。そして先生の内科は火曜、産科は土曜です」

「3つもやっているから、わからなくなる。この患者さん、泌尿器科なのね?」

「そうだと思います」

 美和子はそう言うと、患者に向かって、

「そうですか?」

 すると患者は、

「以前から、尿の出が悪くて……」

 女医は苛立って、

「だったら、いつまでも立っていないで座ったら、いいでしょ!……」

「エッ!?」

 美和子はびっくりして女医を見た。

 女医がヒステリックになったのを見るのは初めてだからだ。美和子、女医の突然の乱暴な言葉遣いが理解できない。

 患者、2つの椅子を見て、

「どちらに腰掛けたほうがいいのですか?……」

 女医は患者をいじめるように、

「それによって、わたしの態度が大きく変わるわね」

 美和子、ますます女医を怪しみ、

「先生、きょうはお加減がお悪いようですが。なんでしたら、代わりの先生をお呼びしますか?……」

 すると、患者は潔く、

「こちらの椅子でけっこうです」

 と言い、素直に丸椅子に腰掛ける。

「そのほうが無難ね」

 女医はそう言って、患者が空けた肱掛椅子に腰掛け、問診を始める。

「それで、オシッコの出が悪いンですって?」

「チョロチョロッ、としか……」

 女医、美和子に、

「尿検査は終わっているのね」

「検査結果はお手元のファィルに挟んでおきました」

 女医、ファイルから一枚の紙を取り出し、ざっと見ていく。

 患者、心配そうに、

「先生、どうですか? 何か、よくないことが出ていますか?」

 女医、ファイルから目を上げて、

「あなたの場合は、お酒の飲みすぎでしょ」

 しかし、患者は不服そうに、

「お酒は、最近控えています。1本だったのを半分にしたり……」

 しかし、女医は信用していない。

「ビール1本をやめて、ウイスキーのボトルを半分にしただけでしょ」

 美和子、ようやく患者の適当さに気付いたのか、つぶやく。

「それって、アルコールは却って増えている。バッカみたい」

 患者、美和子を睨み、

「先生、この看護師さん、失礼じゃないですか」

「彼女の感想は一般常識人のものだわ。あなた、もう帰っていいですよ」

 女医は、患者を突き放す。

「先生ッ。もう終わりですか」

 美和子も、さすがに驚き、

「先生、もうよろしいンですか?」

「いいの。このひと、どこも悪くないから。悪いのは、頭と顔だけよ」

 すると患者、

「先生、きょうは何の日か、ご存知ですか?」

「エッ?」

 女医が驚く番だ。

「先生、きょうは7月7日、七夕です」

「それが、どうかしたの?」

「愛している者どうしが、1年に1度会える、大切な日です」

 女医、呆れた風で、美和子に、

「この患者さん、おかしくなったみたいだから、心療内科にまわして……」

 患者、ついに声を張り上げ、

「佐耶ッ!」

 美和子が訝り、

「佐耶、って。先生のお名前でしょう。どうして?」

 女医、美和子を制して、

「いいの。美和子さん、気にしないで」

 すると患者、怒りの形相で、

「佐耶、我慢にも限度がある。亭主が1年ぶりに会いに来たンだ。こういう扱いはないだろう!」

「亭主!?」

 と、美和子。

 女医、美和子をなだめるように、

「元よ。ずーッと前に別れた、出来の悪い亭主」

 美和子、納得して、

「そうだったンですか。失礼いたしました」

「失礼でいいの。美和子さんはこの病院に来てまだ新しいから知らないでしょうけれど、このひと、毎年、この日に来るの」

 そう言ってから、

「咲夫さん。きょうは、いったい何のご用かしら? お金? それとも……」

「娘に会いに来たンだ!」

