第四話

もう一度だけあの星空を①

「おかあさん、今日の空はどんな空?」

「ん? 今日はねー、夜空の星がよく見えるよ。月も満月」


 少女は病院びょういんのベッドの上で、見えない星空に思いをはせる。そんな健気けなげ姿すがたを見ているだけで、少女のははの目にはいつも涙がにじんでしまう。


「それにね、今日は何年かに一度の流星群りゅうせいぐんが見られるんだって。知ってる? 流星群」

「それくらい私にもわかるよ! 流れ星のことでしょ?」


 少女はそう言って不服ふふくそうに、ほほをプクッとふくらませた。その様子ようすがかわいくて、なんだかおかしくて、ついかおがほころんでしまう。


「えらいね、知ってたんだ」

「あたりまえでしょ」


 その時、空をひとすじの光がよぎる。それを合図にするかのように、つぎつぎと流れ星が夜空をうめつくすほどのかがやきをはなってはっていく。

 きれいだ、と思うと同時に、この景色を見ることすらゆるされない少女のことを思うと、また涙腺るいせんがゆるんでしまった。


「ねえ、おかあさん……。流れ星って、きれい?」


 少女は、その星に照らされた顔をさらにかがやかせてそう母にたずねた。


「……うん。とっても、ね」


 少女の母は心の中でねがった。もし、もしも願いが本当にかなうならば、どうかむすめの病気をなおしてほしいと。どうかもう一度、このきれいな夜空をみせてあげたいと。

 そう星にいのりをささげて、彼女は窓ぎわでまた一人泣いた。




 雨上がりの朝、さわやかな風がぼくのほほをなでる。僕は水たまりをんでしまわないよう気をつけながら、コンパスがしめした新たな星のカケラをさがすべく大通りをねり歩いていた。


「ひ、ひったくり!」


 とつぜん、人ごみのおくから甲高かんだかい叫び声がして、大きなバッグをかかえた男がこちらに向かって突進とっしんしてきた。

 透明とうめいになっていた僕にその男が気がつくはずもなく、ドシンと体に重い衝撃しょうげきが走って男はその場でひっくりかえってしまった。バッグに入っていた果物や花束はなたばも、そのいきおいのままちゅうう。

 僕は目をまわすヒマもなく立ち上がり、あわてて空にらばったバッグの中身をもとにもどした。その様子はおそらく、かなり不自然ふしぜんだったにちがいない。しかし、まわりの人々の視線はみんな、気を失っているひったくりの男にそそがれていたため、だれもその異様いよう光景こうけい目撃もくげきすることはなかった。


 人があつまって身動きがとれなくなる前に、ここからはなれたほうがいい。そう思った僕は、しのび足でゆっくりと男にを向ける。向けたところで、僕の足はピタリとかたまってしまった。

 足もと、いや、むねでキラリキラリと点滅てんめつする光。星の、カケラだ。

 タッタッタッタッ……という軽快けいかいな音に合わせて、そのきらめきはどんどんとふくれあがっていく。


「ハアッ……ハッ……わ、私の、バッグ……」


 そっとふりかえると、かたで大きくいきをし、苦しそうにひざをついた女性が、必死ひっしにバッグをたぐりよせようと後ろでもがいていた。よっぽど全力で走っていたのか、その呼吸はみだれ、手足もおぼつかないほどにつかれ切っている様子だった。


 まさか、こんな街中まちなかでカケラの持ちぬしを見つけることができるとは思わなかった。だが、これだけ大勢おおぜいの人がいるところで彼女の後をつけるのは中々むずかしそうだ。そうなると、気は乗らないが、もうこうするしかない。

 僕はかんがえぬいたすえに、さきほどひろった花に変身し、こっそりとバッグに身をひそめた。花や果実のあまい香りがあちらこちらにたちこめ、僕のはなをくすぐる。うっかりしていると、くしゃみが出てしまいそうだ。あぶない、あぶない。


