第7話 ダイヤの鬼人《後編1》

          1


 一時間目と二時間目の間の休憩時間。祭里は必死な顔で廊下を駆けていた。

 彼女に与えられた時間は十分。そののちの二時間目では、一時間目に作った二人組を二、三個組み合わせてチームをつくり、トーナメント戦が行われる。

 どのチームも人数はギリギリなので、祭里がいないと試合が成り立たない。マリナを含むチームの皆に迷惑をかけてしまう。


(正直、よく分からないけど。私、頑張るよ。マリナちゃん)

 

 

         2


 祭里は東棟の屋上にやってきた。マリナにそこへ行くよう言われていたのだった。


「……いた」


 祭里は大きな声で呼びかける。


「──ねえ、氷室くん」


 氷室は、緑色のフェンス越しに校庭を眺めていた。


「アンタ……。次も授業だろ、何しに来たんだよ」


 振り返ってそう言ってきた彼の目を見て、祭里は思わず慄く。マリナ曰く彼は本来残虐なことをする人間ではないとのことだが、一度いだいてしまったイメージは簡単にはぬぐえない。


(でも)


「……氷室くんだって次授業でしょ。連れ戻しにき、」


「──余計なお世話だ!」


 氷室は叫んでそっぽを向いた。祭里はその声に身を竦める。しかし、それでも膝を震わせながら、挫けずに氷室に呼びかけつづける。


「ひ、氷室くん。なんで、授業に出ないの?」


「……そんなこと、どうでもいいだろう!」


 祭里は思わず手で両耳をふさいだ。


(もう……叫ばないで……)


 目の前にいるのは小学生暴行の犯人で、マリナは違うと言ったが、祭里にとっては、自分をいじめた相手かもしれない人。


(怖い……でも、絶対……。だって、はじめて──)


 そのとき、祭里の脳裡に、氷室を連れ戻してくるよう言ってきたときのマリナの声が蘇った。一時間目の途中で、彼女は突然真剣な顔になって、こう言ってきたのだった。


 ──二時間目までに、氷室を連れ戻してきてほしい。あたしには、できなかった。止められなかった。いいんちょーが休んでるときの、氷室が学校に来なくなったきっかけのあの日。でも、いいんちょーなら、絶対できる。


 何故自分ならできるのか。そしてその日何があったのか。それは分からないけれど。


(はじめて、誰かに信じてもらえたから)


 祭里の目を見て何かを感じたのか、氷室は、かなり長い間を開けて答えた。「……ダルいから。それじゃダメかよ」


「……嘘。あなたは、面倒なことを面倒だからって理由でさぼる人じゃないと思う」


 マリナとの話や、今日までの彼との少ない関わりを通じて、そのことはわかっていた。彼は怖いけれど、それとこれとは話が別だ。


「……なに言ってんだよ」


「地元の中学野球界隈で有名になるくらい、野球を頑張ったんでしょう。しかも、希望制のはずの委員会──それも『ブラック委員会』なんて呼ばれるような文実に、自分から志願した」


「……買い被りすぎだ。俺はただのはずれ者だよ。だって諦めたんだ。何もかも」


「……だったらなんで、見た目を変えて学校にきたの? 『ブラック委員会』の文実に入ったの? 土曜日の午後にあのプレハブにいたの?」


「……アンタは、質問ばっかりだな」


 氷室に射すくめられ、祭里は、マリナの言葉に触発されて得た勇気を失う。


「ごめんなさい。私、人と話すのが苦手だから……」


 しばらく沈黙の時間が訪れる。


「……アンタのチーム、負けてるぞ」


 突然、氷室が言った。


「えっ……⁉︎」


 祭里が時計を見ると、二時間目開始時刻タイムリミットはとっくに過ぎていた。


(え……チャイムは……?)


 そういえば、屋上のスピーカーはとある部の活動中にボールが当たって壊れていたのだった。ゆえに、チャイムが流れない。


「人数少ないからその差だろうな。お前が行けば、まだ間に合うんじゃねーの」


「でも私は氷室くんを、」祭里は、自分を信じてくれたマリナを裏切りたくなかった。


「──あーもう」氷室はせっかく整えた自分の髪をわしゃわしゃとかき乱した。


「アンタがウザくてストレス溜まった。発散したいから、野球──ソフトボールか、やりにいくわ。安心しろよ、誰も殴らないし、逃げたりもしない」


 どういう心境の変化だろうと首をかしげながら、祭里は氷室とともに校庭に向かって駆け出した。


「アンタ、本当になんも覚えてないんだな」


 道中で言われたその氷室の言葉が、ずっと祭里の脳内で踊っていた。

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