第39話 『Believe』5

 どれだけ時間が経っただろう。ローラは陸についてから、惰性で歩き続けた。日がのぼった。徐々に傾いて暮れた。夜が深まってくる。

 黄色い壁。青い屋根。慣れ親しんだはずの家が見えてきた。けれど特別な感慨は湧いてこなかった。

 どうせ出てくるのはデブ一家。またお前かと追い出される。

 足取りが重くなった。

 やっとのことでインターホンの前に立つ。

 どうせ無駄だ。

 ぴん、ぽん……。その音が虚しく鳴り響く。


『はい!』


「パパ、ママ、メア……」


『パパ? ママ? メア?』


 やっぱり。

 絶望した。

 同じやりとりだ。やはりいるのはデブ一家。

 ローラは踵を返した。

 家族はどこへ。わたしは一人。

 

 ──ほんとうに?


 聞き覚えのある柔らかい声がした。

 

 ──君は僕を信じてくれたよね?


 フィリップさん?

 

 ──ならどうして家族を信じてあげられないの?


「え……?」

 

 ──同じやりとりだからと、途中で諦めてないかい?


「────」


 ──君は苦しくても諦めずに僕を信じた。なのになぜ家族を信じない? まだ、家族がいないと断定するのは尚早じゃないか?


「信じる……」

 

 ローラの心に、その言葉はぴたりとハマった。自由と束縛は同じもの。見方次第でどちらにもなりうるのだ。世界は得てしてそういうものだ。殺人だって詐欺だって、それ自体が悪というよりは、「あってはならない」酷い事態を引き起こすから悪なのだ。だから詐欺師を喰らう詐欺師は共感を呼ぶし、戦争では人を殺すことが良しとされ、犯罪者の裁きを願う声は絶えない。狂っているだろうか。そんなことはない。結局は見方の問題なのだ。信じることと、期待を裏切られるかもと怯えること。それも同じだ。自由と束縛のように、見方によってどちらかが変わる。

 だから、フィリップを信じられたのに、家族を信じられなかった。

 裏切られるかも、とフィリップに思うことはなかった。それは彼が裏切らないと確信していたから。けれど家族には一度裏切られた。だからまたそうなるのではと怯えた。

 どうせ結果は変わらない。なら信じようじゃないか。家族を。

 たとえこれまでは同じやり取りだったとしても、続く言葉は、違うかもしれない。思えば、名前を確認しただけだったのだ。あそこにいるのは家族だったかもしれない。

 もしデブ一家だったとしても、自分の家族がいて欲しいと思ったのはこっちが勝手に期待しただけだ。裏切られたとデブ一家を恨む必要はないし、この一家に八つ当たりする必要もない。


 インターホンを、押す。

 耳元につむじ風が起こった。それはまるで、フィリップの息吹のようだった。


「パパ、ママ、メア」


 さあ、次の言葉に、どう反応する。


「──わたしはローラよ」


 訪れる沈黙。

 答えは?

 

  

   

    

     

      

       

 



  

   

「──また君か!」


 ふっと、顔中の筋肉が緩んだ。頬を一滴だけ涙が伝った。消えてしまった。信じたけれど、家族は、どこにもいなかった。

 ローラは空をふり仰ぐ。

 さて、どうやって生きていこうかしら。

 胸がこわれそうだわ。

 でも不思議と清々しい気分。

 信じ、られたからかしら。

 ローラはゆっくりとした足取りで海岸に向かった。

 

「……フィリップさん」

 

 そこにはフィリップがいた。

 

「きてくれていたんですね」

 

 夜の海岸に立つフィリップはローラに背を向けている。

 

「──ふっ。まだプリンセスの服着てるの?」

 

「あら? 知っていたでしょう? さっきわたしのところへ来てくださったんですから」

 

「何の話だい?」

 

 二人は海の方ではなく、海岸の先を見つめている。海面と、そこに映る夜空には満月と紺鼠こんねず色の雲。

 

「もう、いくよ」


 言いながら、フィリップはわずかにローラの方に顔を向けた。頬がかすかに見えた。

 フィリップはすぐに顔を正面に戻した。


「いやです!」ローラは強く叫ぶ。が、すぐに「──なんてもう、言いません」と自分で否定した。


「気づけ、たんです。あなたのおかげで。わたしは──」


 フィリップがまたわずかにこちらに顔を向けた。

 

「わたしはもう、一人じゃない。たとえ孤独でも、誰かを信じることができる。そして、信じることができれば──なんとかなるかもしれないと、そう、気づけたんです」


「ふうん」

 

「信じることで、思いはつながる。そんなふうに──そうですね、『信じたい』です。あなたは助けてくれた。家族はまだ現れない。その違いは、多分、一度、疑ってしまったこと」


「疑うのも大事だと思うけどね」

 

「たしかにそうです。でも、信じる力は、何よりも強いです。それは、城のことで、よく分かりました。疑ってしまったから、家族は現れない。でもきっと、信じていれば、いつかは会えると、思っています」

 

「──やっとその答えが聞けたよ」


 フィリップはそう言って、ばさりと大きな音を立ててはばたいていった。

 

「もう、一人じゃない……。信じれば、きっと……」

 

 














 

 ──そのときのことだった。















「何してるの──!」

 



 突然、誰かが抱きついてきた。


「──メアッ⁉︎」


 ツインテールの、妹だった。目に涙をいっぱいためていた。


「心配したんだよ。いつまで経っても帰ってこないから。みんなで、必死に探して──」


 どういうこと? と思った。

 もしかして。フィリップは、自分の体だけじゃなく、世界の形も変えられるのかもしれない。星を見るように、ローラを見つけ、彼女を救うべく、こんな大掛かりな物語を用意してくれたのかもしれない。

 最後まで不思議な人だった。


「信じてくれて、ありがとう」


 ローラは言った。妹に対してでも、フィリップに対してでもあった。そして自分に対してでもあった。

 メアからすれば脈絡に違和感があったらしい。「何でそんなこと言うの?」と首を傾げた。


「教えない」


 夢みたいな数日間だったと思う。

 決していい夢ではなかった。でも大切なことに気づけた。


「これからも、信じるよ」


「だから、なんで、信じる、ってそんなにいうわけ──?」

 

 ローラはにこりと微笑んだ。



          *


 幕が閉じると、拍手喝采に包まれた。

 ローラを演じきった祭里は、疲れ果てて、幕の裏でくずおれた。


「おつかれ。よかったよ!」


 目に涙をためた安斎教諭がそこにいた。


(はじめて、褒めてくれた)


 安斎教諭の近くには、文実のみんながいた。


「もう文化祭も終わりだね」マリナが言った。


「終わりかあ!」突然氷室が叫んだ。あまり聞かないような大きな声だった。「ちょっと泣きそうだ。後野、あんたについてきて正解だったよ」


「何言ってるの、氷室くん」


 祭里は、疲れてひくひくしている口角を、上げた。


「まだだよ。まだある。帰るまでが遠足、片付けるまでが文化祭だよ!」

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