 美和子、驚いて、

「お客さん、いいえ、患者さん、そんな乱暴なことばは使わないでください。ここは病院です……」

 咲夫、美和子をニッと振り向き、

「やっと、思い出した! あんた、川口駅前のキャバクラ、パラダイスのケメコだろッ!」

 美和子、口に手を当て。

「アッ!」

「何度も、患者に向かって『お客さん』って言うから、おかしいと思っていたンだ」

「夜の職場の口癖だもの。どうして、バレたのかしら。ここと埼玉県の川口じゃ、ずいぶん離れているから、安心していたのに……」

「おれは、川口のキャバクラは軒並み通っている。あんた、先々月入店した新人だろッ。新人にしては、トウが立っているが……」

「トウが立っているって、まだ31です。失礼ね」

「ケメコっておもしろい名前だからな。おれのシートには来なかったが、目をつけていたンだ」

 佐耶、聞き捨てにならないことばに、

「目をつけていた!? あなた、まだその趣味、治らないの」

「いや、それは、言葉のあやだ。キャバクラ通いは、先週でやめた」

「どうだか。そんなことは、わたしにはもう関係ないわ。あなたと離婚して本当によかった」

 佐耶はそう言うと、美和子に、

「それにしても、美和子さんはケメコさんだったの」

「すいません。お恥ずかしいところをお見せして」

「何も恥ずかしいことはないわ。ここの病院、忙しい割りにはお給料が少ないから。セカンドワークは当然よ。わたしだって……」

「先生もキャバクラでホステスをなさっておられるンですか?」

「キャバクラのホステスはやらないけれど、趣味を兼ねてアフターファイブに、占いをしているの」

「占い、って。街角にチョコンと腰掛け、大きな虫眼鏡で顔や手相を見て、無責任なことを言う、あれですか?」

 咲夫が割って入り、

「おまえ、その道楽、まだ治らないのか」

「道楽って、なにヨ。占いは、ひとさまのお役に立てる大切な仕事よ。人助け。医者と同じ」

 美和子が問い掛ける。

「先生、どちらで占いを?」

「ここからふた駅離れた駅の、北改札口を出て、目の前にある大きな銀行の軒下」

「先生。あそこは、あそこはダメです」

「どうして?」

「昼間はまだいいンですが、夜は貧乏人と強盗しか通りません。同じなさるのなら、駅の南側をお勧めします」

「あなた、詳しいのね」

「わたし、キャバクラのホステスをやる前、病院の勤務後、あの駅のそばのバーガーショップにいました」

「あそこの! あそこのバーガー、まずいでしょ」

「はい。とっても。お客さんにいつもマズイ、マズイって悪態をつかれて。それで1週間でやめました」

「それはたいへんだったわね」

 咲夫、すねたように、

「オイ、患者をおっぽりだして、2人でいつまで世間話をしているンだ。おれのこどもはどうした。会わせるのか、会わせないのか」

 佐耶、美和子に、

「ちょっと、待ってね。こっちをすぐに片付けるから」

 佐耶、咲夫に向かって、

「それで、あなた、きょうはわたしにではなく、こどもに会いに来た、って言うのね」

「そうだ。離婚しても、おれはこどもの父親だ。会う権利がある」

「でもね、あの子があなたに会いたくない、って言っているの。この意味、わかる?」

「そんなことを言うはずがない」

「こどもの意思は尊重しなくちゃ」

「娘はまだ2才だぞ。そんなことが言えるはずがないッ!」

 美和子、咲夫に味方して女医に確かめる。

「お嬢ちゃんは2才、ですか?……」

「2才だから口で言いたくても、言えないのよ。でもね、美和子さん聞いて。わたしがこの元亭主の写真をあの子に見せると、その途端、泣き出すの。会いたくないって、ことでしょ。違う? わたし、間違っている?」

