Ⅸ(前)

 九月が残り一週間になると、しつこく空気にしがみついていた暑さが消え、軽やかな晴れ間だけが残ったような日が多くなった。群青色の空を見上げると高いところに雲が小さくちぎれてとどまっていた。

 さくらベースでのダンスの練習は、日を追うごとに少しずつ形が定まっていった。

 三度目の全体練習の時には立ち位置の移動と振り付けを合わせた練習もおこなわれたが、それは振り付けと移動をそれぞれ別に練習するのと比べてずっと難しく、みんなを戸惑わせた。それまで練習をしてきて少しずつ自信を持つことができるようになってきた子たちも少なからず動揺し、落ち込んだ様子を見せた。

 

 一足飛びには進まない練習がそれでも活気を保って続いていたのは、一つには常にかのがいちばん明るくふるまい、笑いながら、粘り強く丁寧にみんなに接していたからだった。かのはダンスを教えている時には決して焦れることはなく、一人一人の細かい振り付けでも、グループで動きを揃える練習でも、ある程度みんなが「できた」と納得するまで地道な練習を繰り返して続けた。

 そして、かのは、基本的に練習の中ではみんなを褒めることしかしなかった。

 覚える事が難しくなっていくに連れてそれぞれの得手不得手が表われたり、時には明らかに誰かが遅れているというような場面もあったが、かのは殊更にそれを指摘するというよりも、できた部分を褒めることを強く意識しているようだった。

 それから、ノートと立ち位置の冊子も、時間をかけてじっくりとダンスを覚えていく助けとなった。初めにかのが言ったとおり、一回の練習ごとにみんなから投げかけられる質問や相談の量は増えていった。かのは、ノートのやり取りの中では、ただ褒めるだけではなく、こうしたらもっとよくなるというようなことを書いて返し、各々が分からないと感じていたり迷っていたりする部分はできるだけ丁寧に説明をしようと努力していた。

 冊子には、みんなが実際の立ち位置に立って練習がおこなわれた後から少しずつ微調整が加えられていった。かのが、そよに協力をしてもらいながら立ち位置を示す円を全て色鉛筆で描き込んだのは、色鉛筆用の消しゴムを使えば、少し跡は残ってしまうが修正ができるから、という理由からだった。

 十二人が色分けのとおりの場所に立ち、実際に振り付けを踊ってみると、思っていたよりも身長の差があったり、腕の長さや足の長さの違いでバランスが悪くなってしまうようなことがあった。そんな時、かのは全体を色々な角度から細かく見て、自分が持っている立ち位置の図に修正を加えた。そして修正した位置にみんなを移動させて、また同じ振り付けを踊り、よしという風に頷くと、何ページ目の何色を〈0・5〉マス分だけ上手側にずらして、という風にみんなに指示を出した。

 色鉛筆用の消しゴムは年長の子から順番に回され、先に直した子が次の子に教えながら、全員が自分の手で図の修正をした。立ち位置の細かい調整と振り付けを合わせる作業は、電灯の着いていない長い廊下を手すりを頼りにして歩いているようにゆっくりと進められたが、かのの言うとおりに位置を直してもう一度踊ってみると、確かに前よりも全員が踊りやすく、見栄えも良くなっているように思えるのだった。


 立ち位置について、かのはこんな風に言った。

「十二人で踊ると、どうしても舞台の横幅を広く使うことになるから、見ている人からすると、真ん中で踊る子と端で踊る子、見え方に差が出てしまう。でも、決して真ん中で踊っている子だけが主役じゃないんだよ」

 大人数のグループで踊るダンスはどうしても中央の位置で踊る人が主役だと思われがちだけれど、端で踊る人は移動の回数が多く長い距離を動きながら踊るから、実は覚えるのも難しいし、長く美しい手足で全体のバランスを綺麗に見せられる人なのだ。他の位置の人も、それぞれにとても大切な役割を持っている。だからわたしは十二人全員が主役だと思っていると、かのは力を込めて語った。

