第8話 ダイヤの鬼人《後編2》

 祭里が校庭に出ると、肩で息をしているマリナが「ヘルプー!」と叫びながら手を振ってきた。しかし彼女は氷室の姿を認めると、祭里に向かって遠くからサムズアップをしてみせた。

 マリナのチームは、祭里がいないため三人で戦っていた。現在行われている試合は、彼女のチームが一点ビハインドの状況だった。


「……勅使河原アイツ、いま助け求めてたぞ。アンタのチーム、人数少ないながらも頑張って準決勝ここまで進んだんだ。アンタのためかもな。俺はあっちの負けてるチームを勝たせてくるから、」


 氷室はそう言って、祭里に背を向けたまま、マリナたちが試合をしているハーフコートの隣のコートを指差した。


「──勝って、決勝に来い。そこで、話の続きをしてやる」



         3


 最後のイニング。

 ホワイトボードの点数表示は、「6-7」。

 迫りくるボール。

 祭里はあえて目を瞑る。


「振れ────!」


 マリナの声に従う。

 心地のいい感触が、腕に伝わった。


(やった、勝った……!)


 するとチームのみんなが、祭里のそばに駆け寄ってきた。マリナは抱きついてきた。


「痛い、痛い」祭里は苦悶の表情を浮かべる。しかし口角は上がっていた。


「よくやった! いいんちょーすごい! 氷室も連れ戻してきちゃうし、決勝点も挙げちゃうし!」マリナは祭里の背中をバシバシ叩きながら言った。


「ぜんぶマリナちゃんやみんなのおかげだよ。氷室くんのことも、マリナちゃんの言葉のおかげだし、最後打てたのも、マリナちゃんの作戦と声かけのおかげだし。それにみんなが準決勝までチームを運んでくれて、試合でも頑張ってくれたから……」


 マリナは、バットを振るべきタイミングで声をかけるからそれに従え、という旨の指示をあらかじめ祭里に出していた。


(そういえば、氷室くんの方はどうなったんだろう)


 祭里の頭にふっとその疑問が浮かんできた瞬間、


 ──ダイヤの鬼人。


 誰かが呟いた。祭里が、氷室が途中参加した試合が行われている方のコートを見やると、


「──ッ」


 バッターボックスに一体の鬼がいて、その周りに数多の屍が転がっているような錯覚を覚えた。どうやら、周りにいたみんなもそうらしい。

「あー」鬼の幻影を脱いだ氷室は、魂が抜けたかのような様子で佇んでいた。目を凝らしてよく見ると、彼の腕は震えていた。もちろん結果は、氷室が入ったチームの逆転勝ちだった。



          4


 決勝戦。祭里のチームは後攻だ。敵の先頭打者は氷室祐介。 

 祭里のチームメイトは、みんな先ほど見た錯覚のせいで、氷室にボールを投げたがらない。


「……私が」祭里はそう言って立ち上がった。

 

          *


 氷室がバッターボックスに立つ。「……なあ、さっき、なんで授業に出ないのかって訊いてきたよな」

 マウンドに立っている祭里は無言で頷く。


「そのときの口ぶりからして、たぶん、『ダイヤの鬼人』の話も知ってんだよな」


 祭里はもう一度頷いた。


「じゃあ、教えてやるよ。その真相を。ラジオも地元新聞も一切報じない、ダイヤの鬼人の本当の姿を」


          *


 俺は、保育園のころから野球小僧だった。来る日も来る日も練習に明け暮れ、中学のころには、地元の中学野球界隈で「ダイヤの鬼人」として有名になるほど優秀な打者になった。高校生になれば、甲子園出場も狙えるような逸材だとも噂されていた。

 全国放送に出ることはなかったが、地元のラジオ放送や新聞などにはよく名前が載った。みんな「稀代の天才」「ダイヤの鬼人」などと俺をほめそやす。

 中学三年生のある夏の日、俺は高校受験のための準備を進めていた。スポーツ推薦で、野球の強い高校へ進学するためだ。

 高校への提出書類をコンビニでコピーするついでに散歩に出ると、近所の野球場に通りかかった。

 ──そこで、小学生と思しき子どもの集団が、一人の子どもを暴行しているのを見つけた。


 俺は「おい、やめろ」と叫び、駆け出した。しかし小学生らにはその声が聞こえていないみたいだった。暴行を受けていた子どもは血まみれだった。


(どう見ても……素手で殴った傷じゃない)


 よく見てみると、暴行していた小学生らの手には、バットが握られていた。小学生用の軽いものだったが、これで人を殴りつけるなんて、正気とは思えない。

 怪我を負った子どもを助けるため、俺は暴行している側の少年の一人を背後から素手で殴って、そのバットを奪った。それを使って少年を庇おうとしたが、相手のバットが危険で近寄れない。あまりに数が多いのだ。

 俺に殴られた小学生が「卑怯者!」と叫ぶと、他のやつらも俺の存在に気づいて、攻撃の矛先を俺に向けてきた。

 いくらバットを持っているとはいえ、相手は小学生だ。手加減をしながら相手をしていると、その騒ぎに鉢合わせた誰かが通報していたのか、警察がやってきた。


「小学生を暴行しているのは、あなたですね」


「……は?」


 羽交い締めにされ、警察車両に押し込まれる。

 違う。俺は、いじめられていた子を助けようとしただけだ。攻撃だって、ほとんど向こうがしてきた。

 そんなことを言っても、警察は信じてくれなかった。

 翌日から、新聞やラジオで、その事件の話は連日報じられた。それは真相とはまったく異なる、湾曲されたものだった。

 賞賛のためでなく、非難のために用いられるようになった「ダイヤの鬼人」。その話は凄まじい速度で町中に広まっていった。──野球場ダイヤにて小学生をバットで暴行した非情な鬼がいると。


(バットで殴ってきたのは向こうだ。俺はただ、あの子を救おうとしただけなのに)


 結局、そのことが響いて受験は失敗し、中学での野球活動も禁止された。町の人から後ろ指を指されながら暮らす日々も、そこからはじまった。


          *


「長い間心血注いできた野球を、とんでもない理由で奪い去られたんだ。高校生になったら野球ができるかとも思ったけど、」


 言いかけて、氷室は俯く。そのときの祭里は、見る人によって違う印象を受けるような、複雑な表情をしていた。泣いているようにも、怒っているようにも見えた。


「……高校でも、『ダイヤの鬼人』の噂は健在だった。見学してみた野球部では『ダイヤの鬼人さん! まじリスペクトっす!』とか、尊敬してんだが馬鹿にしてんだかわかんないようなことを年上から言われるし、学校の誰からも、『小学生を暴行したらしい』っていう噂のせいで、そういう目で見られる。怖いもの見たさで、意味もなく近付いてくるやつもいた。それであの日、」


 あの日、というのは、マリナが言っていた、氷室が学校に来なくなったきっかけの日のことだろう。


「──思ったんだ。人と関わるなんて馬鹿馬鹿しいって。見た目のせいでもともと不良と勘違いされやすいし、あんな噂を拭い去ることはできない。ならもう、はじめから、誰にも迷惑かけず、誰にも迷惑かけられず、一人で生きていこうって。その方が、生きやすい」


「……分かるよ」祭里は言った。その声は震えていた。


「私も……」


 彼女は語りだす。そうすることで、今まで蓋をして逃げてきた記憶の大枠が、氷がゆっくりと溶けだすように、脳裡に蘇ってきた。


 


 

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