第37話 『Believe』3
「ああ……」
──素敵、と思った。
秘密基地みたいな部屋だ。決して広くないけれど、大きな窓があって、望遠鏡もあった。星座早見表が置かれている。
「誰?」
頭上から声がして、思わず飛び退いた。
「──あっ」
後ろの螺旋階段のステップから、足を、ふみはずしてしまった。
重力から解放されたような奇妙な感覚。全身が浮いている。時間が止まったみたいだ。死ぬ時って、こう、なるんだ。流石にこの死に方は、綺麗じゃ、ないなあ。ゆっくり目を閉じる。
さようなら、世界。
「──あっぶねえ!」
その、声がして。目を開くと、そこに広がっていたのは信じられない光景だった。
「は、羽……⁉︎」
羽の生えた、金髪の美形の少年が、羽ばたきながらローラを抱き抱えていた。
芸術的な一瞬だ。宗教画のモチーフとなるシーンがそこに現れたようだった。
──綺麗、だと思った。すべてが。この少年も、今の光景も。彼が住んで──棲んでいるらしいあの部屋も。
「ふいー。びっくりしたあ」
「び、びっくりしたのはこっちですわ! いきなり、頭上から声をかけないでください!」
喚くように言ってしまったのは、多分、照れ隠しだ。直感のようなものが、あった。この人と生きていたい、という。
え……? 生きていたい? 生きていたい?
おかしな話だ。さっきまで死にたいと思っていたのに。
「君がうわさの新入りプリンセスかい? だめだよ、ネグリジェ──それもこんな薄いの着て外を歩くなんて」
のんきな喋り方だ。けれど発音も綺麗。
「僕はフィリップ。君は──そうだ、ローラか」
「は、はい!」
きっといま頬が赤くなっていると思う。自分のことを知ってもらえているのが嬉しかった。
「でもなんか、うーん。……ボロボロだねえ」
「──っ」
何も言えなかった。
しばらく沈黙がおりた。
みじめだった。
フィリップは、興味なさげに、望遠鏡を覗きはじめた。
「星、好きなんですか?」
「嫌いだよ」
「えっ……?」
「うそだよ」
「────」
自由すぎる。掴みどころのない人、というのはこういう人のことをいうのだろうか。あれ? 羽がなくなっている。収納可能なのか。
「星は好き。でも全然詳しくない」
「……ちょっと、貸してください」
「えっ? いいけど」
ローラはフィリップから望遠鏡を貸してもらい、星空を見つめた。
「有名どころでいうと、あれがオリオン座、おおいぬ座、こいぬ座です。オリオン座のベテルギウス、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン──どれがどれかわかりますか? あの明るいやつですよ。その三つをつなぐと、冬の大三角っていうのができます。ちなみに、冬の空には、『オリオン座大星雲』っていうのがあって、宇宙空間に漂うガスやチリが光って見えているものなんですけど、空の条件がよければ肉眼でも見えるんです。今日は──見えそう! 一緒に見れて嬉しい! あ、ちなみになんですけど、オリオン座大星雲は、『星のゆりかご』って呼ばれてるんですよ。なんでかわかりますか?」
ローラの質問の語尾はどんどん小さくなっていった。フィリップは無言でずっとニコニコしていた。
「……すみません。一人で喋りすぎました」
「ううん。楽しそうに喋るローラのことを見てるのが、楽しかったよ。それに、勉強になったしね。詳しいんだね? 星のこと」
「わたしも、別に、詳しいってほどでは……。ただ、人よりちょっと勉強が得意ってだけで……」
「いいことじゃないか」
「──所詮、親からもらった才能です。美貌と学才だけは、最高のギフトとして、もらいました……けど、ここにきてからは、何の役にも……」
「なにかあったんだね?」
どう答えるべきか悩んだ。家族を失ったこと。暴行されたこと。死にたいと思ったこと。四百人分もご飯を作らされそうになったこと。──自殺しようとして、フィリップに出会って、恋かは分からないけれど、甘い感情を抱いてしまったこと。言っていい、気がした。この人ならわかってくれる。そう確信できた。けれど。
「無理に言わなくていい」
そう、言ってくれて。胸にぴたりとその言葉が吸い込まれていったから。
一筋の涙を頬にたたえて、首を倒し、フィリップの肩に頭を乗せた。
「積極的だね」
「美貌には自信がありますから」
「学才もでしょう?」
「ええ。……でも、どちらも、親からもらっただけにすぎない。本当のわたしの力では、ない」
ここにきてから嫌というほど思い知らされたことだった。
「────本当にそう、思ってる?」
「……え?」
「その星の知識。好きだから、自分で勉強して、自分で身につけたことでしょう? それは君の財産であり、実力だ。しかも、僕を幸せにしてくれた。親のギフトなんかじゃない。君が──」
自分で摑んだ魅力の一つだ。
「──ッ」
ローラは顔を伏せた。
笑え。笑うんだ。嬉しいシーンだろ! 出すのは涙じゃないわ!
「……頑張ったね」
ああもうだめだわ。
罪な人。
死を決意して突き進んだ道の先で、幸福と愛に出会えるなんて。
人生ってわからないものね。
──暗転──
「──うそ! うそうそ!」
城の廊下をローラは走る。
速く。もっと速く。もっと!
城の広間にはおびただしい数の群衆が集まっていた。
壇上に立つ、王と思しき赤と白の装いの太った男が腕を掲げた。
「プリンセス・ローラをたぶらかし、彼女の職務を放棄させた罪で、フィリップ王子を断罪する!」
斬首台の前に、あの、掴みどころのない、雲のようなフィリップがいた。
「──やめて」目に涙を溜めたローラが震えた声で言う。
「執行せよ!」王の声。
音が、消えた。静かな世界で、穏やかな王子は、散る──?
え? なんと? いま、なんと──。
フィリップが口を動かしている。聞こえない。クソ、この距離のせい!
「────」
……聞こ、えた?
いいのですか。それを、信じていいのですか?
フィリップは笑顔で斬首された。
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