もう一度だけあの星空を②

 よくよく落ちついて考えれば、向こうからは見えていないのだから何も言わずに部屋からそっと退散たいさんするのが正解せいかいなのだろう。だが、少女は、アイは明らかに僕のほうをじっと見つめている。まるで、透明な僕の姿が見えているかのように。


「お医者いしゃさん? それとも看護師かんごしさん?」


 僕は思わずくびをかしげた。明らかに、その質問はおかしかったのだ。お医者さんや看護師さんというのがだれのことを言っているのかはよく知らないが、少なくとも地球人であるかぎり、その人たちが透明であるはずもない。ここにいるのはコンパスの力で必死に身をかくす、ただの宇宙人だ。


「ねえ、そこにいるのはわかってるんだよ。お返事してよ」


 そう口では言いつつも、アイの目はどこかうつろで焦点しょうてんがさだまっていないようだった。ためしに、コンパスからそっと手をはなしてみる。

 これでもし、彼女が悲鳴ひめいの一つでもあげていれば、僕はいっかんの終わりだっただろう。だが、アイはゆっくりとまばたきをくり返すばかりで、うんともすんとも言わなかった。

 僕は確信かくしんした。やはり、この少女は目が見えないのだ。そうと決まれば話ははやい。彼女が呼び止めるのなんか無視してさっさとここを出ればいい。

 ……いや、待てよ。逆にこの状況じょうきょうを利用して、カケラを持つ女性、つまりアイの母親ははおやの願いをききだせるのではないだろうか。僕がだれかのフリをしたとしても、アイの知りあいになりすまさないかぎり、バレることはまず考えられないだろう。こんなチャンスを、みすみすのがしてしまうわけにはいかない。


「ごめん、びっくりさせちゃった?」


 僕の声にアイは少しだけ体をのけぞらせたが、すぐにもとの姿勢しせいにもどった。


「僕は……その、君のおかあさんの友達で……」

「なーんだ。それならそうとはやくいってよ」

「ごめん。え、えっと……それで君にききたいことがあるんだけど」

「名前は?」

「え?」

「あなたの名前。後でおかあさんに確認かくにんするから」


 これはまずい。もしこの場をデタラメで切りぬけようものなら、二度とアイの話は聞けないかもしれない。だからといって今さら「ウソでした」とバカ正直に言うわけにもいかない。子どもの用心深ようじんぶかさを、僕はあまく見すぎていた。

 そうやってグルグルと思考しこう迷路めいろからぬけだせず、僕が答えにつまりあわてていると、彼女は何を思ったのか突然クスクスと笑いだした。


「くふっ、あはは! わかった! 病室まできちゃったこと、おかあさんにバレるのがはずかしいんだ! あなた、もしかしてストーカー?」

「ストーカーって?」

「人の後ろをついてまわる人のこと! そんなことも知らないの?」


 まあ、そう言う意味なら、あながちまちがいではないのかもしれない。実際じっさいのところ、僕はアイの母親をつけてここまできたのだから。


「そうとも、いうかもしれない」

「……正直な不審者さんだね。ちょっとびっくり」

「でも、僕は君のおかあさんに迷惑をかけるつもりはない。ただ願いを叶えてあげたいんだ」


 はたからみればかなりあやしまれるようなことを言っている自覚じかくはあった。だが予想に反して、アイは興味きょうみしんしんといった表情で僕の言葉に食いついてきた。


「ねが、い……? おかあさんの願いごとを? どうやって?」

「それを決めるために、その願いが一体なんなのかを君にきこうと思ったんだ」


 アイはだまってうつむき、何かを考えこんでいる様子だった。


「本当に、本当に叶えてくれる?」

「……うん、できるかぎりのことはするよ」


 僕はそう答えるしかなかった。あいまいな返事をしてしまったら、彼女はもう心を開いてくれないような気がしたから。

 アイのくちびるがかすかにひらき、空気がゆれた。ベッドのシーツにかるくシワが走る。


「……お金」

「……え?」

「お金だよ。おかあさんの願いごとは、私の目の手術 費用ひよう


 僕の母星ぼせいであるタアス星にも、お金というものはあった。あらゆるものやサービスにはいつもお金がかかる。だから僕らははたらいて、その仕事に見合ったお金をもらう。

 僕の場合は父さんや母さんをとりもどすために、えらい人にたくさんお金をわたさなければいけないので、お金なんてあってないようなものだったけれど。


「どれくらい必要ひつようなの?」

「わかんない。でも、少なくともおかあさんじゃ絶対ぜったいにはらえない」

「そう、なんだ」


 アイはくるしそうに口をゆがめた。シーツのシワはどんどんとふかくなっていく。


「なのに、それなのに、おかあさんはいつも、いつもはたらいてばっかりで……。無理だって、はらえないっておかあさんもわかってるはずなのに。私の目がなおったとしても、おかあさんがたおれちゃったら意味ないよ。私、そこまでして手術してもらってもぜんぜんうれしくない!」

「わかった。わかったから、泣かないで、落ちついて」

「……べつに、泣いてないし」


 そう言って彼女は見栄みえをはろうとするが、ざんねんながらこちらからは目じりにうかぶ涙がまる見えだった。


「よし、わかった! じゃあ僕が、おかあさんの代わりにお金をたくさんあつめてくるよ」


 口からでまかせもいいところだ。だけど、これ以外に願いを叶える方法が、僕には思いうかばなかった。


「……どうやって?」

「それは……。お金がたくさんあるところから、持ってくるとか」

「あのね、それって犯罪だよ? ハンザイ。わかる?」


 アイの言うとおりだ。いくら透明になってしまえばやりたい放題ほうだいとはいえ、さわぎを起こすのはあまりいい方法ではない。


「それに、そんなことで手に入れたお金で目が見えるようになっても気分がわるいだけ。私は、だれかを不幸にしてまで自分の目を治したいわけじゃない。それくらいなら、べつに今のままでいい」


 僕は何も言えなくなってしまった。正直、いいあんがまったく思いつかなかった。


「……期待した私がバカだったね。てっきりお金持ちのストーカーさんなのかと思った」


 彼女はのそりとがえりをうち、僕に背を向けた。


「……ごめん」

「いいよ、べつに。お金がダメならさ、せめておかあさんが無理しないように、私の目のことをあきらめさせてよ」


 顔はよく見えなかったけど、その声はわずかにふるえていた。無理しているのはアイのほうじゃないのかと、そう言いたかったけれど、彼女の心はすでにかたくざされてしまったようだった。


「かんがえて、おくよ」

「……」


 アイは口をつぐんだまま手さぐりで布団をつかみ、あたまから足までをすっぽりとおおいかくした。もう僕と話す気はないようだ。

 僕も、何も言わずに病室を後にする。アイの母親をおいかけて願いをあきらめさせるべきか、それともお金を大量にあつめる方法を今からでもさがすべきか、また、ついグルグルと考えこんでしまう。


 結局、自分の中ではっきりと答えを出せないまま時間ばかりがすぎていって、気がつけば僕は、あてもなく夕暮ゆうぐれの道を一人ひとりさまよいつづけていた。


 ——ボスン。何かやわらかいものが無気力な僕の足にふれる。黒くて大きなゴミぶくろ。持ち上げると見た目以上にずっしりと重い。

 むすびがあまかったのか、僕が持ち上げた瞬間しゅんかんにするりとふくろの口がほどけた。「しまった」と思いながらも、おそるおそる、その中をのぞきこむ。


 そこに入っていたのは、数えきれないほどたくさんの紙のたばだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る