第31話 開幕
1
プレハブの窓からのぞく空は鉛のように重い鈍色だった。土臭さと壁に雨粒がぶつかる音が室内で踊っている。あいにくの天気だった。
「雨……だね」
「雨……だな」
祭里の言葉に反応してくれたのは氷室だった。
「ま、なんかそっちの方がアタシらっぽいじゃん」
マリナがニシシ、と歯を見せて笑った。この笑い方も久しぶりに見た気がする。
祭里は思わず失笑した。「あはは」なんだかおかしかった。相変わらずタイミングが悪い。──今日は文化祭一日目だ。これまで必死に積み上げてきた成果をぶつける大事な日なのに。
「そうだね。こっちの方が、私たちっぽい」
プレハブには顧問の安斎を除く文化祭実行委員が全員集まっている。
後野祭里。
氷室祐介。
勅使河原麻里奈。
手嶋かなで。
細波蓮。
「ねえ覚えてる? 今日までのこと」
マリナが珍しく感傷的な調子で喋りだした。
「かなで以外は、みんな保育園の時の呪いに縛られてた。それぞれが自分も相手も恨んでた。ソフトボールやって、いいんちょーが頑張ってくれたおかげで、アタシ、いいんちょー、氷室の三人が打ち解けられて。ようやく前に進めると思ったら、レンくんが来て。みんな、それぞれの中で燻って想いに駆られて、またバラバラになりかけて。でもいま、こうして、みんなで協力してる。なんだか奇跡みたいじゃない?」
祭里は頷いた。本当にそうだと思う。この奇跡が作られたものであったとしても。これまでの日々は宝物だ。
「……いこっか、」
祭里はパイプ椅子から立ち上がった。プレハブの奥の方にある横断幕を見る。また寄せ書きの数が増えている。徐々に、徐々に、心のリレーがつながれていっている。
「──開会式」
2
開会式は大盛り上がりだった。マリナが口説き落としてくれた曲者軽音楽部の演奏からはじまり、祭里が挨拶し、文実のみんなでパーティクラッカーを鳴らして終わった。
祭里たちが来客や生徒からの質問に対応しているうちに、あっという間に三時になってしまった。一日目の行程終了時刻だ。これからは中夜祭となる。
「祭里ちゃん」
プレハブに戻ってきていた祭里に、かなでが声をかけてきた。相変わらずのウェーブのかかった長髪を揺らしている。その髪型と、マスクをしているせいか曇っている眼鏡が、彼女を不審者然に見せかけていた。
「誰かと思ったよ」
「ひどい」
「……これから、よろしくね」
「もちろん。任せて! 祭里ちゃんを絶世の美少年にしてあげるわ」
中夜祭ではミスコンテストとミスターコンテストがある。祭里は気合を入れ直し、かなでと二人でプレハブを後にした。
3
体育館の裏手側の階段は薄暗い。ライトが壊れているのだ。緑色の外壁に包まれていて、言い知れぬ奇妙な心地がする。
「なんか不気味だね」
「────」
「かなでちゃん?」
かなでは少し緊張しているようだった。
「実は……」
彼女がいいかけると同時に、祭里は控室の扉を開いていた。
「何──」
祭里はそう訊こうとしたが。すぐに無駄だと気がついた。かなでが言おうとしていたことに祭里も気づいた。
「やあ」
そこにいたのは細波蓮──いや、細波レン、その人だった。テレビで見る人のような輝かしいオーラを放っている。
「後野祭里」
「はい」
彼が祭里をフルネーム呼びするのは相変わらずだ。それにしても、まさか彼がミスターコンテストに出場するなんて。事前に聞いていない。
「あ、事前に聞いてないって思ったね?」
「────」
「それはそうさ。飛び入り参加だからね。安斎先生の許可はもらってるよ。その許可は参加だけじゃなくて──」
かなでが息を呑む音がした。彼女は知っている。細波がこれから何を言おうとしているのか。
「この
「アドリブ⁉︎」
祭里は絶叫した。どくどくと心臓が早鐘を打っている。アドリブなんて。たしかに、父との思い出を思い出してから、祭里は一通りの演技ができるようになった。けれどアドリブなんてことをされたら対応できない。
「僕は大勢の前で大恥をかいたことがあるからね。……君たちのせいで」
細波が過呼吸になったあの『傾国の美少年』の公演での一件だろう。
「そんな逆ギレめいたこと」
「わかってるよ。冗談さ」
祭里は胸を撫で下ろし、息をついた。よかった、と思った。
「でもアドリブをするってことは冗談なんかじゃないよ?」
「えっ──」
こちらに背を向けた細波は、不敵な笑みを浮かべた。
「このコンテストで僕を倒せなければ。君は明日──大勢の前で僕のアドリブに振り回され恥をかくことになる」
「そんな……」
どうしてこんなことをしてくるのだろう。まったく解せない。まだ細波は祭里のことを恨んでいるのだろうか。たしかに、妹との一件を鑑みると、心の奥深いところでは許しきれていない、というのは頷ける。
「じゃあ、そういうことだから。じゃあね。僕は男子更衣室いってくるよ」
わからない。その背中は何かを語っている。けれどその何が何なのかがいっこうに読めなかった。
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