第28話 永遠の笑み
1
●脚本 王子とプリンセスの離別シーン
夜の海岸に立っている二人。王子がプリンセスに背を向けている。二人は海の方ではなく、海岸の先を見つめている。海面と、そこに映る夜空には満月と
王子「もう、いくよ。」
言いながら、王子はわずかにプリンセスの方に顔を向ける。プリンセス側からは頬がかすかに見える程度。王子はすぐに顔を戻し、言葉を継ぐ。舞台を暗転させ、涙を模した光の粒を垂らす。
プリンセス「いやです!」
強く叫ぶが、すぐに「──なんてもう、言いません。」と自分で否定する。
プリンセス「気づけ、たんです。王子さまのおかげで。わたしは──」
そう書かれた台本の続きは、他の部分と比べて異様なほど皺がついていた。液体が垂れたような水滴の名残も見られる。
「わたしは……」
何度も、続きのセリフを、言おうとするけれど。言えない。言おうとしても、中身のない、魂の抜け殻のような声しか発せない。人前で歌うのが恥ずかしい、という感覚に似ている気もするが。何かが違う。
(そうだ、この感覚は……)
「──嘘、だ」
嘘をついている、感覚だった。
ふと、勉強机の上にかかっているカレンダーを見る。今日は九月一日だった。
忙しい夏休みはあっという間に過ぎ去ってしまったのだ。
青い空に浮かぶ白い雲を眺めながら登校し、夜空に浮かぶ三日月を振り仰ぎながら帰る日々だった。
文化祭の企画は大方形になってきた。
中夜祭や後夜祭のイベントの内容はもちろん、軽音楽部のライブハウスや、運動部による模擬店、理工学部の創作物展示など、各部活のブースをどの教室で行うかも決まった。
その中で、いろんな部活の関係者と祭里は関係を持った。そういった人たちは協力的だった。登校して文化祭に関する仕事を手伝ってほしいと言えば、夏休み期間にもかかわらず飛んで来てくれた。
祭里の外見にも変化が起こりはじめていた。
病人のようだった青白い肌は、ずいぶん血色がよくなった。真っ直ぐだがどこか縮れたようになっていた髪は、艶めきを放つようになった。
ミスターコンへの練習で男装をしたり、劇でプリンセスになりきったり、人から見られる機会が増えたから、だろうか。そして「かわいい」「かっこいい」と言ってもらえることが増えたから、だろうか。
彼女は声にもハリが出るようになった。抑揚の付け方を覚え、身振り手振りも使えるようになった。
だが、自分が変わっている、という感覚は、あまりなかった。
祭里は、打ちのめされた第一回文化祭企画本会議前打ち合わせでのことを思い出す。会議の途中で、ある女生徒に「じゃあ、委員長の交代を前向きに考えるのね⁉︎ 向いてないんだから!」と言われた祭里を庇うように、氷室はこう言っていた。
「たしかに向いてない。──今はな」
その後に、「どういうこと? これから変貌を遂げるとでも言うの?」とその女生徒に聞かれ、
「半分正解で、半分間違ってる。──まあ、見てろって」
と答えたのだった。
半分間違ってる──。つまり、祭里は、もともとは明るかったのだ。例の『おたのしみかい』での一件までは。主体的にその準備に取り組んでいたのだから。体調を崩してしまうほどまでに。
いま、祭里は、自分があの頃に戻れると思っている。『おたのしみかい』でねじれてしまった世界線が、あるべき形に収束した、という具合に。
だが、いや、だからこそ、あのセリフが、言えないのだ。氷室が言っていた「半分正解」に、いまだ辿りつけていないのである。つまりまだ、変わるべきところが、変わっていない。元に戻っただけで、なんら変わっていない。
「わたしは……」
やはりまだ、言えない。それどころか、このセリフ以外の演技がいいのかと訊かれると、決してそうではない。
──まあまあ、ね。
安斎教諭からの評価は依然としてそれだった。
「間に合う、かなあ」
文化祭で劇を行う本番は九月二十五日だ。文化祭自体は二十四日と二十五日に開催され、二十四日にはミスターコンテストとミスコンテストが開かれる。
(時間が、ない。がんばらなきゃ)
白のセーラー服、その緑色のスカーフを、汗の滲んだ手で締める。鈴城高校の制服にスカーフ留めはない。
革靴を履き、玄関扉を開いて、朝の光に満ちた世界に一歩を踏み出す。
進んでいるのに進んでいない。光に向かっているのに、その光が本物かどうか疑ってしまう。拭いがたく残っているその感覚が、いたく奇妙に感じた。まるで、なにか、置き去りにしてきた何かを忘れているようだった。そしてそれは、祭里にはうまく表現できないが、子どものような、何か、だった。子どものようなもの、もしくは、子どものように大切なもの、だと思うが。それが何かはよくわからない。
祭里の家のリビング──そのテレビの前に置かれた家族写真で、父の永遠の笑顔が朝日を受けて煌めいていた。
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