第23話 『風』(3)
かなでが喋りだしたのは、彼女がリサーチをしたすえに気づいたことだった。「それは──」
「すべてが、本当だったってこと。でも、それを『本当』の一言だけで言い表すのは、あまりに軽薄……だったんだ」
彼女の言葉に続けて、細波が語りだす。彼の顔には、己の死を悟った小動物のような、ある種の諦めを感じさせる虚ろな笑みが浮かんでいた。
*
──許せなかった。
なにがあっても。
だからあの日、誓ったんだ。
「凛。必ず……」
遡ること──あれ、何年だっけ。まあ、そんなことはどうでもいい。因縁の『おたのしみかい』、その数ヶ月前のこと。
僕やマリナ、氷室祐介、そして後野祭里たちの「ももぐみ」は、『おたのしみかい』の発表で劇をやることになったんだよね。多数決で合唱に勝ったんだっけ。
そのストーリーなんかは、まったく覚えていない。きっと先生が作った脚本に、子供たちが適当なアドリブを入れたせいで話が崩壊していたんだろうな。
僕は目立つことが好きだったからさ。すぐに主役の勇者役に立候補したよ。覚えてる? もちろん、当選したよね。
そういえば、あのころの後野祭里は、今とはだいぶ違っていたよね。ずっと無邪気に笑ってて、明るくて。劇では、ヒロインのお姫様だった。それも、自分から立候補して。
役に選ばれてから本番まで、僕も、後野祭里も、必死で練習したよね。もともと合唱派だった人とかはあんまり協力的じゃなかったけど、僕ら主役陣は、とにかく本気で頑張った。
……僕には、妹がいてさ。──凛っていうんだ、名前。とにかく愛おしくてさ。大事な妹だった。
お姫様になった後野祭里の、練習中の写真を見せたりするとさ、「かわいい〜っ!」て目をキラキラさせて喜ぶんだよ。悶えたり、身を
──妹は先天性の病気だったんだ。入院着くらいしか着たことがなかった。
そんな妹は、『おたのしみかい』を楽しみにしていてくれたよ。ほんとうに、心の底から。
「おにいちゃん、ぜったいみにいくからね!』
忘れられないよ、あの言葉。
そして迎えた本番当日。
──後野祭里。君は、風邪でやすんだよね。
そのせいで、妹が楽しみにしていてくれた劇はめちゃくちゃなものになった。君の代わりなんかいなくて、周りのアドリブも使い物にならなかったから……僕が必死に埋め合わせた! どれだけセリフを噛んでも、醜態をさらしても、それでも、必死で! 妹が、そこにいたから! あんなに楽しみにしてくれていたから‼︎
……終演後。妹のところに行ったんだ。そしたら、どうなっていたと思う。
僕はびっくりすることすら、できなかった。
凛の意識が、朦朧としていたから。すっ、すっ、って、うまく息が吸えないみたいだった。
後から聞いたんだけど、凛は病院から出ることを禁止されていたんだ。それなのに、無理をして出てきて。
もうほとんどない視界で僕をさがして、それでも見つからなくて、腕を伸ばして、小さな手を必死に動かして……。結局、僕の存在に五感のどれで気づくこともできずに、僕がそこにいると信じて、こう言った。
「──おひめさま、見たかったなあ。見た、かっ、た、なあ……」
そのあとのことはもうほとんど覚えていないよ。家族全員、そして看護師さんまで医者に怒られて。妹は助からなかった。
──許せなかった。誰をかは、未だにわからないけど。
なにがあっても。
だからあの日、誓ったんだ。
「凛。必ず僕は君にお姫様を、彼女を見せてみせる。そして、舞台に立って、君に面白いと思ってもらえるような劇をする。何が何でも、絶対に……」
……でもね。翌日、保育園に行って、後野祭里の顔を見たら、どうしようもないくらい怒りが込み上げてきて。
あとは、君たちが知っている通りさ。
*
「……その後の僕は、妹の死が受け入れられなくて、人を睨みつけながら生きていたな」
その細波の言葉を聞いて、祭里は──目、と思った。細波と氷室の、共通点。それは、目、だった。何か大事なものを失った人の、虚ろな目。その目の印象があまりに強くて、祭里は高校入学当初、細波と氷室を間違えたのだった。
「……細波くんは」かなでが口を挟んだ。「細波くんは、妹さんとの誓いのために、劇の世界に飛び込んだんだよね。脚本に意見したのは、たまたま名前が同じ『リン』だったヒロインに、妹さんを重ねてしまったから。妹さんに、伝えたい言葉があったんだよね」
彼女がレンくんではなく細波くんと呼んだのは、単なる呼び間違えではない気がした。
「……そうだよ。最後のセリフ……。生前の凛に、言えなかったから。凛は、いっぱいいっぱい幸せをくれたのに。僕は、何も言ってあげられなかった。だから……。ノーズの口を借りて、言わせてもらった」
──さよならだ。
──ありがとう、リン。
きっと聞いてくれていたはずだからと、誰に宛てたのか判然としない方向に向かって言い、彼は話を締めくくった。
そのとき。ぎぃ、という音が聞こえた。振り返って見てみると、音楽室の扉が開かれていた。文実以外の生徒は残っていないはずなのに。
「……そろそろ、潮時かな」
清艶な声が、音楽室にこだました。
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