第29話 勇者の決意

 師とともに、山に籠もっておよそ一ヶ月。

 つまりそれは、あの『魔王』との邂逅から、およそ一カ月ということだ。


 師の構え──『九十九式』を眺めながら、リリシュナは一カ月前の事をぼんやりと思い出していた。


 破られるはずのない九十九式はあっさりと破られ、倒された師の元へと歩む魔王に対して、手を広げて、慈悲を乞うしか無かった自分。

 

 魔王は恐らく──そんなリリシュナにがっかりしたのだろう。

 敵わぬまでも、魔王と戦う気構えを見せるべきだったのかもしれない。

 だが、至極当たり前の話として、無いものは見せられない。

 勇者認定戦へと登録してからも、また、その戦いを勝ち抜いてからも、そんな気構えを持ったことなど無いのだから。


 そんなリリシュナを見て、魔王は師に『鍛え直せ』とだけ告げ、去った。

 リリシュナを傘下に加える為に来たとは言っていたが、つまり⋯⋯『味方』とも『敵』とも認識して貰えなかった、ということだ。


 敢えて言えば⋯⋯『未熟者』。

 技も、心も。

 それが魔王から自分に下された評価だ、とリリシュナは判断した。


 その評価は──改めさせる必要がある。


 意識を師に戻す。

 ここに来て約二週間目に、師が魔王と戦った時に使用したのは、リリシュナの知る九十九式ではなく、『裏』だと教えて貰った。

 今、師はその『裏九十九式』を使用している。

 弱点は聞いている。

 時間制限がある、という事。


 だが──。


 リリシュナは時間切れなど待たず、踏み込み、左の拳を繰り出した。

 師が自動防御により、右手の甲でそれを防ごうとするが──。


 突き出した左拳を開き、手のひらで甲を掴み、そのまま腕を反転させ、師を逆に崩す。

 体勢を崩した師、その胸元へと右拳を打ち込む。

 

「うぐっ!」


 リリシュナの繰り出した右拳が、狙い通りベイドラントの胸に突き刺さった。

 そのまま師は、その場に膝をついた。


「よし、これで一本──ですよね?」


「ちっ⋯⋯やるじゃねぇか、九十九式を破るたぁな」


「自分でも使えるようになりましたから。その弱点もわかります」


「弱点⋯⋯かよ」


「はい。師匠の九十九式は⋯⋯未完成です」


「ふん。んなこたぁ知ってるよ、負けたばっかりだからな。じゃあ今度は──お前の番だ」


「はい」


 師の言葉に、リリシュナは構え──ることなく、ただ、立った。


 自然体。

 九十九式を自分でも使えるようになったからこそ、解る。


 構えは不要。

 歩いている時、走っている時、寝転がっている時、そして、師が魔王にされたように、仮にどこかから落下している最中であろうとも。


 あらゆる状況で、相手のどんな攻撃にも対応出来なければならない、それが、リリシュナの出した答え。


 師が先ほどのリリシュナと同じ初手、鏡に映し出したかのように、同じ軌道で拳を繰り出して来た。

 師同様にリリシュナは甲で、その攻撃をなそうとし、師もまた手を広げて彼女の甲を掴み、手を反転させ体勢を崩しにかかってきた。

 リリシュナは体勢を崩そうとする師の動きに逆らわず、身体を回転させながら、地面から足を離した。


 そしてそのまま──飛び上がる勢いを利用し、彼女の足を上下から巻き付けるように、師の腕を挟み込んだ。


「グッ!」


 体格に劣るリリシュナとはいえ、流石にその体重を腕一本で支えられるはずもなく、師は体勢を崩した。

 そして師を地面へ引き倒しながら、肩の関節を極めた。


「あだだだだ!」


「一本⋯⋯ですね?」


「ああっ! 参った! クソ!」


 拘束を解くと、師は肩をさすりながら恨めしそうな表情で言った。


「⋯⋯勘違いすんじゃねぇぞ」


「え?」


 師の言葉が持つ意味が理解できず、リリシュナが聞き返すと。


「俺を超えた、なんて思うんじゃねぇぞ? 全盛期なら、おまえなんて指一本触れさせてねぇよ」


「はい」


 リリシュナが頷きながら答えると、師はしばらく睨み付けるように彼女を見て、黙っていたが⋯⋯。


 やがてガシガシと頭をかきむしりながら、ふて腐れたように言った。


「あーっ! もう! 嘘だ嘘! オメーはもう俺を超えたよ! 今の俺じゃねぇ、全盛期の俺を、だ!」


「えっ? あ、はい、ありがとうございます」


「⋯⋯あんま嬉しそうじゃねぇな」


「はい、いや、まぁ、あまり実感が伴わないっていうか⋯⋯」


「百式だ」


「え?」


 師の言葉、その意味が分からずリリシュナは聞き返す。


「俺が理想とした技。それが百式。お前は足りなかったパーツを埋めた」


「理想、ですか?」


「ああ。九十九の防御手段、そして、それを打ち破るべく放たれた技でさえ、逆手に取る。それが俺の、長年の理想だった」


「そうですか、そう⋯⋯」


「で、お前はどうするんだ?」


「え?」


 質問の意図が掴めず聞き返すと、師は少し言葉を選ぶような様子を見せたあと、結局ストレートに聞いてきた。


「魔王の下に付くのか?」


「いえ、それは無いです」


 即答する。

 師は苦笑いを浮かべながら言った。


「無いか」


「ええ、ありえません」


 魔王の部下になるつもりなど、一切ない。

 ただ、力は認めさせなければならない。

 あの時、リリシュナは強く、強く決意したのだ。


「ただ⋯⋯」


「ん?」


「人だ、魔族だ、そんな事にこだわり過ぎるのは馬鹿馬鹿しい、と思わされたのは確かです」


「⋯⋯まあな。あれはそんな範疇で測れる男じゃなかった」


「ええ」


 リリシュナは今まで、漠然とだが、自分は魔族、引いては魔王の敵対者、それが無理やり押し付けられたとはいえ、使命だと思っていた。


 しかし⋯⋯。


「師匠」


「なんだ?」


「魔王の従者⋯⋯覚えていますか?」


「ああ。あの化け物級の女魔術師か」


「私の⋯⋯魔法の師匠と、どっちが上だと思います?」


「魔王の従者だろうな」


「そうですよね、だからまずは⋯⋯」


「まずは?」


「認めさせます、魔王に。私の力を⋯⋯だから私、全員、超えます」


「ふん⋯⋯まあ、頑張れや」


「はい!」


 魔王は言った。

 あの女は部下ではなく、友人だと。


 恐らく魔王は、その力を認めた相手の事は『友』と呼ぶのだ。


 だから、魔王の下にはつかない。

 

 リリシュナは一生忘れないだろう。

 魔王と出逢った時の、あの衝撃を。


 総てを睥睨するかのような雰囲気を湛えた、その瞳が。

 リリシュナに『下に付け』と命じた、その唇が。

 一目見るだけで鍛え抜かれた事が分かる、その体躯が。

 身に纏う暴虐さを孕んだ、その気配が。

 

 


 魔族だ、人間だ、そんな事にこだわるのは馬鹿馬鹿しい、そう強く思わされるほど、あの人は──。


(マジ、めちゃくちゃタイプだったんだけど、あの人)


 だから魔王に自分の力を認めさせ、部下などではなく、対等な──お友達から始めるのだ。


(今回は会いに来てくれたけど、絶対に強くなって、次は私からあなたに会いに行くわ。待っててね──魔王ウォーケン)


 リリシュナは強く決意するのだった。

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