 かのの言葉を聞いて、みんなはそれぞれに感じ入ったような表情を見せ、特に、サビの部分の踊りの時にいちばん端の位置を任されていたみくとねおは、嬉しそうな顔をしていた。

 そうして、さくらベースに集まった十二人が目標とするダンスを覚えるための練習の形は徐々に定まっていったのだが、一方で覚える事が複雑になるにしたがって、かのが教えたい事を上手く言葉で伝えられずに困ったような顔をすることもあった。かのは専門的な言葉で要領をまとめるのには長けていたが、それは必ずしも本格的なダンスを経験したことのない(みこを除く)十人にとって、分かりやすい説明であるとは限らなかった。逆に、コツを掴めないでいる子の目線で、比喩や置き換えた表現を使って説明をするのは、長いダンスの経験があるからこそ、かのには簡単ではないようだった。かのは、表現するのに困った時には、あいまいな言葉と強引な身体の動きとで、多少無理やりにでも説明を完結させようとした。そんな時でもかのの口調は決して粗くはならなかったし、身体の動きだけでも教えたいことが概ねは伝わったので、練習はなんとか先に進むことができていた。


 そよは相変わらず補習が続き、練習に参加できる時間が少なかったので、週に二回の塾の後にもさくらベースに足を運んでいた。そよが遊技場へ行くと、いつも当然であるというようにかのが居て、ダンスの練習をしていた。波子さんから言われてベースの子たちが遊技場で練習できるのは夜八時までとなっていたが、かのだけは平日の練習が終わった後にも遊技場に残り、遅くまで独りで踊っていたし、練習が休みである月曜日も欠かさず遊技場に来ていた。

 かのは自分のノートを開いてその日の練習を振り返ったり、自分が担っている以外の立ち位置や振り付けも踊ったりしながら、ダンスの全体を頭に入れようとしていた。そよが遊技場を訪れると、二人は短く挨拶を交わすが、あまり話をすることもなく、それぞれの練習に取り組んだ。

 一見すると別々のことをやっているようだったが、かのはそよが困っていないかどうかを常に気にしながら踊っていたし、そよは、分からないことがあるとかのに視線を送り、それに気付いたかのが一言二言そよに助言をする、という場面がたびたび見られた。そうやって、二人はお互いを視野に入れながら、自分の課題を淡々と反復していた。

 二人は夜十時少し前までたっぷりと練習をした。そして、そよは十時十五分の最終バスに乗車して帰って行き、ソウヤさんが自転車を軽トラックに乗せて、かのを自宅の前まで送ってくれた。さくらベースの子どもたちは、月曜日や他の日の夜八時を過ぎた後もかのが練習を続け、時にそよが訪れていたことを知っていたが、羨ましがることはあっても、ずるい、などと不平を言ったりすることは無かった。


   §


 十二人はみんなそれぞれに学校やベースでの勉強に一日の多くの時間を使っていたし、全員が揃う日は限られていたが、何度も練習をしていくうちに時間を上手く使えるようになっていき、一人一人の性格や特徴のうちそれまでははっきりと見えていなかった部分が表れてきて、役割分担のようなものも自然と決まっていった。

 そして、みんなで集まる遊技場は、練習の時間を重ねるごとにそれまでよりもずっと愛着のある場所になっていくようだった。

 

 さくらベースの子どもたちの中で年長のここなとさなは、ムードメーカーでありまとめ役だった。ここなは普段はひょうきんでみんなを笑わせるようなことをよく言ったりしていたが、ダンスの練習に取り組む姿勢は誰よりも真剣で、分かりづらいと感じた箇所をかのに質問する回数も多かった。そして、かのから聞いた言葉を自分なりに噛み砕き、年下の子たちに教えたりすることもあった。分からないという目線から苦心して練り出されるここなの言葉は、みんなにとってテキストの補足のような機能を果たしていた。