 美和子、こんどは女医に味方して、

「先生のおっしゃる通りです」

「オイ、待て。おれの写真って、どういう写真を見せているンだ。まさか、節分の写真じゃないだろうな」

「そうよ。あなたの写真って、あれしかないもの」

「あれは、離婚した年の節分の日に、ふざけて撮った写真だ。おれの顔は写ってない。鬼の面をすっぽりかぶっているンだゾ」

 美和子が、不思議に思って、

「先生、ほかに、この方のお写真はないのですか?」

「見るのがいやだから、2年前に別れるとき、全部捨てたの。あの節分の写真だったら、この元亭主ってわからないから、まッいいかッ、ってとってあったの」

「それは賢明なご処置だと思います」

「なにが賢明なご処置だッ! 携帯でもスマホでも、いい。いまからおれの顔写真を撮って、それをこどもに見せてみろ」

「わかったわ。そんなに会いたいのなら、会わせてあげる」

 佐耶、美和子に、

「美和子さん、隣の保育室に預けている娘を連れてきてくださらない?」

 美和子、承知して、

「保育室におられるンですね。では、すぐに……」

 美和子、去りながら腕時計を見て、

「もう、こんな時間だわ……」

 つぶやいて出て行く。

「あなた、ほかにお願いはないの?」

 咲夫、急にすがりついて、

「佐耶、もう一度、やり直せないか。お願いだ」

 咲夫、女医に抱きついた。

「待って!……」

 佐耶、咲夫の胸を押して離れると、ポケットから天眼鏡を取り出し、咲夫の顔を覗く。

「わたしはこれでも占いのプロよ……あなたはウソをついているわね」

「どうして、わかった? い、いや、どうしてそうなる?」

「あなたは、ウソをつくと、右の眉毛がピクピクと動くの。昔からの癖よ。占いより正確よ。あなた、いまは女性と一緒に生活しているわね?」

「どうして、いや、そう思うンだ?」

「返事をしなくてもいいわ。右の眉毛を見ていれば、わかるから。眉毛がピクリッともしない。あなたは現在、彼女と同棲している? それも、飛びっ切りの美女……眉毛は動かないか……」

「しかし、金がないンだ。少し、融通してくれないか」

 佐耶、天眼鏡で咲夫の眉を覗きながら、

「本当のようね。でも、あなたは昔からお金もうけは上手だったじゃない。どうして、そんなにお金がいるの?」

「事業でちょっとミスをしたンだ」

「ミスね。同棲中の彼女に生活の苦労はかけたくない。愛しているから?」

「そうだ。わかっているじゃないか」

「あなた、いまのはウソね。右の眉毛がピクピクと激しく動いた。彼女以外に女性がいる……アッ、眉毛が動かない」

 咲夫、慌てて眉毛を手で覆う。

「あなた、また浮気しているのね。わたしのときと同じ。浮気の資金を融通しろ、ってどういう料簡よ」

「エルメスの好きな女なンだ。それも、何10万円もする高いエルメスばっか」

「エルメス!? 元女房に、愛人のエルメスを買わせる気ィかよ!」

 別の看護師が現れる。

 咲夫、気付いて、

「キミ、おれの娘はどうした?」

 佐耶も、

「美和子さんは?」

 現れた看護師は、

「美和子さんは、アフターファイブの仕事があるから、ってお帰りになりました」

「そォ。仕方ないか」

「キャバクラに行ったというのか。時間が早過ぎやしないか?」

「わたしも、占いの仕事に行こうかしら」

 と、咲夫が、

「おれの娘はどうした。会わせるといっただろう」

「まだ覚えていたの」

 佐耶、看護師に、

「娘はどうしているの?」

 すると、看護師、

「先生のお義母(かあ)さまがお見えになって、いまミルクを……」

「義母(はは)が来ているの? きょうは用事があるから、って義母が言ったから、娘を病院に連れてきたのだけれど、義母の用事が早く終わったのね。よかった。あなた、そういうこと。義母がいるから保育室に行けば、娘に会えるわ」

