第1章 幕間-ダイヤの鬼人がおわるとき-



          ♪


 体育の後の休み時間に、祭里とマリナ、そして氷室の三人は、祭里の席で語らっていた。彼女の席は、教室の最も廊下に近い右端の列の、前から三番目の位置にある。


「どう、野球──ソフトボールだったけど、楽しかった?」マリナがいた。


「ああ、最高に」氷室はそう言って笑った。ポン助を撫でているときのような、穏やかな笑顔だった。


 それを見て、マリナも目を細くする。氷室に負けず劣らずの穏やかな表情だ。「よかった。そのために、いいんちょーに無理言って連れ戻してきてもらったんだから」

 そんなマリナに、祭里は体育の時間にははずしていた眼鏡をかけながら、問いかける。


「そういえば、あのとき、どうして急に氷室くんをを連れ戻して、って言ってきたの?」


 マリナは、シュシュを使って右肩のあたりで髪をまとめ直しながら答えた。「だって一時間目の最中、ずっと屋上から恨めしそうな顔でこっち見てくんだもん、氷室。放っとけなかったわ」


 そうなんだ、と言って祭里は数回頷いた。「全然気づかなかった」


 しばらくの間ののち、氷室は少しだけ顔を伏せ、声を低めて口を開いた。「──後野」


 彼は祭里の方に向き直り、喋りだす。


「ありがとな。正直、バットに触れるのが怖かった。中三のときのことを思い出しちまいそうで。だから、授業に出ようとしなかったんだ。でも、クラスのみんなが楽しそうにしてるのを見てたらさ……」


 上がった広角はそのままに、氷室は目を細くする。


「そんなときに後野が屋上にきて、話しかけてきた。そうしているうちに、過去と向き合わなきゃって、思いはじめたんだ。なんか照れくさくて、『ストレス溜まったから』とか後野には言っちまったけど。それで、校庭に行こうとしたんだ」


「たぶん、」氷室はそう言って祭里の方に向けていた視線を落とし、泳がせる。そして視点を祭里とマリナの間に定めると、口を開いた。


「──後野の顔を見たからだな。それができたのは」


 祭里は笑顔になる。「何はともあれ、また野球とか楽しめるようになったみたいで、よかったよ」


 氷室は笑顔のままで数回かぶりを振る。そして清々しげに天井を振り仰いだ。「──でももう、いいかな」


 祭里とマリナは首をかしげる。


「もう充分だ。充分楽しめた。どうせ甲子園には行けないし。俺は、文実に──後野との約束に専念する」


 氷室は、頭の後ろで腕を組み、言葉を継いだ。


「ま、今日の授業では、後野の根性が見れたのが一番のいいことだったな。後野が約束を思い出してくれたこともだけど」


「転んでも、何回も立ち上がってたもんね」マリナがからかうように言った。


「……お母さんに怒られるかな。体育着、ボロボロになっちゃった」


 ニシシ、とマリナは笑う。

 祭里はマリナと氷室の顔を交互に見ながら、喋りだした。


「……マリナちゃんも、氷室くんも、私のこと覚えててくれたんだね。だからあのとき、マリナちゃんは、私なら氷室くんを連れ戻せるって言ったんだよね?」


 マリナは軽く頷いた。すると同時に、チャイムの音が教室に鳴り響いた。音量は案外大きい。不愉快に感じるほどではなかったが。


(そういえば、土曜日に聞いた最終下校時刻用のチャイムもすごい音量だったな。音が大きかったり、全く聞こえなかったり、変な学校)


 祭里は、何とはなしに、この学校に言いようのない愛着を覚えていた。

 休み時間中、先ほど氷室が言っていたような、怖いもの見たさで意味もなく近付いてくる人はいなかった。すべてが上手く着地したようである。

 チャイムが鳴ってから数分後、三時間目の授業を担当する安斎が教室に入ってきた。


「さあ、授業はじめるよ」


 安斎は祭里たち三人の姿を見て、にっこりと微笑んだ。

 


 

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