 さなは元々かのと一緒にダンスを踊るのが好きだったし、十二人で踊るという話を聞いた時には、大げさに喜びをあらわにした一人だった。さなは服装のお洒落にも詳しく、髪の毛を編んだり髪型をいじったりすることが好きだったから、練習の合間に、希望した子の髪の毛をヘアピンや髪留めを使って(身体を動かすのに邪魔にならないように)綺麗にまとめ上げたりしていた。髪の毛を整えてもらい、普段と違う雰囲気になった子たちは、瞳を輝かせながら、いつにも増していきいきとダンスを踊っているように見えた。

 また、遊技場の床に貼った緑色のビニールテープは貼りっぱなしにしてしまうと床が汚れていくので、三日に一度ほど貼り替えていたが、それを提案し率先してやっていたのがここなとさなだった。ほとんどの日、二人はいちばん早くに遊技場に来て床の掃除をした。後から来た子たちも自然とそれを手伝い、練習が始まる時には床はいつもぴかぴかになっていた。


 みくとねおは控えめでおとなしい性格がダンスの練習の時にもそのまま表に出てきていて、自分から目立つことをあまり好まなかったが、それでも、みんなと一緒に何度も練習をこなしていくうちに、硬かった表情が滑らかな笑顔になっていった。

 みくには生来の面倒見の良さがあり、年少の子たちを世話するのはもちろん、みきとみこ、更にはつぐやももえにも細やかな気遣いで接して、居づらさを感じさせまいと腐心しているようだった。自分からどんどん話しかけるというわけではなかったが、誰かが困った様子でいるのを見つけるとすぐにそばに寄っていき、飲み物や差し入れの果物などを配る時にも真っ先に動いたので、しぜんとみんなから頼りにされ、特にみきやみこは、練習以外で何か聞きたいことがある時にはまずみくに声をかけていた。

 ねおは、みくと比べると常に周囲を見るというよりは、集中して何かを考えている姿を見せることが多かった。ただ、それは決して自分勝手な様子ではなく、覚えなければならない事を頭の中で整理し、定着させるのに没頭しているように見えた。実際に、ねおはかのから教えてもらった事や受けたアドバイスを自分なりに復習し、次の練習の時にはすぐに再現することができた。練習が始まった頃のたどたどしさは、出来ることが増え自信が身に付くにつれて消えていき、きびきびとした動きの美しさを賞賛されることも多かった。

 みくとねおは、みんなの分のおもちゃのマイクを用意したり、ノートや立ち位置の冊子を入れる為の四角いワイヤーのカゴを母屋から持って来たり、練習の時間以外は姿見鏡側の壁に寄せてあるテレビをテレビ台ごと手前にずらしたり、練習前のこまごまとした準備に率先して動いた。みんなが掃除や準備、後片付けを嫌がらずにすることは、練習が良い雰囲気で進むことと無関係ではないように思われた。


 いちばん年齢が低いさきあは常にみんなから妹のような扱いを受けていた。さきあは子供らしい無邪気さでその立場を受け入れ、楽しんでいるようだったが、一方でダンスについては体格や体力で不利があっても弱音を吐くことはなかった。

 さきあは、身体は小さいが関節が柔らかく運動神経も良かった。そして言われたことを素直に聞いて短時間でそれを覚えることができ、誰よりも強い負けず嫌いの性分があった。何度か、かのがさきあの負担を軽くしようと、振り付けを変えたり移動の回数を減らしたりしようと提案したが、さきあは頑なにそれを拒み、「みんなと一緒がいい」と、眉間にぎゅっと力を入れながら主張したのだった。

 ゆめは、年齢よりも大人びたふるまいを見せることが多く、十二人の中では二番目に年少だが、色々な場面でみんなから相談されたり頼りにされることが多かった。ダンスの練習でかのがみんなに向けて何か言う時には真剣な眼差しを向けながら聞いて必ずメモを取り、年下であるさきあをいつも気にかけている様子だった。そして、ゆめにとってさくらベースは『家』であったから、遊技場にいる時のゆめは、常に外から来た子たちをもてなすことを意識しているようだった。