 咲夫、急に落ち着かなくなる。

「お義母さんが……」

 佐耶、咲夫の心理はわかっているのだが、

「何か、都合でも悪いの?」

 咲夫、眉毛を隠しながら、

「いや、なんでもない」

 そこへ佐耶の義母がベビーカーを押しながらやってくる。

 佐耶、走り寄って、

「お義母さん。娘は……」

 ベビーカーのなかを覗き見るが、

「あの娘は、どこ、どこどこ、どこよ! お義母さん!」

 すると、佐耶の義母が、

「きれいな方がお見えになって、佐耶さんの指示だから、って連れて行ったわ。佐耶さん、知らなかったの?」

 佐耶、咲夫をにらみつける。

 咲夫、上を見たり下を見たり、視線を佐耶と合わせない。

「あなた、やったわね!」

 咲夫は、とぼけて、

「おれは何も知らない」

「お義母さん、わたしの娘を連れて行ったのは、どんなひと、看護師?」

 佐耶の義母は思い出すように、

「白衣は着ていなかったわ。そうそう、エルメスの高そうなバッグを下げていた」

「エルメス! あなた、愛人とグルになって、わたしの娘を誘拐しに来たの! わたしを診察室に引きとめておくために、わざと患者のふりをして、わたしをここにいさせたのね。そのすきに、愛人に娘を誘拐させた。計画犯罪じゃない。あなたのしていることは、立派な誘拐よ!」

 佐耶が絶叫した。

 その声で、複数の警備員が駆けつける。

 佐耶、咲夫を指差し、

「この男は、誘拐の首謀者よ。早く、身柄を確保して。それから、だれか、警察に電話して。わたしの赤ちゃんを誘拐して逃げているこの男の愛人を、手配してもらって」

 警備員ら、抵抗する咲夫に猿ぐつわをしたうえ、素早く体をしばりあげる。

「オイ、離せ! こいつは人権蹂躙だ」

 そのとき、美和子が赤ん坊を抱きかかえ、咲夫の愛人を引き連れるようにして現れる。

 咲夫の愛人は、手首を縛られている。

「先生、キャバクラに行こうとしたら、駅前でお嬢ちゃんを抱いたこの女を見つけたので、問い詰めて連れて来ました」

 佐耶、駆けよって、赤ん坊を受け取る。

「よかった。無事で」

 佐耶、うれしそうに赤ん坊に頬擦りする。

 咲夫の愛人が不満そうに咲夫に向かって、

「あなたの言った通りやったのよ。どうして、こうなるのよ。エルメスのバッグくらいじゃ、割りに合わないわ!」

 佐耶が赤ん坊に話しかける、

「どこもケガしていない? ケメコ、ケメコ……」

 咲夫が怪しみ、

「オイ、ケメコってなんだ。そんな名前を付けた覚えはないゾ」

 佐耶、咲夫を睨み、

「なに寝ぼけたことを言ってンの。この娘が無事戻ったのよ。前の名前は誘拐されて穢れたから、たったいまから、美和子さんのケメコをいただいて、名前をケメコに変えるの」

「いくら改名するといっても、ケメコはないだろう。お義母さん、どう思われます」

 佐耶の義母、咲夫に向き直り、

「そうね。ケメコはあんまりね。きょうは7月7日。七夕のきょう、無事事件が解決したのだから、7月7日の7と7をとって、ナナちゃん、っていうのは、どうかしら?」

 佐耶、義母に向かって、

「ナナか。ナナちゃん、ナナちゃんもいいわね」

 さらに腕のなかの赤ちゃんに、「ナナちゃん!」と呼びかける。

 と、どこからか、

「ハイ」

 佐耶、首を傾げながらも、

「お義母さん、この娘、ナナちゃんって名前が気に入ったみたい。もう返事している」

 佐耶の義母は不審げに、

「まだ2才なのに。返事するかしら?」

「お利口だもの。ねェ、ナナちゃん」

 と、再び、どこからか、

「ハイ」

 佐耶ら、声の主を探す。

 佐耶、もう一度周りを見ながら、

「ナナちゃん、ナナちゃーん!」

 すると、咲夫の愛人が、

「ハイ、ハーイ」

 一同、びっくり。

 咲夫の愛人は、ごく自然に、

「ナナはわたしの名前です。7月7日のきょう、生まれました」

                (了)

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七夕 あべせい @abesei

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