「ああ、よかった。中身は無事ぶじみたい」


 バッグをなんとかりもどした彼女は、息をすばやくととのえて、何事もなかったかのようにその場をった。後にのこったのは、あわをいて気をうしなっている手ブラのひったくり犯と、それを遠まきにながめる人々のみだった。


「最近いろいろ物騒ぶっそうでイヤになるわねえ……」

「本当にね。この間なんかさ、おとなりのおばあちゃんがオレオレ詐欺さぎでなん百万も取られちゃったらしいわよ」

「まあ、こわい!」


 まわりにいるだれかのウワサ話がふと耳にはいる。しかし残念ながら、バッグの奥底おくそこにおしこめられた状態じょうたいでは、一体何を話しているのか僕にはさっぱりわからなかった。


 歩くたびにつたわる振動しんどうにもようやくれてきたころ、ドサッという音とともにひときわ大きくバッグがゆれたかと思うと、急に視界しかいが明るくなった。こちらをのぞきこむ女性のかおがよく見える。どうやらバッグの中身をとり出すつもりのようだ。

 そのしなやかな手にみちびかれて、真っ白な部屋のすみにある花びんに僕はけられた。他の花もいっしょだからか、ちょっとばかり窮屈きゅうくつに感じる。バレないようにほんの少しだけ身をよじると、ベッドの上、すうすうと寝息ねいきをたててねむる一人の少女が目に入った。


「アイちゃんのおかあさん、来ていらしたんですか」

「あら、先生。どうも」


 女性は、先生と呼ばれた白ずくめの男となにやら話しこんでいるみたいだ。僕はすみっこの花びんから、そっと聞き耳をたてた。


「どうですか、先日のお話、検討けんとうしていただけましたか?」

「ええ、もちろん。できるなら今すぐにでも最先端さいせんたん手術しゅじゅつを受けさせてあげたいんです。でも……」

「……治療費ちりょうひ、ですか」

「本当にもうしわけありません。もう少し、もう少しだけ、待っていただけないでしょうか?」

「しかし、教授きょうじゅが日本に、しかもちょうどこの県内の病院にいるなんてキセキはきっと二度とおこりませんよ。あと二日、それがすぎたら、僕にはどうしようもできません。ただでさえムリを言っている状況じょうきょうですから……」

「ありがとう、ございます。借金しゃっきんでも、何でもしてどうにかしますから」

「……わかりました。話は通しておきます」


 白い男が立ち去った後も、彼女はだれもいない空間に向かってあたまを下げたままで、なんども感謝かんしゃの言葉を口にしていた。その背中はなんだか弱々よわよわしくて、ひったくりからバッグをとりかえした姿からは想像そうぞうもつかないほど元気がなかった。


「寝てるし、果物はまた明日かな」


 女性はよろけながらもなんとかバッグをかつぎなおして、少女のあたまをそっとなでた。


「また来るね、アイちゃん」


 少女は心なしか、やすらいだ顔をしている。それを見て満足まんぞくしたのか、女性は軽くほほえんでから、しずかに部屋の外へと出ていった。


 さらりと彼女を見送みおくってしまったが、僕はとっさに自分の目的を思い出し、すぐに追いかけようとコンパスをにぎった。さいわいにもアイという名の少女はねむっている。花びんの花が一本なくなったところで気がつきもしないだろう。

 ——結果的に言ってしまえば、その考えはあまかった。僕が走り出そうとした瞬間しゅんかんだった。キュイィ……と奇怪きかいな音が、ツルツルの床からひびきわたる。その小動物の鳴き声のような音が出たひょうしに、ねむっていたはずの少女の目は、あろうことかパチクリと開かれてしまった。


「……だれか、いるの?」


 ここから早く逃げるべきだと、すぐにカケラの持ち主を追いかけるべきだとわかっているのに、その一言で僕の足は完全に床からはなれられなくなってしまった。

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