第23話 出来る男の前に

 俺はとっさに周囲の気配を確認する。

 警笛に反応した兵士が六人ほど、門の近くにあった詰め所からこちらに向かって来ているようだ。


 次にドアが勢いよく開け放たれ、隣の建物から人影が踊り出した。


 子供だ。少し走ったところで、さらに後ろから飛び出した兵士に肩を掴まれ、引き倒され、そのまま取り押さえられてしまった。


「は、離せよ!」


「離すわけねぇだろ、このクソガキ!」


 子供は十歳を少し回った程度だろうか。

 初めて出会った頃のロクサーヌと比較しても少し幼く見える。

 取り押さえられている間に、わらわらと兵士が集まり、子供を取り囲んだ。

 その内の、兵士のひとりが疑問を投げた。


「間違いないのか?」


「ああ。偽人薬をケチったんだろうさ。僅かばかり、虹彩に魔族特有の変化があったぜ」


 ぎじんやく?

 会話の流れから察するに『偽人薬』、つまり魔族が人間に化ける為の薬って事か?

 虹彩の事を言っているし、恐らく暗闇に対する目の反応を鈍らせる物なのだろう。

 俺が事態を眺めている中、捕まった少年はまだ暴れていたが、多勢に無勢、といった具合だ。


 ただ、抵抗をやめない少年に痺れを切らしたのか、衛兵のひとりが警棒を振り上げ⋯⋯


 ガッ!


 と、少年の背中に打ち付けた。

 瞬間、俺の袖が引っ張られる。


 ロクサーヌが俺の袖を掴んでいた。

 顔を見ると、何かに耐えるような表情だ。


 少年は抵抗を止め、地に臥した。


「おい、やりすぎだ! そんなに強く⋯⋯死んだらどうすんだ!」


 衛兵のひとりが警棒を振った同僚へと注意を飛ばすが、実行した男は悪びれもせずに言った。


「へっ、薄汚い魔族一匹、死んだところで何てこと無いだろう」


 その発言に呆れたのか、注意した衛兵は溜め息を吐く。


「あのな、お前は配置転換されたばかりでわかって無いかも知れないが、もし死んだら⋯⋯」


 男は呆れ顔を浮かべていた表情を一転、皮肉げな笑顔へと変える。


「処置が面倒だろうが」


 善意ではなく。

 ただ面倒だから、ということか。


「それにな、門で魔族を捕まえたら、裏で奴隷商に回してるんだよ。最近は買取価格も下がってるが、まだいい小遣いにはなる。俺達はそうやって飲み代稼いでるんだ、死んだらそれもパァになるだろうが」


「なんだ、それを早く言ってくれよ⋯⋯イッテェ!」


 衛兵たちが話していると、殴打された少年が起き上がり、話に気を取られていた男の指に噛み付いた。

 反射的に、衛兵は再び少年へと警棒を振る。

 今度は頭部だ。


 さっきより鈍い音がした。

 噛みついていた指から、あっさりと口は離され、少年は再び地面へと倒れる。


 だが先ほどと違い、衛兵はそれでは止まらなかった。


「このクソガキ! 死ね! 小遣い? 面倒? 関係あるか!?」


 倒れた少年を、男が踏みつける。

 何度も。

 周りの衛兵も、今度は止める様子もない。

 仕方ないなといった、そんな、苦笑いを伴った態度だ。


 俺の地獄耳は、骨が折れる音を拾った。

 ロクサーヌが掴んでいる、俺の袖がブルブルと、彼女の、腕の震えを伝えてくる。


「ごぼ、母ちゃん⋯⋯ゴメン、薬⋯⋯」


 今度は、血を吐きながら呟ぶやかれた少年の声が耳に届いた。

 そして、俺の隣にいるロクサーヌの、荒くなっていく呼吸の音も。


 俺自身といえば、正直、この少年に対して同情の気持ちなどカケラもない。


 目の前の光景は自然の摂理、その延長だ。


 弱い奴は、死ぬ。

 何度も見てきた。

 山でも、魔帝軍との戦闘でも。


 そして、この少年は生き延びる術を自ら放棄したも同然だ。

 自分より強い相手に牙を向く。

 その代償が死だった、それだけだ。


 そんな死を、俺はこれまで見ただけではなく、何度も他者に与えて来たのだ。

 だからこれは、善意でも、同情心でもない。

 

 興味だ。


 明らかに自分より強い相手に立ち向かう。

 魔王様や他の魔将軍には敵わない、と感じている俺が、決して取らない行動だ。

 何がこの少年をそうさせるのか?

