第12話 違和感


「──氷室くん」


 氷室の家が見えてきたところで、祭里は彼の名を呼んだ。右手には、小さな公園が見えた。


「お願いがあるんだけど」


 氷室はその内容を聞き、目を剥いた。


「正気か?」



         1


 木曜日も、放課後に文実委員はプレハブに集まっていた。祭里だけがまだいない。

 彼女は、教員室で安斎教諭と話をしていた。


「わかった。気をつけて」


 安斎は笑顔でそう言ってくれた。


「はい」


 祭里は頭を下げ、教員室を辞した。


         *


 祭里はプレハブへの道を行きながら、考え事をしていた。


(そういえば。氷室くんとレンくん、あんまり似てなかったな……)


 例の「おたのしみかい」の一件で祭里を紙の剣で殴った男の子は、氷室に似ていた。その男の子こそが細波蓮であったはずなのに、昨日や一昨日おとといに見た細波はあまり氷室に似ていなかった。


(どういうことなんだろう……。単に私の記憶違い? それとも、氷室くんの見た目が怖かったから、トラウマを思い出して勘違いしちゃったのかな)


 考えているうちに、プレハブに着いた。中はなんだか騒がしい。

 突然、中から悲鳴が聞こえた。



         2


「キャ──────ッ!」


 マリナが絶叫すると、血相を変えて祭里がプレハブの扉を開いた。「大丈夫⁉︎」


「ムリっ!」


 マリナは首をぶんぶん振り回す。


「──かわいすぎっ!」


 そこには、ポン助──氷室と仲良くしていたあの猫だ──がいた。マリナはポン助にすりついていた。


「とんでもなくイヤそうな顔してる……」


 かなでがそう呟いた。彼女はかがみながら「おいで」と言う。するとポン助はマリナの腕の中からするりと華麗に抜け出してみせた。そして、かなでの腕の中に吸い込まれるように飛び込んだ。そこでかなでに顎の下を触られると、気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らした。


「ああっ、ポンちゃーん……。信じてたのにひどい、あたしは遊びだったのね……」


「ポン助はうるさい奴が嫌いなんだよ。お利口さんだからな」氷室が言った。


「ええ? でも、さっきまではすりついても逃げないでいてくれたじゃん」


「……だから、ポン助はお利口さんなんだよ」


 氷室がそう言うと、マリナは怪訝な顔をした。


「どういうこと?」


 氷室はマリナの問いを黙殺し、祭里の方に歩いていった。そして祭里に耳打ちする。


「アンタの策より、こうした方がマリナの復活にはいいかなって思ったんだ」


 祭里は微笑んだ。


「そうなんだ。ありがとう。ポン助くんはお利口だから、その氷室くんの考えに気づいてマリナちゃんと遊んであげてたんだね」


 氷室は静かに頷く。一方のマリナは相変わらずうるさい。「ポンちゃーん。ねぇぇえ」


「うるせえ勅使河原、ポン助に構ってほしけりゃ静かにしてろ」


「テシガワラはやめろって! 何回言えば分かんだよ!」


 それを聞いて、氷室はニヤリと笑った。マリナは「なんだよ」と言う。本気で怒っているふうではなかった。

「いや?」そう言って、氷室は再び祭里に耳打ちする。「狙い通りだ。やっぱり猫の力はすごいな」

 祭里は「はは」と笑う。氷室は耳打ちをしたまま話を続けた。


「昨日アンタが言った策は、リスクがデカすぎる。目的は達せられたし、今からやめてもいいけど、どうする?」


 祭里はかぶりを振った。そして氷室の方に顔を向けた。


「──いや、行こう。本当の目的は、違うところにあるから」


 

          3

 

 舞台が暗転し、その後すぐさま凄みのある声がホールに響き渡った。


「──滅べッ!」


 文実委員の四人は、きのう細波が言っていた演劇の公演を見るために、小さな劇場を訪れていた。

 これが、祭里がきのう氷室に話した案だった。彼女が安斎と話していたのも、この劇を見に行くという話だ。安斎曰く、チケット代は文実の活動費から出してくれるらしい。

 いまこの小さな劇場で演じられているのは、「傾国の美少年」なる物語だ。オリジナルストーリーらしく、シナリオには細波の意見も取り入れられているという。

 パンフレットによると、あらすじはこうだ。

 ある国に絶世の美少年がいた。その国の女はみな彼に惚れてしまう。国王の正室や側室も例外ではなかった。国王をはじめ全男性貴族からの怒りを買った彼は死刑を言い渡され、公開処刑される。そのシーンから物語ははじまる。

 彼にとって女は絡みついてくる荊棘けいきょくつただった。自分は何もしていないのにたくさんの女が言い寄ってくる。彼は家柄、容姿、能力そのどれをとっても優秀だから必然だった。

 自分が求められているように見えて、実際に欲されているのは表面上のステータスだけ。彼はそのことがとにかく怖かった。自分の存在がわからなくなるようだった。

 そんな折に死刑台に立たされた彼は、この世の全てを恨んだ。国も、男も、女も、自分も。「滅べッ!」その一言に全ての願いを込めて叫ぶ。それが冒頭のシーンだ。

 次の瞬間、何者かが死刑台の付近でテロ行為を行い、そのまま彼を連れ去ってしまう。そのテロ行為をはたらいたのは女だった。名は「リン」と言った。不思議なことに、彼女は彼に惚れなかった。

 リンは庶民の出で、貴族社会にうんざりしていたらしい。貴族社会への不満で通じ合った二人は、腐敗した貴族社会を打破すべく活動していくことになる。

 その後の最終的な物語の帰結はぼかされていたのでよくわからないが、物語のセントラルクエスチョンから察するに、彼がリンとの出会いで女に対して抱いていた偏見を打ち破り、そしてよりよくなった社会への復帰を成し遂げるのだろう。


「……おい」突然、氷室が声をひそめて話しかけてきた。「あれ、ホントに演技か?」


「え?」祭里は首をかしげる。


 壇上では、細波が演じる傾国の美少年ノーズが、息を荒くして四つん這いの体勢になっていた。

 そのシーンはどう考えても重要なものではないのに、異様に長く尺が取られている。役者の演技もアドリブのように見えた。


「──病院!」


 観客の誰かが叫んだ。それと同時に、細波が力尽きたかのように床に倒れ込む。

 劇場は騒然となった。舞台裏に控えていた役者やスタッフが舞台に出てきて、大慌てで細波を裏へと運ぶ。しばらくすると、救急車のサイレンと思しき遠音とおねが聞こえてきた。

 祭里の二つ左の席に座っていたかなでが、顔を真っ青にして、口に両手を添えたまま壇上を見つめていた。

 マリナも似たような様子だった。


「どうなってるの……」

 

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