第13話 悪夢の残り香

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 その記事は、金曜日のネット上で大きな話題となった。


『人気上昇中の高校生俳優・細波さざなみレン、演劇公演初日に舞台上で倒れる』


「大変な日に行っちゃったねー」


 スマートフォンの画面をスワイプしながら、安斎教諭は言った。その日の昼休み、教員室でのことだった。


「きのうの公演のチケットは払い戻しになるみたいね」


 祭里は小さく頷いた。口を開く気にはなれなかった。教室でのマリナの様子を見ていたからだ。


「ま、気を取り直して、仕事しようか。ようやく文実らしい仕事が回ってきたからね。詳細は、放課後に伝えるよ」


 祭里は押し黙ったまま頷いた。教員室を辞すと、暗澹とした気分の中をノロノロと歩いていった。


          *


 祭里が教室に戻ってくると、そこでマリナは呆けていた。髪は少しそそけている。友だちに話しかけられても、苦しげな笑みを返すだけで、いつものように軽口を叩いたりはしなかった。

 祭里はどうしようもなく気重だった。まだ昼休みは十数分残っている。屋上の空気を吸いに行くことにした。

 マリナは、教室を去る祭里の姿を視界のはしに捉えていた。



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 屋上には氷室がいた。土曜日のように校庭を眺めたりはせず、フェンスに寄りかかって焼きそばパンを食べていた。購買部で買ったものだろう。

 祭里は氷室に声をかけた。飛距離が伸びない紙飛行機のような、煮え切らない声だった。


「……ごめん、氷室くん。せっかくマリナちゃんを元気にしてくれたのに。私のせいで、また……」


 氷室は焼きそばパンを頬張ったまま口を開く。何を言っているか最低限は聞き取れた。


「ひかたねーよ。あんなん、予測できるやついねえし」


 彼はそこまで言ったところで、頬張っていた分の焼きそばパンをすべて呑み込んだ。


「それに、アイツを元気にしたのは俺じゃなくてポン助だ」


「──なにコソコソ喋ってんのさ」


 突然、屋上の入り口から声が聞こえた。祭里は振り向く。そこにいたのはマリナだった。


「もしかして、あたしを元気づけようとして、いろいろやってたの?」


 感謝を伝えるような口調ではなかったので、祭里は返答に困った。氷室はいつものように涼しい顔をして黙っている。


「いやいや、そんなことしなくていいって。あたしは、自分で……」


 マリナの声は震えていた。


「なんか、様子がおかしいとは思ってたんだよ。いいんちょーも、氷室も、なんか隠してるみたいで」


 祭里はおっかなびっくり反駁する。「ちが……隠してたつもりは、」


「──あたしにはそう見えた!」


 突然マリナが叫んだ。祭里は思わず身をすくめる。すると膝が震えはじめた。まだ叫び声に対する恐怖は拭えていなかったのだろうか。昨日の劇のときは、大丈夫だったのに。


「あたしは、自分一人でなんとかできる」


 マリナはそう吐き捨てるように言って、屋上を去ってしまった。

 祭里は助けを求めるような視線で氷室を見つめる。彼は腕を組んだまま、マリナが去ったあとの入り口をじっと見据えていた。


          *


「あんな言い方しなくていいじゃん」


 屋上からの帰り道でそう呟いたのは、


「──あたし」


 マリナだった。


(レンくんと再会した水曜日から、なんか変だ)


 自分のはらの中で、真っ黒で重たい何かがずっと渦巻いている。

 

(あたしは、いいんちょーたちを守らなきゃいけないんだ。なのにさっき、あんなことを……。ダメだ、早く、こんな想いも……あんな想いも、全部、捨てなきゃ、断ち切らなきゃ。自分で。だって……)


          *


「多分だけど」マリナの姿が完全に見えなくなってから、氷室は口を開いた。「アイツに、アンタの考えは伝わってない」


 祭里は頷く。「私もそう思う」


「アイツの気持ち、今の俺にはなんとなく分かるんだ。突然怒りだした理由も。きっと……」


 氷室はそこまでで話を区切り、視線を空に向けた。言葉の続きを、過去の記憶を思い出すことで埋めようとしているのだろう。


「あのとき……」


 次に彼は視線を祭里に向けた。話を戻すぞと言うように。


「──アイツはいま、土壺どつぼにはまってるんだと思う。きのうアンタが細波の劇に文実委員を連れていった本当の理由を、アイツがちゃんと納得してくれるといいんだけどな。たぶん、しばらくムリだ」


 前の俺ならそうだったと思うからと、氷室は小さく呟いた。

 


          3


「いきなり大変な仕事だよ」


 安斎が言った。祭里は、安斎が昼休みに言っていた「仕事」の内容を彼女から聞くために、放課後の教員室を訪れていた。


「一ヶ月以内に、文実主導の文化祭企画を三つ以上用意すること。そしてちょうど一ヶ月後に開かれる学級委員と生徒会役員が集まる会議で、その企画に出席者の六割以上の賛成を得ること」


 安斎は不敵な笑みを浮かべていた。


「これ、思いのほか大変だよ。毎年毎年、生徒会が強くてね。会議本番の前にも数回小さな打ち合わせがあるんだけど、毎年文実はボコボコにされてる」


 祭里はとにかく暗澹とした気持ちだった。


(マリナちゃんも本調子じゃないのに、そんな大変なこと……)


「……わかりました」


 祭里は喉でつかえていたその言葉を、なんとか口から押し出した。


「浮かない顔してるね、大丈夫?」


 祭里は曖昧に相槌を打って、教員室を辞した。


         *


 文実委員のプレハブの扉を開くと、そこには氷室だけがいた。


「あれ、マリナちゃんとかなでちゃんは?」


 氷室は面倒くさそうにかぶりを振ってみせた。「勅使河原はきてねーよ。手嶋はガッコー休んでるらしい」

 祭里は肩を落とし、思わず大きなため息をついた。


(もう、タイミングが悪すぎる……。私、いつもこう……)


 しかしいつまでも思い悩んでいても始まらないと思い、冬に布団から出るときのような煩わしさを押し殺しながら、口を開く。


「……さっき、安斎先生から仕事をもらったんだ。とりあえず、二人が来るまでは、私たちだけでやろっか」


「ああ」そう言いながら、氷室は窓のほうを見つめていた。


 そして、空気がわりぃな、と呟きながらゆっくりと席から立ち上がる。窓を開けながら、彼は祭里に訊いた。


「──内容は?」

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