 先ほどの呟き──母親への気持ちか?


 何にせよ、いつかは魔王様を組み伏せると誓っている俺が、この少年から何かを学べるかも知れない。

 気が付けば、俺は兵士に声を掛けていた。


「おい、やめろ」


 俺が声を掛けると、興奮した衛兵が踏みつけていた足を止め、睨み付けてきた。


「なんだぁ?」


「妻が怯えている。暴力的な行為は控えてくれないか?」


 袖が強く引っ張られた。

 ロクサーヌに視線を移すと、首を振っている。


「ダメ、旦那様、ダメだよ」


 彼女が兵士には聞こえない程度の小声でささやく。

 多少大人になったとはいえ、こう見るとまだまだ俺から見れば、子供だった二年前と変わらない。

 安心させるために頭に手を置き、笑顔を作りながら返事をした。


「大丈夫だ、丸く収める」


 俺は手を下ろし、そのままそっと袖を掴む手を解くと、衛兵へと歩み寄った。


「そこの衛兵」


「あ⋯⋯はい、何でしょう」


 返事をしたのは、先ほど俺達を審査した男だ。


「さっき提示したように、我々はウェルナンド商会の者だ。ウチでは奴隷も扱っている。この坊主、良い奴隷になりそうだからここで我々に買い取らせて貰えないか? 謝礼は弾む」

 

「あ、いや、それは⋯⋯」


「ダメか?」


「あ、いや、その、実際はその辺ってのは、公(おおやけ)になると⋯⋯その」


 先ほどの話は、公言してはマズい事だったようだ。

 口を滑らせた兵士の事を軽く睨んでいる。

 好都合だ。


「なら、我々も共犯者として巻き込めば良いのでは? じゃないと、余計な口を滑らせそうだ。ウチの商会の情報網なら、あっという間に広まりそうだ」


「⋯⋯それは」


 応対している兵士の後ろで、ヒソヒソと、他の兵士たちが相談を始めた。

 ま、俺には聞こえているが。


「どうする?」


「まあ、いいんじゃないか? 馴染みの奴隷商にバレたらうるさそうだが⋯⋯」


「それはここで口止めすれば大丈夫だろ? 向こうも危ない橋を渡るんだ、ウェルナンド商会ならそんなリスク取る事もないだろう。建て前はともかく、おそらく融和派が善意で救おうとしてんだ、ふっかけようぜ」


「そうだな、それでいこう。最近リヴィアの店にも金欠で顔を出せてねぇし」


「もう男が出来てるかもな」


「やめろよ」


 女の事でからかわれた男が、手で宙を飛ぶ虫を払うような仕草をしたあと、俺と応対している衛兵へと耳打ちした。

 それも聞こえてるけどな、金貨二枚で手を打とうぜ、と。

 衛兵は頷き、咳払いをした後で条件を告げた。


「本来なら許可される事はありませんが、王国に多大な貢献をされているウェルナンド商会の申し出とあれば、我々も無碍にはできません。金貨二枚でこの魔族を奴隷として払い下げる⋯⋯ということで如何でしょうか」


