第15話 向いてねえよ(1)
*
いつからか、膝が震えていた。
目が怖い。みんなの目が。
「できないならできないと、早くおっしゃってください」
1
棚田のような階段型の構造の音楽室に、祭里たちは集まっていた。東棟は新しい校舎であるから、その三階に位置するこの教室でもほのかに木の香りがした。左手にある窓からは、まばゆい陽光が差し込んでいた。
「三時四十五分になりましたので、第一回・文化祭企画本会議前打ち合わせをはじめます」
議事の口火を切ったのは、司会進行役の男子生徒だ。生徒会に所属する二年生らしい。この集まりのために音楽室に招集されたのは、生徒会役員と一・二年生の各学級委員だ。
司会の彼は、フチの大きい眼鏡をいじりながら議事を進行する。
「この会議は、本日から約三週間後に開催される、文化祭企画本会議の準備のための打ち合わせです。今年度も例年どおり、二回開催されます。本日と、本会議の七日前──五月十八日にです」
彼の
「文化祭実行委員が立案した企画を、我々生徒会と各学級委員で審議する形で議事を進行させます。本日は、二日間ある文化祭のお昼の時間と、文化祭二日目の通常行程終了後の後夜祭のそれぞれにおけるイベントの企画について審議します」
司会が祭里を指名した。「──それでは文実委員長、どうぞ」
祭里は慌てて立ち上がる。隣には氷室もいたが、いつも通り涼しい顔をして押し黙っていた。
立ち上がった祭里の姿を見て、音楽室にいた皆がざわつく。文化祭実行委員が誰かについて祭里のクラス以外の生徒が知るのは、今日がはじめてだった。
彼女は喋りだすが、声があまりに小さくて誰も話の内容を聞き取れない。マイクなどは用意されていなかった。音楽室のあちこちで
「……もう少し、いえ、今よりもだいぶ大きな声で話してもらえますか」
そう促され、祭里はそれに従う。張り詰めた空気感が、重くのしかかってくる。
「こ、後夜祭では……軽音楽部のバンド演奏や、有志団体によるダンスなどを考えていて、お昼は、カラオケ大会などを……」
最低限聞き取れるくらいの声量にはなったが、話しぶりは
「──それだけですか?」
戸惑った様子で司会が
すると、司会という立場上言いにくいであろう彼の心の声を代弁するように、あちこちから企画力低すぎだろ、大丈夫かよ、などと野次が飛んだ。
「……では、今の案についての審議に入ろうと思いますが」
司会がそう言うと、「ちょっと待って」とどこからか声が上がった。
「審議の前に、一個心配事があるんだけど」
そう言って立ち上がったのは、明るい茶色の髪の男子生徒だ。彼は二年三組の学級委員らしい。
「えっと、後野さん? そんなおどおどしてて、文実委員長できんの? 大丈夫?」
祭里を詰るふうではなく、何とはなしに言うような彼の口ぶりが、かえって祭里の心を深く抉った。
そのとき、教室の左前の、一年生の学級委員が固まっているあたりで、突然一人の女生徒が立ち上がった。
「──あたしもそう思います!」
祭里はその女生徒に見覚えがあった。
彼女は、細波が昼休みに黒いワゴン車で登校してきたあの日、──次の委員長、レン様を差し置いて委員長になったんだから、ちゃんとしてほしいよね──と言っていた女生徒だ。彼女は、先ほどの彼とは違って明らかに敵意を剥き出しにしていた。
「今からレン様に替わってもらったら? レン様はちょうど今やってる演劇公演で、脚本に意見したりもしてるんでしょ? こんな企画力もコミュニケーション能力もない根暗そうなやつより向いてると思いまーす」
胸糞悪くなるほどいやらしい口ぶりだ。
そのとき──いや、それより前からだったかもしれない。気付いたときには、祭里の膝は震えていた。彼女は座っているため、周囲からその様子は見えない。
司会役の生徒が口を開く。
「私も現文実委員長が職務を履行できるとは思えません。不信任採択による委員長の弾劾制度は本校にはありませんが。向いていない生徒が無理に頑張るより、向いている生徒が担当した方が、双方にとってプラスだと思います」
件の女生徒は見るからに嬉しそうな顔をしていた。さだめし──やった! これで文実委員長になったレン様のもとで働けるかも⁉︎──とでも考えているのだろう。
司会はあの射すくめるような視線を祭里に向けた。そして、生来の険のある声で彼女に問いかける。
「文実委員長には、全校生徒の前に立って話したり、他校とコンタクトを取ったりと、とにかくコミュニケーション能力が求められます。そのようなこと、あなたにできますか?」
祭里の膝の震えはおさまる兆しを見せない。
「できないならできないと、早くおっしゃってください」
目が怖い。みんなの目が。
周囲の全員が敵であるように見える。
すると、とたんに頭の中で狂った音楽が流れはじめた。見えている世界はコンピューターのスクリーンがネガポジ反転するように変色し、どこからかカラスの
(あ、あのとき……)
あの『おたのしみかい』の一件でも、こんなふうになった。
「──ご、ごめんなさい……! ごめんなさいッ!」
祭里はひたすらに謝る。その様子を見て、再び皆がざわつく。
ひたすら謝ること──それこそが、彼女にとって最大の防御反応だった。
内臓が
怖いのは、みんなの目と、向けられる敵意。ずっとそうだ。あの日から。
「──向いてねえよ」
突然そう言ったのは、氷室だった。
「地味だし、コミュ力低いし、正直向いてねえよ。
祭里は俯く。そんな彼女を視界の端に捉えながら、未だに立ち上がったままのあの女生徒が嬉々として叫ぶ。「じゃあ、委員長の交代を前向きに考えるのね⁉︎ 向いてないんだから!」
氷室は首を縦に振らず、彼女に視線を向けた。「たしかに向いてない。──今はな」
「どういうこと?」
彼女は怪訝な顔になる。「これから変貌を遂げるとでも言うの?」
「半分正解で、半分間違ってる」
氷室は意地の悪い笑みを浮かべた。
「──まあ、見てろって」
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