第33話 これが心のリレーだよ

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 衝撃的な知らせを受けたのは壇上に立ってからのことだった。


『ミスターコンテストの候補者はもともと四人の予定でしたが、二人が突然辞退したため、二人の一騎打ちとなります!』


 そんなことがあるのかと思った。だがあの細波蓮──細波レンが飛び入り参加してきたのだ。ありえるかもしれない。

 祭里の隣に立つ細波は笑っていた。宝石のような豪奢な装飾が施してある軍服めいた服装をしている。すさまじいオーラを感じさせた。さすがは次世代芸能界のスター候補だ。

 対する祭里は、鎖骨のあたりを強調するような長袖の黒いUネックTシャツに、銀色に煌めくネックレスを合わせていた。服装より、もともとの輪郭を生かしたメイクに重きを置いた衣装となっている。透き通るようなカラーコンタクトと、それを活かせる透明感のある肌を演出するメイクで、どこまで戦えるかだ。

 それにしても暑い。舞台上というのはこんなに暑いものなのか。スポットライトに脳が灼かれているような感覚を抱いた。頭がクラクラする。汗も止まらない。


「大丈夫かい?」


 王子様めいた雅な仕草で細波がハンカチを差し出してきた。一部から黄色い歓声が上がる。


(くッ……どうしよう。ハンカチを受け取って、それで顔を拭いたらメイクがめちゃくちゃになるかもしれない。かといって、それを拒めば、さっき歓声を上げた女子たちの票は見込めないし、このままいけば勝手にメイクが崩れてくる)


 ここまでの暑さは盲点だった。マリナいわく、軽音楽部から、ステージでは熱気のせいで楽器のチューニングが狂いやすいから、チューニングを直す時間が必要で、実際の曲の時間よりも長く持ち時間を設定してほしい、との要請を受けたらしい。それは祭里も聞いていたが、まさかここまでの暑さとは思わなかった。

 メイクに懸けた戦いで、いまその武器が失われようとしている。負ければ明日の劇でアドリブ対応を強いられる。これまでの努力が無駄になってしまう。

 絶体絶命だ。どうする。どうすれば勝てる? とにかく短期決戦だ。色々なアピールを考えていたけれど、そんなことをする余裕はない。派手に動くのもマズい。

 いや、落ち着け。簡単なことだ。

 そう思って、祭里は細波からハンカチを受け取った。


(軽く叩いてハンカチに水分を吸わせる程度ならメイクは崩れない。加減が難しいな。いつもメイクしていれば簡単なのかもしれないけど、私にとってはこれがほとんど初めてのメイクみたいなものだ)


 だが鏡はない。一か八かだ。やるしかない。後ろを向いて、ハンカチでぽんぽんとやさしく顔を叩く。本来なら舞台上でこんなことをやってはいけないのかもしれないが、仕方がない。

 こういうときくらいは細波の力を借りよう。きっといい演出に変えてくれるはずだ。

 ありがとう、と首をかたむけながら微笑み、ハンカチを返す。細波はまた優雅に受け取ってくれた。


(とりあえず問題は先延ばしにできた。あとは短期決戦だ)


『さあ、アピールタイムです! まずは後野祭里さんから!』


「歌を歌います」


 祭里はキャラがぶれないよう、芯のある声を、胸に響かせて低く発した。


 一応曲の準備をしておいてよかった。


 陽気なイントロが流れはじめる。流行りがよくわからないので、とりあえず客ウケがよさそうな曲をかなでに決めてもらっておいた。

 しかし失敗だったようだ。よく考えてみればかなではかなり独特な感性を持っている。客は微妙な反応を示していた。

 けれどここまできたら歌い切るしかない。

 Aメロは低いから問題なかった。キャラを保てるような声で歌う。曲がBメロに差し掛かった。転調して暗い印象になる。歌いきり、ブレイクが入る。問題のサビだ。

 高い。声が出ないわけではないけれど、キャラがぶれる。


「ちょっと苦しそう……」


 観客な誰かが言っているのが聞こえてきた。スピーカーからの爆音の中でも、ただ一人の呟きが聞こえるのかと不思議に思った。ステージからは予想以上に一人一人の顔が見えるし、反応がわかる。

 サビを終え、2コーラス目のAメロに入る。息が切れてきた。汗もびっしょりかいていた。きっとメイクは崩れているのだろう。人前で歌う緊張感はすでに麻痺していた。

 Bメロが終わり、ブレイク。2サビだ。

 ああ、裏返った。苦しい。声が出ない。ここまでか。

 メイクは崩れた。唯一戦えたかもしれない声もいよいよ枯れそうだ。終わった。

 

 ──声を、止めかけた、瞬間。


 突然細波がメインメロディを歌いはじめた。高音のパートも綺麗に歌い上げている。なんで? と思ったけれど、瞬間的に彼の意図を理解した。


(もしかして、助け舟を……?)


