第11話 交錯

          1


 横開けの扉が開く音がして、祭里は席から立ち上がった。同時に氷室もそうした。


「──来た」


          *


「こんにちはー」


 マリナが文実に加入した次の日の放課後、訪問者がマリナと共に文実委員のプレハブの扉を開いた。

 祭里は「こんにちは」と頭を下げる。氷室は何も言わずに軽いお辞儀をした。

 訪問者は、マリナと肩を組んでいた──というより、組まされていた。「マリナに誘われて来たよ」

 落ち着いた低めの声でそう話す彼女は、マリナの友人らしい。マリナが昨日安斎に──もう一人、入れてもいい?──と話していた人物だ。

 胸の上半分にまでかかるような長さの黒髪には、しっかりとしたパーマがかかっている。一歩間違えば不潔な印象を与えかねない髪型だが、見るからにすべすべとしていそうな真っ白の肌のためか、清潔感は損なわれていない。むしろ、フチの黒い丸眼鏡や、気だるげな半開きの瞼との相乗効果で、ミステリアスな魅力をかもしていた。

 彼女は全体的に華奢な体軀たいくだが、他の部位と比べてわずかに肉付きの良い胴と大腿部だいたいぶの様子が、服の上から伺えた。何を着るかによって、だいぶシルエットが変わりそうだ。セーラーえりの制服もスタイルが良く見えてとても似合っていたが、大きめのサイズの白いTシャツも似合いそうである。

 彼女の身体からだでは、体つきから見てとれるたおやかさと、首から上の部分が醸すミステリアスな雰囲気が、バランス良くお互いを引き立てあっていた。


「あの、名前……」


 祭里が声をかけると、彼女は「はっ」と息を吸い込むような声を出した。


「そうだった。わたしは手嶋かなで。そのまま『かなで』とでも呼んで。クラスはみんなの隣の一年三組。中学時代、マリナと三年間ずっとおんなじクラスで、出席番号も毎回隣り合わせだったから、自然と仲良くなったんだ」


 祭里は「あ、ありがとう」とぎこちなく言葉を返す。

 祭里の人見知りが発動し、会話のテンポがどんどん悪くなっていく。見かねた氷室が口を開いた。「来てくれたのはありがたいけどよ、大丈夫か? 文実うちは『ブラック委員会』って言われてるんだぜ?」


「……大丈夫。だって──」かなでは言いかけて口をつぐんだ。何か人に言うのが恥ずかしいような理由でもあるのか、頬を桜色に染めていた。


「しっかし、女子ばっかりだな。居心地わりい……」氷室はぼやきながら、髪を掻き乱そうとする。しかし、寸前で止めた。


 マリナは意地悪な笑みを浮かべる。「たしかに。氷室も女子になる?」


「何言ってんだよ。意味わかんねえ」


 そのやりとりから藹々あいあいとしはじめたプレハブに、何者かが近づいてきていた。



          2


「へえ、氷室くんにそんな趣味が……」


 そう言うかなでの隣で、氷室は四つん這いのような体勢になって頭を抱えていた。「いや、だから、たった一回、あんときだけだわ! 趣味とかじゃねえし」


「ふーん。それなら氷室くんには、」


 眼鏡を閃かせて、かなでが言いかけた瞬間──

 ガラッ、という音がして、プレハブの扉が開かれた。

 そこにいる人物の姿を認め、かなでは両手で口を覆い隠す。


「やあ」その人物は、爽やかな笑顔を振りまき、手を振ってきた。


 それを見て、かなでが呟く。「レンくん……」


 扉のところに立っていたのは、細波さざなみ蓮だった。


「変わってないね。後野祭里。氷室祐介」


 彼はマリナとかなでには一目もくれない。


「僕も文実委員だからさ、挨拶しに来たんだ。明日からまた仕事で学校に来られなくなるから、やっておかなきゃいけないこととかあったらここに連絡して」彼はそう言って自身の連絡先が記載された名刺を祭里に手渡してきた。


「あ、明日から、全国各地で公演があるんですよね。はじめての演劇挑戦で……」


 かなでがそう言うと、細波は彼女にも笑ってみせた。「知っていてくれたんだ。ありがとう。まあ学校もあると思うけど、よかったら見に来て」

 そして細波はすぐに「じゃ」と言ってプレハブを後にした。彼がここにいる間、マリナはずっと押し黙っていた。



          3


「委員長と氷室くん、レンくんと知り合いだったんだ?」


 夕焼け空の下で、かなでが何とはなしに訊いてきた。祭里たち四人は帰り道が途中まで一緒だった。


「ああ。ただならぬ因縁のな」氷室が答える。「──勅使河原もだけど」


「え、そうだったの?」かなでは小さく目を見開く。充分驚いているのだろうが、あまりそうは見えなかった。感情が顔に出ないタイプらしい。


 マリナは軽く頷き、困ったような顔で笑った。「そう。でも、忘れられてたんじゃないかな。だって、レンくん一回もこっち見てなかったし。氷室といいんちょーばっかり見てた」

 彼女は、いつものように「テシガワラはやめろって!」などと言うこともしなかった。そして代わりのようにこう呟く。


「──最悪」


 それが何に対しての言葉なのか、発したマリナ以外の三人はわかりかねていた。無神経なことを言った氷室か。彼女を忘れた細波か。それとも忘れられてしまったこと自体か。


「ほんと最悪だわ……」


 マリナがそう思ったのは、氷室でも細波でも、忘れられたことに対してでもない。


「──あたし」


 他でもない自分に対してだった。細波が祭里をいじめた人間だと分かっていたのに、細波への対策を偉そうに講じたりしていたのに、自分が一番細波に対して弱かったのだ。──未だに。

 そのことに、気付いてしまった。もう消えたはずの──たしかにはずの火は、未だにくすぶっていた。火の不始末は、思いがけない大きな火災を引き起こしかねない。


「これじゃあ、保育園のときとなんも変わってねぇや、あたし。いいんちょーと氷室は過去と向き合って、変わったのに」


 四人はそれから、無言で歩き続けた。それぞれの家の近くに差し掛かると、一人ずつ離脱していく。はじめにマリナ、続いてかなで。


「マリナちゃん、落ち込んでたよね。やっぱりまだレンくんのことが……」


 祭里が呟くと、氷室は足を速めて、そうだろうな、とでも言うように背中を見せてきた。


「──氷室くん」


 氷室の家が見えてきたところで、祭里は彼の名を呼んだ。右手には、小さな公園が見えた。


「お願いがあるんだけど」

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