もう一度だけあの星空を③

 ……これは、なんだろうか。僕が今まで見てきた紙とはまるで別物だ。夕焼けを反射して、ときどき虹色にじいろにキラキラとかがやく。しかもこんなに大量に、一体何に使うのだろう。


「おい、本当にこのへんなんだろうな? いくら警察けいさつが来そうだったからって、こんなところにかねなんかいていったらだれかにネコババされちまうぞ」

「でも、あんな大きなゴミ持ち歩いてたらイヤでも目立つじゃないっスか。あやうく、あとちょっとでサツにつかまるところだったんスよ!?」


 しずかな裏道うらみちにヒソヒソと、しかしはっきりと「金」という言葉が反響はんきょうした。金、カネ……お金? こんなところに、お金が落ちているのか? 本当に?


「クソッ、黒いゴミ袋なんてたくさんあってわかりゃしねぇ。だからおれは目じるしの一つでもつけておけって言ったんだ!」

「……もしかして、ゴミとまちがえられてすてられちゃったんスかね? えっと、えるゴミの日っていつでしたっけ、アニキ」

「バカヤロー! 最近は指定のふくろじゃなきゃ回収はされねぇんだよ!」

「ハッ……。た、たしかに……」


 僕は持ち上げた袋をまじまじと見た。まさか、これが地球のお金なのだろうか。この、あふれんばかりにつめこまれた紙束が……?


「しかたねぇ、かたっぱしから開けていくか」

「ええー!? オレ、潔癖症けっぺきしょうなのにぃ」

「ごちゃごちゃうるせぇぞ。もとはと言えばお前のせいじゃねぇか」


 そう言って、いかつい二人組ふたりぐみは僕のうしろでゴミをあさる。近くで見るとなんだか目つきがするどくて怖い。コンパスのおかげでなんとか袋も自分の姿もかくせてはいるが、少しでも音を出そうものなら何をされるかわかったものじゃない。僕が彼らの探している袋を持っていることがバレてしまったら、きっとおこられるどころじゃすまないだろう。


「アニキ、やっぱりないっスよ。どうしましょう」

「チッ! べつの場所もしらべるしかねぇな。ほら、いくぞ」


 二人組はあきらめたのか、僕を素通すどおりして歩いていった。緊張きんちょうの糸がようやく切れる。ため息とともに袋がかわいた音を立てた。


「んん?」


 しまった。まだ完全かんぜんには立ち去っていなかったのか。


「おい、なにしてんだ。さっさとしろ!」

「へ、へい! ただいま」


 えらそうな男の一声で、なんとかピンチをのりきることができた。僕はもう一度、ホッと息をつく。のこる問題は、このお金をどうするか。僕は、どうすればいい?

 足もとにちらばる生ゴミのツンとしたニオイが僕の思考をにぶらせる。あたまがクラクラしておもい。ひとまず、宇宙船に帰ってから。話はそれからだ。

 そうして僕は、何も考えずに人のお金を自分の船まで持ってきてしまった。


 夜風であたまを少しひやして、僕は自分がどうすべきなのかをずっと考えていた。このお金を病院に持っていけば、アイの母親の願いは叶うかもしれない。でも、その出どころを知れば、きっとアイは手術をうけることをいやがるだろう。ならば、アイの言うとおり母親が願いをあきらめるまで待つしかないのか? お金が手もとにあるというのに、結局けっきょく僕には何もできないのか?

 とおく空の星にたずねてみても、ただ、かすかなまたたきがかえってくるばかりで一向いっこうに答えは出なかった。そうやって、僕は夜通よどおしなやみつづけて、たいした結論けつろんも出ないままムダに一晩ひとばんを明かした。


 次の日、僕は袋を持ってアイの母親に会いにいった。といっても、とおくから見るだけで接触せっしょくはしなかった。

 袋を彼女の通り道に置こうとしては思いとどまり、また追いかけてのくり返し。正直に言うと、きっと僕はこの重荷おもにを、決断の責任せきにんを、彼女に早く押しつけたくてしかたがなかったんだと思う。自分でもなさけないけれど、それが今できる最大限さいだいげんのことだと僕は本気で思っていた。

 彼女はいろんな人のところをまわってはあたまを下げ、時には人目もはばからず土下座までしていた。相手はみんな、もうしわけないような、こまったような顔をして首をふるばかりだった。無視むしされたり、どなられていることもあった。それでも彼女はせわしなく動き続け、何度も何度もおじぎをしていた。

 はたから見ていても、その姿はいたいたしい。きっと、お金のためにはなりふりかまってなんていられないのだろう。僕が決心をかため、袋を道の真ん中にてようとした時だった。


「……これ」


 彼女は道すがら、何かをひろい上げ立ち止まった。思わず僕の手も止まる。

 それは、手のひらに収まるほどの小さな財布だった。スキマからチラリと虹色の紙がのぞいたのでたぶんまちがいない。

 カツン、カツンと彼女はふたたび歩きだす。その財布を手に持ったまま、ひたすら前へと進んでいく。

 そしてそのまま、だれもいない小さな建物の中に入り、そのテーブルに落とし物をゆっくりと置いた。中身にはいっさい、ふれようともしなかった。


「警察官は……見まわり中か」


 彼女は小さな白い紙をポケットから取り出して財布の横に置き、何かをサラサラと書いてその場を去った。足取りはあいかわらず重そうだったけれど、その顔はまだ死んではいなかった。

 僕は大きな思いちがいをしていたみたいだ。もし彼女がこの袋をひろってくれたとしても、きっと同じように落とし物として届けていたはずだ。どんなに苦しい状況じょうきょうでも、彼女は人として正しい行いをした。

 それに比べて僕はどうだろう。お金の誘惑ゆうわくに負けてかってにひろったあげく、その責任を他人たにんに押しつけようとするなんて。それでうまくいったってアイがよろこばないことは、十分じゅうぶんわかっていたはずなのに。そうわかっていたのに迷っていた、そんな自分がずかしくてしかたがない。

 僕は黒くて大きなゴミ袋を、そっとテーブルの上に置いた。財布と小さな紙と袋が、つくえの上でなかよくならんでいる。

 これでいい。これでいいんだ。アイの目を治すという願いを、もう僕が叶えることはできないけれど……。それでも、つみおかしたくない。罪の上に、あの親子を立たせたくはない。

 しぜんとこぼれそうになる涙を必死にこらえて、僕は病院へと走った。キラリと一粒の光が、残像ざんぞうのようにうしろに流れて消えた。




 警官けいかんは、あせっていた。先日起きた詐欺さぎ事件じけん容疑者ようぎしゃをつかまえたはいいものの、そいつらはあろうことか老人ろうじんからまきあげた金をなくしてしまったというのだ。「ありえない、お前らが使いこんだんだろう」といつめても「知らない」の一点ばりで話にならない。

 そうなるとたとえそれがウソでも、警察としてはいちおう探さなければ被害者ひがいしゃの老人に示しがつかない。どうしたものかとこまりはて、なかばあきらめながら交番にもどった時だった。

 テーブルの上に、でかでかと置かれた黒い袋、小さい財布、そして一枚いちまいのメモ。


「うわっ」


 袋がバランスをくずし、ドサッと何かの束がメモの上に落ちる。「落とし物です」と書かれたその名刺めいしには、うらとどぬしと思われる人物の名前がしっかりとしるされていた。

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