もう一度だけあの星空を④

 病院につくころには、すでに昼。太陽は僕の真上でさんさんとかがやいていて、その日差しと疲労ひろうで僕は今にもたおれそうだった。

 きのうの記憶きおくをたどりながら、こっそりとアイの病室を探す。たしか三階さんかいのつきあたり、いちばん奥の部屋だったはずだ。人から見えないからこそ、まわりにぶつからないように慎重しんちょうに足をすすめていく。


 会ったら、まずたすけになれなかったことをあやまろう。そんなことを彼女はもとめていないかもしれないけれど、そうしたいと僕が思うから。アイの母のまっとうながんばりを僕ごときの力で左右するのはむずかしい。それだけ母の覚悟かくごは本物だということを、彼女にもわかってほしいから。


 階段かいだんを一段、また一段とのぼっていく。もう少し、あと少しで部屋が見える。窓から差しこむ日光をうけて、白の中にぽっかりと開いた入口が僕をさそうように手招てまねきしていた。

 僕が思わずけよろうとした、まさにその時だった。ガララッと滑車かっしゃがうなる音が、しずまりかえった廊下ろうかにひびく。それは、目の前の病室からアイがつれ出される音だった。

 ドアからあふれた白い人々が、一つのベッドをゆっくりとどこかにはこんでいく。とおりすぎざまに見えたアイの横顔は、今までに見たどんな白よりもき通っていて、安らかなように見えた。


「教授、本当によろしいのですか?」

「ああ、さっきの連絡れんらくを聞いただろう? この子の母親は、うばわれてしまった私の母の物をわざわざ交番までとどけてくれた。とてつもなく重くて、だいじな落とし物をね。私は、自分の母の恩人おんじんをないがしろにするほど、落ちぶれたつもりはない」

「……あなたが、そうおっしゃるなら」


 カラカラとベッドの行進はつづく。うしろのほうにいた、えらそうな人たちの話はよくわからなかったけれど、きっとなにかいいことがあったのだと思う。話す二人はどちらとも、彼女の寝顔を見てほほえんでいたのだから。


 アイが大きな部屋に運ばれてからしばらくして、彼女の母親もおくれてその場にやってきた。そうとう急いだのか、呼吸もおぼつかないほどに息を切らして、ひたいのあせ乱暴らんぼうにぬぐっている。


「あっ、あの! むすめはっ……」

「おちついてください、おかあさま。だいじょうぶ、準備じゅんびはきちんとできておりますので、あとは私におまかせください」

「で、でもっ……。費用の、ほうは……?」

「それも、ご心配しんぱいにはおよびません。……もう、すでにいただいておりますから」

「それは、一体どういう……?」

「くわしいことは……手術が無事、おわってからにしましょう」


 教授は白衣をひるがえしてすすむ。その背中は、まるでたたかいにおもむく戦士せんしのようにいさましく、そしてたくましかった。


「……娘を、アイを、お願いします!」


 アイの母は、目からつたう涙はそのままに、しっかりと足をそろえ丁寧ていねいにあたまを下げた。部屋のとびらが閉まり、赤いランプがくらい廊下をらしても、彼女は祈るようにしばらくあたまをひざにこすりつけていた。


 どれほどの時間がたったのだろう。外はすでに真っ暗で、まどにはソファーにこしかけてうつむく女性だけがうつっている。

 不意に、あたりを照らしていた赤が唐突とうとつに消えた。ガチャンというにぶい音が、夜の静寂せいじゃくをやぶる。

 立ち上がるアイの母親。とびらから姿をあらわす人々。まるで、ここだけゆっくりと時間が流れているような。そんな錯覚さっかくこしてしまいそうだ。


「……成功せいこうです」


 涙とともに走る一筋ひとすじの光。星のカケラは彼女の願いをたしかに見とどけて、その心からスルリとこぼれ落ちた。乳白色にゅうはくしょくのやさしいかがやきが、僕の手にそっとおさまる。

 叶った。叶ったんだ。その重みを両手でしっかりと抱きしめて、僕はだれにもバレないようにこっそり涙ぐんだ。

 夜空には、今日もたくさんの星がまたたいている。今はまだダメかもしれないけれど、いつかこの星空が、この光がアイにとどけばいいなと、そうつよく思った。




 宇宙船の動力炉どうりょくろに四つめのカケラを放りこむ。いよいよあと一つ。たったそれだけで僕は故郷こきょうに帰れるんだ。そう思うと、気持ちもなんだか前向きになる。コンパスもあと四日くらいは持ちそうだ。

 そういえば、宇宙船の機能きのうはどこまでもどったのだろうか。エネルギーが八割はちわりもあるのだから、通信くらいならチョチョイのチョイで朝飯前あさめしまえのはずだ。

 そんなことを考えながらダイヤルにふれたその瞬間しゅんかんだった。


『ガッ……ガガッ……』


 通信だ! 僕は即座そくざに手もとを調整してそのノイズを取りのぞく。


『……アツメロ。タリナイ、ネガウチカラ……。モットアツメロ……』

「な、なんだ……これ……」


 それは、地のそこからわきあがってくるような、おどろおどろしいしゃがれ声。あるいは、天からふりそそぐようなあどけない子どもの声。さまざまな声が重なって、不気味なハーモニーをかたち作る。知らない。こんな声は、今までに聞いたことがない。


『……聞こえる? だれか、いるの?』


 先ほどとはうってかわって、聞きおぼえのある声がした。どこかなつかしくて、むねがせつなくなるような、そんな声。


「……こちら、回収班かいしゅうはん五号機ごごうきのユウ」

『ユウ……? 本当に、ユウなの!? よかった、無事だったのね!』


 そうか、思い出した。この声、この明るい声は……。


「かあ、さん……? 母さん!? なん、で」

『父さんも近くにいるわ。今はちょっと緊急事態きんきゅうじたいで人手が必要だから、一時的にではあるけどろうから出してもらえたの。くさっても研究者けんきゅうしゃだしね』

「緊急、事態? 一体、タアス星で何が起こっているの?」

『……そっか、ユウは今、タアス星にはいないのよね』


 母さんは小さく息をついたあと、ためらいながらもゆっくりとその口をひらいた。


『……あのね、おちついて聞いてちょうだい』


 深刻しんこくそうなその声色こわいろに、思わずツバをゴクリとのみこむ。


『タアス星にあった星のカケラが、つぎつぎと色をうしなって消えていってるの。今、この瞬間も』


 その言葉の意味を、それがどれだけ大事おおごとなのかを、僕はじわじわと少しずつ理解りかいしていく。


『残っているわずかなカケラではタアス星をかくすのでせいいっぱい。エネルギーが消えたことで星中が大パニックなのよ』


 それはそうだろう。聞いているだけの僕ですら、冷や汗が止まらないのだから。


『……聞いてる? ユウ? ユウ!』

「だいじょうぶ、聞こえてるよ。母さん」


 こまったことに、カケラがなければ当然とうぜん宇宙船も使えない。これで、タアス星からのむかえをたのみのつなにすることは完全にできなくなった。それどころか、これじゃ僕があつめたカケラもいつ消えるかわからない。もしもそうなってしまったら、いよいよ僕は帰れない。


 無限むげんのエネルギーだと思っていた星のカケラはたった今、有限ゆうげんのものとなってしまった。

 先の見えない絶望の中、僕はあわくかがやくコンパスを、無意識のうちにギュッとにぎりしめていた。

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