 例えば、週末の全員での練習の時には休憩時間になると母屋へ行き、波子さんが用意してくれた果物やお菓子を、そよやみくに手伝ってもらいながら遊技場に運んだり、忘れ物をしてしまった子の為にタオルを持って来たりしていた。それから、花壇の手入れが日課だったゆめは、練習が始まって一週間ほど経つと遊技場に花を飾り始めた。

「見た目が暗いのはよくないでしょ?お花を飾ると良いことがたくさんあるの」

 ゆめはそんな風に言って、波子さんが集めている一輪挿しや花瓶を遊技場に幾つか持ち込み、コスモスやリンドウ、ダリアなどを挿して床の壁沿いに飾ったり、キンモクセイの木から花を摘んで作ったポプリをジャムの空き瓶に入れてテレビ台の天板に置いたりしていた。


 ゆめが遊技場に花を飾り始めると、ベースの子どもたちはそれを見て面白がり、自分たちの大切な物を持ち寄ってはテレビ台の天板に飾っていった。

 ねおが持って来たのは桜の押し花と和紙で作ったしおりで、遊技場の横に立つ桜の樹に咲いた花から、ねお自身が作ったものだった。さなは、小さい真鍮の象の置物。ソウヤさんが蚤の市で見つけて買ってきてくれたものだったが、ソウヤさんはそれを古い文鎮ではないかと言っていた。

 ここなは、家から持って来たセルロイド製のネズミの人形と極彩色の美しい鳥が描かれた厚紙のコップ受け。みくは、小さな犬が描かれた葉書大の絵。デパートで開かれていた似顔絵の催し物を訪れた時に、実家で飼っている犬の写真を見せて描いてもらったもので、装飾が施された額縁に入れられていた。

 さきあの宝物は黒い帽子とオレンジ色の鼻のフェルトで作られた雪だるまだった。

「おばあちゃんに作ってもらった」

 さきあは、みきやみこに誇らしげにそれを見せながら言った。

長い間、手で握ったり外に持って行ったりしたせいで、かつて真っ白だったであろう雪だるまは埃をかぶったような色になってしまっていたが、さきあにとってそれは何よりも大切な物であるようだった。

 みんなの様子を見て、そよは、何か自分もと考えた。それで、片手に乗るほどの小さな金魚鉢を持って来て、ベースの庭に通じる小径に敷かれた砂利を半分くらいまで入れ、その上に白に灰色のまだら模様の巻貝を乗せた。貝殻は、沼が見える公園でさなからもらったものだった。そよは、それをみんなと同じくテレビ台の天板に置いた。

 貝殻に耳を当てると波を音が聞こえると、さなが大げさな身ぶりでみんなに言ったので、みんなは練習の合間に金魚鉢から貝殻を取り出して、耳に当てたりして遊んでいた。


 みこは、言ってみれば、ダンスの練習がもっと円滑に進むようにかのの手助けをするような役割だった。始まったばかりの頃は慣れるのに苦労をしていたが、ダンススクールでもかのと練習の進め方について入念に話をしていたらしく、最初から、教わるだけではなく教える側に立つことを考えながら練習に参加していたようだった。

 背は高くないが全身の筋肉がバネのようにしなやかな強さをもっているみこは、立ち位置でも目立つ場所に立つことが多く、その華やかで凛とした佇まいと鋭い手足の動きに他のみんなが見惚れることもしばしばあった。そして、二回目の全員での練習の後くらいからは他の子どもたちの動きも覚えてくるようになったので、集まった子たちを二つのグループに分けて練習をすることができた。例えば、かの、みこに加えて五人の子たちが遊技場に集まって復習をする日は、三人をかのが、二人をみこが教えることで、それまでよりもずっと時間を有効に使えるようになった。

 みこははじめは少しとっつきにくいように見えたが、実際は明るく壁を作らない性格で、凛々しい雰囲気がありながらも、いつもみんなを笑顔にするような姿を見せたし、何よりもダンスに対する姿勢と実力でみんなからの敬慕を集め、さくらベースに溶け込んでいった。


