第18話 向いてねえよ(4)

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「──もしもし」


 祭里が電話をかけると、忙しいであろうその人は、すぐに電話に出てくれた。


「突然すみません。お話、聞いてもらえますか」


          *


 電話口の人は、胸によく響く爽やかな低めの声で話す。

 その声を聞いただけで、入学したてのころに見たあの人好きのしそうな顔が、頭に浮かんできた。


「先輩……」


 祭里が電話をかけた相手は、昨年の文化祭実行委員長である速水悠だった。

 祭里は、今日までの経緯などを速水に打ち明ける。どんな言葉を選んだかはまったく覚えていない。

 一つ言葉を発せば別の感情が湧いてきて、正体をつかめない思いや言葉が胸の中でこんがらがる。力が入りっぱなしの心臓は、ドクン、ドクンと重みを感じさせる音を奏でつづけていた。

 電話をかけたときにはまだ赤かった空は、祭里が必死で話しているうちに、完全に夜の姿にめかし終えてしまった。窓からは星影が見える。

 その間、速水は相槌を打つのを除いて、一度も口を挟まなかった。もしかすると、受験勉強をしながら彼女の話を聞いていたのかもしれない。

 受験生の貴重な時間を奪ってしまったという罪悪感と、それでもとめどなく溢れ出てくる、話を聞いてくれる人がいるという安心感が、変わりばんこに頭の中を駆け巡る。

 下手に口を挟まず、相槌だけを打って感情を共有してくれる速水の態度が、彼女にとってはこの上ないほどありがたかった。

 いつからか、電話口から風の音が聞こえるようになっていた。

 しばらくすると、足音も聞こえてきた。それが電話口からの音なのか、現実の音なのかわからない。プレハブの近くの草を踏みつけるような音がして、また懐中電灯のような光が窓から差し込んできて、その足音が現実の音なのだと気づいたとき、眉から力が抜ける感覚があった。


(ああ、警備員さんが来たのかな。もうこんな時間……。帰らなきゃ、先輩との電話も、そろそろやめなきゃ)


 祭里は、知らず知らずのうちに無言になっていた。電話口から聞こえる風の音だけが、プレハブに響いていた。


 ──思えば、ずっと孤独だった。


 ソフトボールの授業に必死で取り組んだり、氷室やマリナ、かえでとともに過ごしてきたりして、はじめて「友達」というものを知れた。たしかに、間違いなく、楽しかった。


 ──でも。それでも孤独だった。それは祭里だけでなく、みんなもだった。


『おたのしみかい』の一件について、お互いの悩みをぶつけ合い、解決したつもりでいた。でも、そんなことはなかったのだ。


 あれだけ明るく、みんなのことを思って動いてくれていたマリナでさえ、独りで悩みを抱えていた。

 マリナとの関係性が悪化したあの日の屋上での様子から察するに、氷室もまだ人知れず悩んでいるのかもしれない。

 かなでも、いまだに学校に来ていないということは、きっと何かに苛まれているのだろう。

 速水と話している間、といっても一方的に言葉を投げつけているだけだったけれど、自分は独りではないのだと思えた。

 文実委員長として頑張りたいのに、あまりにも向いていない。頑張りたいと大声で言うこともできはしない。周りに向いていないから辞めろと言われても、言い返すことができない。

 そんな無力感が、自分だけのものではないような気がしたのだ。思いを共有してくれる人がいるのが、こんなにも心強いなんて、知らなかった。

 でも、そんな時間はまもなく終わりを迎える。

 警備員に帰るように促されるシーンを想像するだけで、夢から醒まさせられるような感じがした。

 帰る、という言葉が、終わりを連想させたからだ。帰る、終わる、孤独──その一連の流れが頭を駆け巡ったとき、どこか鼻白むような感覚があった。

 ついに、プレハブの扉の前で、あの足音が止まった。

 いよいよ『終わり』のときがくる。

 扉が、開いてゆく。


「──えっ……」


 そこに立っていたのは、


 スマートフォンを左耳に当てた速水だった。

 

 彼は息を切らしながらも、爽やかに微笑んでみせる。右手には、懐中電灯があった。


「急にきちゃってごめんね」


 あの電話口から聞こえてきた風の音は、速水が学校ここに向かって走っているときの音だったのだ。


「どうして……」


 速水はプレハブの看板のあたりに自転車を立てかけ、ゆっくりとした足取りでプレハブの中に入ってきた。


「後輩が悩んでるんだから、当然でしょ」


 彼はもう一度微笑んだ。先ほどよりも優しげな笑みだった。「──泣いた?」

 祭里はごく自然に頷く。嘘をつく必要も、自分を偽る必要もないと思った。速水は、そういう人だった。


「……はい。打ち合わせのあとにプレハブに来てからも、速水先輩と電話をしているときも」


 はは、と速水は笑った。「なつかしいなあ」


 彼は、祭里の近くにあった椅子に座って、「──後野さんの話聞いてて、色々思い出しちゃった」と言った。


「……今度は、僕の話を聞いてくれる?」


 

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