第38話 『Believe』4

 燃え上がる炎は神の雄叫びだった。そんなものが実在するか否かは知らないし知る必要もない。けれど見てくれていた者がいた。

 その者は温かい抱擁と許容をくれた。

 死を希った者の転落をくれた。

 自らの死をもって囚われた者を解放せんとしてくれた──。




 ローラが昼寝から目を覚ますと部屋が焦げくさかった。窓から見える外は夜だ。

 きた、と思った。そのときが。

 フィリップ王子。彼の死に際、ローラが彼を王子だと知った初めの瞬間、彼は言った。


 ──待っていて。必ず救い出す。


 ローラはそれを信じた。逃亡した罪で激しい暴行を皇女姉妹から受けても。それとは別に姉妹から虐待されても。四百人分もの食事を一人で作らされても。手が赤く腫れ上がっても。眠れずに目に黒々としたクマが浮かんでも。

 決して涙は見せなかった。

 信じる力は偉大だった。

 はじめて両親からのギフト以外で得たものだった。

 彼はローラの学才を己の努力の賜物だと言ってくれた。けれどやはり環境だとかは親が整えてくれたものだった。

 信じる力は自分で得たものだ。示してくれたのはフィリップだったが、それを信じ、ここまで苦難を忍びつづけてきたのは自分の意志で自分の力だ。


 ──ついにきたのだ。そのときが。


 ローラは一目散に部屋を飛び出した。


「どこへ行くつもり」


 二人の声が被って聞こえてきた。皇女姉妹だ。


「どこって。こんな狂った城から抜け出してやるのよ」


「この火事に乗じてってこと?」「きたないわ。せっかくいい働きぶりになってきたのに」


 ローラは鼻で笑った。


「すべては今日のためよ」


 いくの、と、姉妹のどちらかが言った。両方かもしれない。


「ワタシたちを置いて」「自由になるつもり」


「自由?」


「ワタシたちはこの城から出られない」「父上と母上は、僕たちに、城から出ようとすると体に電撃が走る呪いをかけている」


「──そんな、ことが」


 あれだけ綺麗な景色を城から見せられておきながら、外に出られない。そんな鬱屈した日々を姉妹は送っていたのか。その思いがゆがみにゆがみ、ローラへの虐待に繋がった。

 自由。束縛。それは対極にあるように見えて同じものなのかもしれない。

 虐待されている間、ローラには、姉妹が自由に見えた。けれど今はどうだ。虐待中の姉妹の様子すら、親に縛られた哀れなものに感じられる。


「──でもわたしは行くわ」


 少し、この姉妹に同情しないわけでもない。けれど、これは責任だ。フィリップを信じて、それまで働いてきた自分への報いという、責任だ。


「行くん」「だね」


「ええ。さようなら。楽しくはなかったけれど、無為でもない日々だったわ」


 ローラは背を向けて城を出ていく。


 城門の前には死んだはずのフィリップがいた。


「……生きて、いらっしゃったんですね」


「ああ」フィリップはふっ、と相合を崩した。


「僕の羽、見せただろう。収納可能なんだ。同様に体も自由に変形させられる。斬首されたあとに復活することはできないけど、斬首される前に体を切り離せば、あとから復活できる。執行の直前に首から上を切り離したんだ」


 ローラは、星空を二人で眺めていたときに、フィリップの羽がなくなっていたことを思い出した。


「これで君は自由だ」


 自由? ローラはその言葉に違和感を覚えた。解放を望んでいた。けれど今は自由という概念に束縛の影を見てしまう。


 ──とはいえ。これは自分で選んだ道なのだ。


「ほら、あそこに僕の従者──ケイリーがいる。一人乗りだが、彼が船を用意してくれた」


 突然、現実に引き戻されるような心地がした。これまで、あの姉妹を倒し、ここから逃げることばかり考えていた。けれど、その先は? 逃げた後はどうするんだ? 元の世界に戻ったとする。でもきっと家族はいない。どこかにいってしまった。


「わたしは、一人……?」


 そうだ。家だってない。友人だっているかわからない。帰ったところでどうするんだ。


「フィリップさん!」


 振り返る。


(いない……?)


 フィリップの姿がなかった。

 そうだ、一人乗り。あの船に自分が乗れば、フィリップは乗れない。だから消えた

んだ。

 突然の孤独。ローラはとぼとぼと歩いていった。




 水面には満点の星々と燃え上がる空が浮かんでいた。ドレスの女性を乗せたボートがノロノロと航行している。女性はたった一人で船のオールを漕ぎ続けていた。それによって、水面の星空と燃え上がる城が揺らいだ。

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