 みきは、初めての練習の時からみんなと仲良くなることができて、しかも誰よりもダンスの上達が早かった。全くの未経験から急速に成長するみきの姿を見て、かのも驚くほどだった。つぐには「運動神経もとりたてて普通だし、自信がない」と言っていたみきは、普段からかのと一緒に遊技場で踊っていたベースの子どもたちに比べれば少なくない不利があったはずだったが、彼女には天性の勘の良さと失敗を怖がらない思い切りの良さがあった。新しい振り付けを覚える時にはどうしても恐る恐るになりがちだが、みきは最初から思い切って手足を動かすことを躊躇しなかった。当然、何度か失敗はするが、気にせずに笑いながら繰り返し身体を動かしているうちに、しっかりと動きを身に付けていることが多かった。

 みきはまた、休憩時間や練習が終わった後に、練習で理解できなかった部分へのアドバイスを求めて他の子たちとたくさん会話をした。かのとはもちろん、かのが誰かに捕まっている時は、さなやみこにも自分から話しかけ、分からないところを言葉にして表に出すことを厭わなかった。そうした、みきの人と接することへの積極性は、練習に限ったことではなく、みんなでおしゃべりをしたり遊んだりしている時にも発揮され、みきはあっという間にみんなの中心で喋ったりおどけたりするようになっていった。

 そんな中でも、みきが短い時間ですぐに仲良くなり、それからずっと近くにいるようになったのは、全く違う性格であるように見えるみくだった。そよは、明るくて誰とでも仲良くなれるみきと、控えめでいつもみきのことを少し羨望の混じった目で見つめているみくを見て、まるで幼い頃のかのと自分を見ているようだと、なんとなく思っていた。


   §


「みんなでダンスを踊るバザーって、どういう催し物なの?」

 九月の最後の日曜日、練習の休憩中に、ももえがかのに尋ねた。

 その日は、そよの母親が作ってくれたクルミと干しブドウが入った板状のチョコレートに、波子さんが用意してくれた冷たい紅茶をおやつにしながら、みんなは休憩時間のおしゃべりを楽しんでいた。

「さくら寮は、この近所の色んな人たちに支えられて続けられている、っていう話を、波子さんから何度も聞いていてね…」

 かのはももえの問いには直接答えずに、話し始めた。


 さくら寮は波子さんの父親が、生家である古い家屋を利用して始めた施設だ。波子さんは、父親が亡くなった時に跡を継いで『代表』になった。

 寮を開くに当たって必要だったものは、曽祖父の代から持っていた畑を売ったお金などで揃えることができたし、母屋を修繕したり、遊技場を建てることもできた。けれども、月謝だけで寮を続けて行くのはやはり簡単ではなく、父親は寄付金を集めたり協力してくれる人を募ったりするのに奔走をして、かなり苦労をしたらしい。今はソウヤさんが軽トラックで走り回って、波子さんの父親が作った縁を守りながら、新しい縁を見つけて来てくれるのだという。

 地域の人々は様々な形で寮を支えてくれた。

 例えば、近くの何軒かの農家から、ひっきりなしに野菜や果物が届いた。少し形が悪くて出荷できないものが主だったが、季節ごとに届く新鮮な野菜や果物は、育ち盛りの子どもたちの食欲を満たすのに欠かせなかった。旧街道の商店街にある日用雑貨店の店主も、事あるごとに色々なものを分けてくれた。掃除道具や、商品棚の入れ替え時期を迎えた洗濯用と台所用の洗剤、色々な植物や花の種、文房具などだった。

「いま、みんながダンスのことを書いているノート。それも、練習のことを話したら、お店の人が人数分プレゼントしてくれたんだよ」と、かのは言った。

 資金や物資の面で助けてもらうだけではなく、日常の中で、寮では体験できないようなことに招いてもらうこともよくあった。近くの農家で野菜の箱詰めや出荷を手伝ったり、ハーモニカを作っている小さな工房を見学させてもらったり、河川の管理所に環境の話を聞きに行ったり、他にも色々なことを見たり聞いたりする機会を作ってもらっていた。