 苦しい高音パートは歌ってやる。低いハモリのパートでもいいから、最後まで歌い切れ。そう言われている気がした。

 そういえば細波はハンカチをくれた時も決して悪意があるようではなかった。たまたま祭里がピンチだったからネガティブな受け止め方をしてしまっただけで。

 何を考えているのかはわからないけれど。明確に助けてくれている。最後まで戦おうと、横顔が語っていた。

 二サビを終え、間奏の盛り上がりののちに、一気に静かになるCメロ。そこは祭里がメインメロディを歌い、わかっていたかのように細波は黙った。2コーラス目までより長いブレイク。ラストの大サビがくる。


 


 いいよね? 細波に目線を送る。ブレイクのタイミングで舞台は暗転していた。反応は見えない。伝わっているかもわからない。でも、確実に伝わっている気がした。

 思い切って、声を張って、メインメロディを歌う。やはり細波はハモってくれた。

 なぜかこれまでの想い出が蘇ってくる。


 はじまりは孤独だった。そこから、ソフトボール大会を通じてマリナや氷室と分かり合い、かなでや細波とも出会って、厳しい現実や運命に何度も何度も打ちのめされ、安斎教諭の描くストーリーの駒だったと思い知り、それでも諦めないと強い気持ちを持った。これまでいいことばかりじゃなかった。喧嘩して別れたりもした。その度に相手の気持ちに気づいて、それを、繋いできた。そして今、かつて宿敵だった相手と、完璧なコンビネーションで歌っている。


 ──これだ。これがやりたかったことだ。


 大サビの半分が終わった。再びブレイク。ブレイクの間に、祭里は叫ぶ。


「みんな、歌ってくださいッ!」


 もう男装したキャラは崩壊していた。そこにいるのは素の後野祭里だった。

 そうだ。ようやくわかった。かなでがこの曲を選んでくれた理由。CMソングだ。大サビをみんな知っている。このブレイクののちにキーが一つ上がって、みんながよく知る部分がくる。

 みんな歌ってくれた。

 これだよこれ。見てる? おじいちゃん。みんなの思いを繋ぐ、これが心のリレーだよ。やっとわかった。やっとつくれた。

 楽しい。気持ちいい。他に何て表現すればいいんだろう? 詩的な表現とかレトリックとか、そんなのはいらない。この、胸が暴れて、全身が叫ぼうとしてるような感覚。過去も未来も考えられない。いまこの瞬間を生きている感覚。幸せだ。歌おう。叫ぼう。魂の赴くまま。

 歌いきった。出しきった。体からふっと力が抜けて、倒れる。スポットライトからずれてしまった。数秒前まで私が当たっていたスポットライトに、『おたのしみかい』のあとの孤独だった自分が、俯いて体育座りをしている。


 ──私の名前、なんでこんなのにしたの?

 ──ほんっとにタイミング悪すぎ! お前の名前、マジでピッタリだよな! クソが。くたばれ!

 ──私は後野祭里。いっつも手遅れになってから気づいて後悔するんだ。


 辛かったよね。苦しかったよね。

 抱きしめてあげた。周りからはどう見えているのだろう。突然空気を抱きしめたように見えるのか。

 顔を上げる。みんな笑っていた。祭里もにこりと笑った。

 今この瞬間、みんなの笑顔を、つなげたんだ。心のリレーのバトンを自分が託されるなんて、昔の自分なら考えもしなかったと思う。


「みんな、ありがとう!」


 もう一度、にこりと笑う。

 文化祭は魔法の舞台だ。そしてその魔法をかけたのは自分のこれまでの葛藤と頑張りだった。そう思うのはおこがましいことだろうか。

 舞台袖でマリナと氷室が笑っている。隣の細波に手を差し伸べられた。

 バトンがつながっていく。そんな感覚に浸っていた。

















          *


 カウントダウンが始まった。幕が上がる。いよいよ始まる──。


 ドレスに身を包んだ祭里は後ろへとふりかえり、笑った。


「みんな行こう! 最後だよ!」



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