きらきら星になりたい③

 ミイがいなくなってしまった日も、チエはゆったりと読書を楽しんだり、縁側でくつろいだり、いつも通りの日常を過ごしていた。ただ、その目はいつもどこかさびしげで、何をしていても焦点しょうてんがさだまっていない様子だった。


「ミャー」


 なぐさめるように僕が鳴くと、彼女はいとおしそうにフサフサの毛を手ですいて笑った。


「なあに、ブチもミイが心配しんぱいなの? 大丈夫よ、ミイの家出いえではいつものことだから」


 そう言って僕をなでるチエのまゆは、口角とは反対に下がっていた。僕がいくら彼女にすりよっても、その苦笑にがわらいをくずすことはできなかった。

 夕方になっても一向に帰ってこないミイに、いよいよしびれを切らした僕は、あたりを少し探してみようと思い、軽い気持ちで庭に出た。


「……ブチッ!」


 いたいくらいにかなしげな声が、僕の背中にさる。ふりむこうと動く間もなく、気がつけば僕はチエのうでの中にいた。体に伝わる圧迫感。抱きしめられたのだということを、僕は今になってようやく理解した。

 うなじに、何か温かいものが走る。それはつうと僕の背中を伝って、モノトーンの毛並みにじわじわと吸いこまれ広がっていった。


「行かないで……。ブチまでわたしをおいていくの? イヤだ、もう一人はイヤなの」


 彼女は、泣いていた。今までの、のほほんとした態度たいどがウソのように、声を思い切り上げて号泣ごうきゅうしていた。僕の毛はきっと、涙とよだれでれくるっているにちがいない。

 こんな状況じょうきょうにもかかわらず、「そういえばネコは、ミイは自分のよだれで毛並みをととのえていたな」などというくだらない、どうでもいいことが、思考のすみにフワフワと浮かんでじゃまをした。


「……ニャー」


 まるで子どもをあやすように、僕は肉球をチエの手にかさねる。カサカサで、今にもこわれてしまいそうなほどたよりなくて、でもやさしくて温かい手。

 そのさびしさが、ひとりのつらさが僕にもわかってしまうから……。だから僕は、チエが寝静まった夜にもう一度だけ、ミイを探しに行くことを決めた。


 月と星の明かりだけが、庭の草木をあざやかに浮かび上がらせる。きつかれてしまったのか、チエは僕を抱きしめたままぐっすりと眠っていた。起こさないよう慎重しんちょうに、その二のうでからすりぬける。

 縁側は昨日と同じく幻想的げんそうてきな光でみちていた。ただ一つちがうことがあるとすれば、そこにはミイがいないのだ。

 いや、それだけじゃない。もう一つ、僕には見落としていたものがあった。胸元むなもとでゆらめくコンパスの、まるでくもにかくれた月のようによわはかないかがやき。

 僕はずっと大きな勘違かんちがいをしていた。今の今まで、てっきりカケラは人間が持っているものだと思いこんでいた。どうして気がつかなかったんだろう。どうして、あいつの、ミイの願いに気がついてあげられなかったのだろう。


『ありがとうって、いっしょにいて楽しかったって、伝えて』


 最後に聞いたミイの言葉が、ずっとあたまからはなれない。そのすずのようにんだ声が、どうしてもこびりついて消えてくれない。

 僕は走った。夜のまちを、たった一つの光をもとめてけぬけた。コンパスにかかった雲が、だんだんとれていく。ゆっくりと、でも確実かくじつに、僕は彼女に近づいている。

 全身ぜんしんをなでる夜風を感じながら、僕はそのみちびきにしたがってひたすらに、前へ前へと足をすすめた。


 むねの光は確実にそのはげしさをましている。このあたりにいることはわかっているのに、それでもなかなかミイの姿が見つからない。


「ミイ! ミイー!」


 力のかぎり僕はさけぶ。声がかれるほど、のどがすりきれるほどにあいつの名前を呼び続けたけれど、暗闇くらやみからかえってくるのはいつも、こだまする僕の悲鳴ひめいだけだった。


 えた空気が、しだいに僕の体をこわばらせていく。僕の目には黄色きいろ街灯がいとうとモノクロの景色けしきがうつるばかりで、その色あせた光景こうけいすらどんどんぼやけてにじんでしまう。

 アスファルトにポタリと水滴すいてきの花がさいたその瞬間、もう僕は完全に動けなくなってしまった。

 空が、知らぬまに星も月もかくしてしまったくもり空が、ポツリポツリと泣いている。僕の瞳からも、ひとすじのぬるい雨がふる。

 雨宿あまやどりさえおっくうになるほど、僕は自分の無力さにうちひしがれていた。


 不意に、強い光が僕の目をさし、くらませる。あまりのまぶしさに、僕は思わず人目につかない路地裏ろじうらへと避難ひなんした。

 車が水たまりをはねとばしながら僕の前を横切よこぎっていく。するどいヘッドライトにうばわれた視界しかい。そのはしに、僕は先ほどとはちがう、温かくおだやかな光をとらえた。なつかしさすらおぼえるほどの、あわいオレンジ。

 カケラだ。星のカケラが、こんなうすよごれた路地裏の中でひときわうつくしく、そのきらめきをはなっている。

 ならば、ミイは。あいつはどこにいる。いるはずだ、かならず近くにいるはずなんだ。だって、このカケラは、ミイの心にあったものなのだから。探して、ちゃんと見つけないと、ここまで追いかけた意味がない。見つけるんだ。ぜったいに、見つけなければ。どこだ、たのむ……返事を、なんでもいいから、ただうなるだけでもいいから僕の声に答えて!


 雨はいよいよその勢いをまして、僕も、カケラも、あたりにちらかるゴミも、分別ぶんべつなく平等にぬらしていく。

 ふと視界に入ったふくろかげ、そこにひそむなにかが、僕を呼んでいる。木材やビニールにまぎれ浮かび上がるいびつなシルエット。オレンジに照らされ、雨にうたれ、ゆらゆらとゆれる三色の毛。

 やっと、見つけた。ゆっくりと、その背中に肉球をおしあてる。

 ……冷たい。こおりのように冷たくて、小さくて、ピクリとも動かない。


「起きて。ねえ、起きてよ。ミイ」


 ぐらり、とその体が不気味ぶきみにねがえりをうつ。


「ミ……」


 その瞳は、もうなにもうつしてはいなかった。どしゃぶりの雨が、容赦ようしゃなくその亡骸なきがらにふりそそぐ。ミイは身じろぎひとつせず、その全てをあまんじてうけいれていた。

 ふるえが止まらないのは、僕一人だけだった。

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