「五月の終わりに田植えを手伝わせてもらったから、来週、今度はその時に植えたもち米の稲刈りをさせてもらうの」

 かのの言葉を聞いたそよは、いつだったかにみんなが田植えのことを自慢げに話していたのを思い出した。


 地域のバザーは、十一月の初めに、はちまんさまと呼ばれる神社に隣接する『近隣住民センター』という施設の敷地で開かれる。もう三十年以上も続いていて、十月の神社の秋祭りとともに、この辺りの人たちが楽しみにしている秋の行事だった。さくら寮に協力してくれている近所の人たちが一つところに集まり、縁日のように出店を出したり、家の不用品を持ち寄って安く売ったり物々交換をしたり、地域の子供たちにお菓子を配ったりしていた。

 波子さんの父親は、その催しの場を借りて日頃のお礼ができないかと考え、寮を開いて数年後からみんなで参加するようになった。そして、それは波子さんが跡を継いでからもずっと続いているのだという。

「会場の準備や後片付けを手伝ったり、出店で焼きそばをパックに詰めたり、ヨーヨー釣りのプールに水を張ったり…」

 かのはいかにも楽しそうに話した。

「それから、住民センターには、バドミントンのコートが二つ分くらいの小さな体育館があってね。その体育館の舞台で、地域の人たちが色々な出し物をするの」

 三味線やハンドベルの演奏、フラダンス、手品、腹話術、合唱など、人々は一年に一度の集まりの為に自分の趣味を一生懸命に練習して、小さな舞台の上で嬉しそうに披露した。

「さくら寮の子たちが短い劇をやったことも何度かあって、その時には、観た人たちがすごく喜んでくれたんだって。でもここ何年かは、そういうこともできなかったから、今年は何かやりたいと考えていて。それで、三人が…」

 かのは、ももえ、つぐ、そよの顔を順番に見た。

「そよたちが、ここに来てくれたでしょ?それは偶然だったかも知れないけれど、それでわたしは、今だったらできるかも知れないって思ったから」

 かのは、そよたちに相談をするよりも先、まず初めに波子さんに話をして、バザーを取り仕切っている町会の係の人に、さくら寮として舞台で踊る時間をもらえるかどうかを聞いてもらった。さいわい町会の係の人はすぐに承諾してくれたし、そよ、つぐ、ももえ、寮のみんなも受け入れてくれて、そして、みきとみこが加わり、かのは自分の小さな夢を実現に近付けることができた。

「わたしには踊ることしかできない。でも、いつもお世話になっている人たちの前でみんなと一緒に踊ることができて、それで見た人が喜んでくれたら、すごく素敵なことだな、って」

 その言葉は真っ直ぐ過ぎて聞いている方が少し面映ゆくなるくらいだったが、かのは恥ずかしがる様子もなく、堂々とした声で言った。


 ももえはかのの話を真剣な顔をして聞いていた。

「うん。かのちゃんが頑張りたいって思っている理由、良く分かった」

 かのが話し終えると、ももえは納得したようにうなずいた。車座になってじっと話を聞いていた他の子たちも、それぞれに何かを思案するような表情になっていた。

 休憩が終わり、練習が再開されると、みんなの瞳になにかそれまでとは違った光が宿っているように見えた。はっきりとではないが、自分が必死に練習をし、それを披露することの意味をそれぞれが考え始めているという様子だった。それはみんなにとって力にもなったようだし、一方で今までの気楽さだけではなく、自分たちが、小さいながらも誰かに期待をされながら練習を続けているのだと意識をするきっかけにもなったようだった。

 その日の練習は、夕方の六時に終わった。

 みんなが遊技場から外に出ると、空はもうほとんど黒に近い濃藍色に染まり、汗をかいた肌に当たる風はひんやりと冷たかった。

 九月は過ぎていき、十月がやって来ようとしていた。

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