第9話 ダイヤの鬼人《後編3》
*
「おたのしみかい」と一文字ずつ書かれたパネルの数枚が外され、「お のし かい」になっている保育園の門の下で、私は泣きながらみんなに謝っていた。
「ごめんね。ごめんね……!」
はじめてのお遊戯会で、私たちのクラスは劇の発表をやることになっていたのだった。なのに、私は本番当日、風邪でそれを欠席してしまった。
あの男の子が、語勢を強めて私を
「ごめんね……できることなら、なんでもするから……」
「何言ってんだよ、『おたのしみかい』はもう終わったんだ!」
そう言った彼に続いて、彼の隣にいた女子が口を開く。「そうよそうよ、レンくんの言う通り! アンタのせいよ! 全部アンタが悪いの!」
その直後。
「あっ──」
レンくんと呼ばれたあの男の子が、とんでもない剣幕で馬乗りになってきた。手には、劇の小道具である紙製の剣が握られている。
「──ほんっとにタイミング悪すぎ! お前の名前、マジでピッタリだよな。クソが。くたばれ!」
彼は力強く何度も私にその剣を打ち付ける。
「おまえのせいで、おまえのせいで‼︎」
「いたい、いたいっ……。ごめんね、ごめんね……許して、お願い……。ああっ……」
私が悪い。わかってる。ちゃんとわかってる。でも、どうしたらそれを伝えられるの?
*
「──だから私も、氷室くんと同じ決断をした。もう誰とも関わらないって。そうすれば、誰にも迷惑をかけなくて済むから。今でも、それでよかったと思ってる。だってそれ以降も、私は呪われてるみたいに、いつも大事なところで体調を崩したから。私も──諦めたんだ。何もかも」
マリナと氷室は同じ表情をしていた。ただの憐れみとは違う、複雑な何かを感じさせるような。
「……でも。土曜日の文実委員の引き継ぎに行ったとき、去年の委員長の速水先輩の話を聞いて、そして横断幕を見て、『心のリレー』って言葉が浮かんできて……。なんでかそういうものを作りたくなった。そしてマリナちゃんに出会って、今日のこのソフトボールの試合でみんなと協力して、友達っていいなって……。そう思えた」
「それは……」突然、氷室が呟いた。「それは覚えてるのかよ……」
祭里は首をかしげる。
「『心のリレー』は、お前があの『おたのしみかい』で実現しようとしていたテーマだった。俺は野球の試合があって本番出れなかったけど。その翌日、片付けの日、俺は遅れて行ってさ──そこでボコボコにされてたお前と二人で、話したじゃんか」
──私が悪いの。私のせいで、みんな……。
──お前は、作りたいもののために頑張ってただろ。それで怒るやつがいるなら、そいつらが子どもなんだ。
──ううん、私が悪いの。必要以上に、いっぱい仕事を受けちゃったから。でも……作りたかったなあ、心のリレー。
──じゃあ、こういうのはどうだ。いつか、それを俺と一緒に作るんだ。
──いいの?
──ああ。わすれんなよ。約束だから。お前は作りたいんだろ? それを。
祭里は目を見張る。そして、土曜日の朝、風邪のせいでぼんやりとしていた意識の中にこだました、あの声を思い出す。
──わすれんなよ。
──約束だから。
──お前は……んだろ?
(あれは……氷室くんの声だったんだ)
さらに、
──アイツは、救いはできなかったけど、そのあと必死で闘ったんだ。ある女の子に意地悪なことをしたやつと。アイツは、そういうやつなんだ。
キャッチボール中に言われた、マリナのその言葉も思い出す。
(氷室くんは……あの日、ボコボコにされた私を励ましてくれた子だったんだ。それだけじゃなくて、その相手と、闘ってくれてもいたんだ。それなのに私は……約束もしてたのに……忘れて……)
「──ごめん」突然、ダイヤの外で控えているマリナが頭を下げてきた。
「そのころのあたしは、レンくんのことが好きだった。だから、あの場で、加勢したりもしちゃったんだ」
──そうよそうよ、レンくんの言う通り! アンタのせいよ! 全部アンタが悪いの!
あれは、マリナの言葉だったようだ。
「そのあと、氷室にたしなめられて、反省した。でも、いいんちょーには、なかなか謝れなかった。そのまま時間が過ぎちゃって……」
その後、しばらく沈黙が訪れた。そののちに、氷室が
「俺に……野球を失った俺に残ったのは、いつか『心のリレー』をつくるっていう、アンタとの約束だけだった。──あ、ポン助もいたか。……まあ、俺が文実に入った理由の一つがそれだ。土曜日にあのプレハブに行ったのも、朝アンタの姿を見て、アンタが『後野祭里』だってことを思い出したからだ。見た目を変えて登校したのも、プレハブで少しいい顔つきになってたアンタを見て、俺も変わりたいと思ったからだ。少し、人と関わって──心のリレーをやってみたくなったんだ。えっと、つまり……」氷室は頭の中がこんがらがっているらしい。
「──俺はアンタのおかげで、今日まで生きてこられた」
そう言って照れくさそうに頬を赤らめた彼は、この話も心のリレーに入るのかなと、付け足す。
「……氷室くん、ごめんね、あなたのことも、約束のことも、忘れてて。思い出させてくれてありがとう。今度は、私が──」
氷室くんに、野球を取り戻させる!
祭里はそう叫んで全力でボールを投げる。フォームは相変わらず不恰好だ。ヒョロヒョロと飛んでいった球がポスっとキャッチャーのミットに収まる。
「ボ、ボール!」
突然試合が再開され、審判役の生徒も戸惑っている様子だ。
「──氷室!」マリナが叫んだ。「周り見ろ」
ダイヤの周りには、クラスの全員が集まっていた。
「お前のさっきの『ダイヤの鬼人』の話、みんな聞いてた。少なくともこのクラスの連中は、全員お前の真実を知ってる。だから大丈夫だ。思いっきりやれ」
それを聞いて、氷室は慌てて顔を伏せた。人工芝に、雨など降っていないのに、一滴の露が降りる。
そこからは、本気の試合が始まった。
5
「……いいんちょー、氷室。集まってくれてありがとう」
放課後の文実委員のプレハブで、マリナは言った。彼女の招集によって、三人はここに集まったのだった。マリナは文実委員ではないが。
「それで、用ってなに?」祭里が問う。
マリナは、時折見せるあの真剣な顔になった。
「──話がある。レンくんについて」
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