第1話 襲来
「竹内さん、起きてますか」
扉をガンガンとノックする音で目が覚めた。同時に俺の頭もガンガンと脈打ち始める。時計を見ると、午前6時。なんて時間に起こしやがる、くそったれめ。
わざとゆっくり起き上がり、キッチンへ向かう。洗い物がたまっているが、比較的きれいなコップを手に取り、水を注いだ。なおも続くノックを無視しながら、時間をかけて飲み干す。
「竹内さん、おはようございます!」
底抜けに明るい声と共に、流しの窓ガラスが叩き割られた。突然の出来事に、俺は跳ね上がりながら身を縮める。口から吹き出した水が、無精ひげを伝い、Tシャツの胸元を濡らした。
無残に砕かれた窓の向こうで、上司の西古みゆきが手を振っている。上司と言っても年齢は向こうの方がかなり下、まだ二十代前半らしい。朝日で白い肌がさらに輝き、風でも吹いているのか真っ黒なロングヘアがたなびいている。銀縁の眼鏡をかけた彼女は、十人中十人が振り返るであろう文学系美人だ。しかし、その満面の笑みからは狂気しか感じない。振っていない方の手には、あろうことか金槌が握られているのだ。
「竹内さん、お仕事が入ったので、お迎えにあがりました」
これ以上無視すれば、俺の命が危ない。この窓ガラスは、会社が補償してくれるのだろうか?
「ずいぶん手洗い目覚ましじゃねえか。すぐに支度してやるから、ちょっと待っておけ」
精一杯の虚勢を張って返事をする。声は少し震えていたかもしれない。
水色のかわいらしい軽自動車の助手席に乗り込むと、ハンドルを握った西古が茶封筒を差し出してくる。中身をあらためると、画質の粗い白黒写真が目に飛び込んできた。
「本日の午前4時に日本海で撮影されたものです」
「あらまあ、かわいいチンアナゴちゃん」
写っていたのはまさしくチンアナゴだった。白くて長い胴体。黒いぶち。うつろな目。
違っているのは、それが恐ろしく巨大だということだけであった。海面から伸びた巨体。近くには、うちの会社のものとみられる無人偵察船が浮かんでいる。それと比較して考えるに、優に百メートルはあるのではないか。
「ちょっとこの子、どうしちゃったの?」
「生体、由来、特性、すべて不明です。前に出てきた個体のように、別次元から来たのではという予測ですが、今のところ付近で強烈な磁場も観測されていません」
「前の巨体って、あれか、タコくんか」
「どこがタコですか。爪も牙も毒針もあったのに」
以前出現したタコくんは、強烈なキャラクターだった。ぬるりとした丸い胴体に何本もの触手がついているまではいい。触手の先に爪がついていたり、胴体に牙の並んだ口がついていたり、触手のうちの一本がやたら長くて――多分しっぽだったのだと思う――その先にサソリのような毒針がついていたりしたのも、まあよかろう。衝撃的だったのは、途中で裏返ってしまったことだ。それまではある程度愛嬌のある見た目だったのだが、裏返ってからは何というか、臓物やら血管やらをむき出しにしたなんとも気色悪い化け物と化し、俺のみならず、対処に当たっていた全スタッフを震え上がらせた。
「国からは、『追い返せ』とお達しがありました。本件は完全に我々へ委託するとのことです」
「国の連中にしてはいい判断じゃねえか。後出しで対応を変えられるのはごめんだ」
「そう思いまして、偉い人のところまで、明け方にちょっと行ってきたんです。少し金槌を見せたら、『どうぞ御社の好きにしてください』と」
「え……マジで?」
「冗談です」
相変わらず西古は笑顔なのだが、目が笑っていない。俺は改めて身震いする。こいつを敵に回してはならない。
水色の軽自動車は、少しうなり声をあげながら、国道を走る。俺は脳みそやら胃袋やらにアルコールの残滓を感じながら、過ぎていく建物を見ていた。
チンアナゴは、あのマンションの何倍くらいあるのだろうか。百メートル強だとして、2倍、いや、3倍か?
とりとめなく独り言をつぶやいていると、西古が「そういえば」と切り出した。
「今日から、新入社員が来ます」
「へ?」
「新入社員です。我々に新しい部下ができるということです」
俺の頭の中で真っ先に立ち上がったのは、「めんどうだ」という強い感情だった。自分より若い人間は、何を考えているか分からないから嫌いだ。もちろん、筆頭は隣に座っている女である。
「そんなに人手を増やしてどうするつもりなんだか」
「それはもちろん、我々の仕事が危険だからですよ」
巨大なタコやチンアナゴと渡り合う。確かに、危険な仕事なのかもしれない。
「特に竹内さんなんか、いつ死んでもおかしくないような戦い方ばかりですよね」
「馬鹿言うな。自分から死にたがるやつがどこにいる」
「私の隣」
口の減らないやつだ。
そのままの流れで、西古から今後の動きについて説明を受けた。何のことはない、これまでに対処してきたやり方と同じだ。
会社に到着したら、即座に会議。もちろん、チンアナゴ撃退作戦会議だ。新入社員もここから参加する。
策が固まり次第、通信課が機器の準備を始め、総務課がお偉いさんとの連絡を取りだす。広報課が世間に情報を発信し、整備課が無人戦闘機を起動させる。要するに全スタッフ総動員で、チンアナゴを攻めにかかるのだ。
もちろん、俺にも役割はあるわけだが。
「タコくんの時と同じで、俺は様子見でいいんだよな?」
「それがそうもいきません。タコの一件で、最初から竹内さんに動いてもらった方が、確実に早期解決を図れると分かりました。つまり、今回は会議が終わり次第レッツゴーです」
西古は笑顔を崩さずに、「上層部の判断です」と付け足した。
「それを上層部に提案したのは?」
「私」
ほらみろ。
そうこうしているうちに、会社に到着した。
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