「では、それでいこう」


 いやー。

 やっぱり俺って交渉上手。


 懐から、金貨二枚を取り出そうとすると⋯⋯。


「ふざけんじゃねぇ! 俺抜きで勝手に色々決めやがって! この魔族ゴミは俺に舐めたマネしやがったんだ! そんなもんで済むかッ!」


 少年に噛みつかれた男が不満を叫んだ。


「では金貨三枚では?」


「うるせぇっ! コイツはこのまま死にゃあ良いんだよっ! ウェルナンド商会? 関係あるかっ! もしゴチャゴチャぬかすなら、今後スムーズに門を通れると思うなよ!」


「お、おい⋯⋯」


 周りの衛兵も制止しようとするが、男は止まらない。


 交渉決裂だ。

 あーあ、台無しだな。

 俺は男に歩み寄りながら言った。


「ま、怒りはごもっともだ。自分より弱い奴が、強者に逆らって我を通すなんて、罰を受けるのが当然だよな?」


「わかってるじゃねぇか! コイツは死んでも当然なんだよ!」


「ああ、俺も同じ考えだ」


 せっかく門をトラブルなく通してくれたロクサーヌには悪いが、やれることはやった。

 本来する必要のない行動──譲歩だ。

 それを男は蹴った。


 なら、仕方ない。


 俺はそのまま、男の方へと歩み寄った。


「何だ? 結局文句でも──」


 話を続けようとする男の顔面を掴み、おもむろに放り投げた。

 男は放物線を描いて宙を舞ったのち、検査用の建物に激突した。

 その衝撃で建物は崩れ、俺が投げ飛ばした衛兵は瓦礫の中に埋まった。

 手加減したというのに脆い壁だな。

 俺は周囲に警告を発した。


「全員動くな」


 残った五人の衛兵たちは、何が起こったのか判らない様子で固まっていたが、そのうちの一人が我を取り戻し、警笛に手を掛けた。

 瞬間、俺は素早く間合いを詰め、衛兵たちの中に飛び込み、笛を吹こうとした男の警笛ごと、手を握り潰した。

 骨と笛が砕ける鈍い音が響く。

 苦痛に耐えかねた男が膝をついた。


「次に動いた奴は腕を折る、その次に動いた奴は殺す」


 俺の視界にいる三人は、俺の足元にいる手を砕かれた男を凝視したまま動かなかったが、背後で残りの一人が動く気配がした。

 振り返り、笛を口に含もうとした男に素早く近づき、宣言通り腕を折った。


「あ、ああ、あああああっ!」


 腕を抑えながら男が倒れ、背を地に擦り付けるように暴れた。

 地面に転がった警笛を踏み砕きながら俺は振り返り、念を押すようにして告げた。


「さて。次は殺す訳だが──死にたがりはいるか? そこまで職務に忠実というなら、敬意を評し、苦痛を感じる暇なく殺してやるぞ?」


「誰か、この瓦礫を⋯⋯どけてくれ⋯⋯痛い⋯⋯死ぬ⋯⋯」


「俺の、手、手がぁ⋯⋯」


「痛い、痛い、誰かぁ⋯⋯」


 同僚の苦しむ声が聞こえる中、三人の衛兵は、石像のように固まっていた。


 ふっふっふ、じいやに学んだ事が生きた。

 戦場では、単純に相手を殺すよりも、戦闘不能になるほど痛めつけた方が良い場合があるのだ。


 一人殺せば、単純に相手の戦力は一人減る。

 だが一人の負傷者は、救護するための人員や、恐怖を覚えさせたりと、敵勢力の総合力を奪う効果があるのだ。


 俺は無事な内の一人、俺達の事を魔族かどうか審査した男を指差した。


「おい、お前」


「は、はいっ⋯⋯」


「悪いな、ウェルナンド商会ってのは嘘だ」


「はっ⋯⋯えっ?」


「俺は魔族だ。名はウォーケン」


「う、ウォーケン⋯⋯」


「やはり、コソコソするのは性に合わん。俺達がここから去った後は好きにしろ。だが、お前たちの視界に俺が収まっている間に、動いた奴は死ぬ。理解できたか?」


 そのまま、他の衛兵たちも見回すと、俺と目があった奴らは何度も頷いた。


「俺は人捜しの為にここに来ただけだ。目的を果たしさえすれば、この街を出て行ってやる。だからそっとしておくのがオススメだが⋯⋯それも貴様等に任せよう。お前たちの上役にも伝えておけ。いいな?」


「はっ、はい」


 後の事を考えるなら、本来、皆殺しが良いのだろうが──この辺にしておいてやろう。


 あまり暴れて、俺のせいで魔族と人間の間で戦争にでもなったりしたら、魔王様に怒られそうだし。

 今回の件はあくまでも、一魔族が、門で騒ぎを起こした。

 ──という事にすれば、人間と魔族の軋轢もそこまで生まれまいし、おおごとにはならんだろう。


 魔族排斥派だとかいうパティシエにこの事が知られても


「俺は悪い魔族じゃないよ! だって誰も殺してないモン!」


 と、言い訳できるようにしておきたいし。



 しかし、なぁ。

 せっかく、この場を丸く収めるための提案だったんだけどな。

 だが、弱者が強者に逆らったのだから、これは当然の結果だ。


 俺は「出来る男」でありたい、と常々思っている。


 出来る男なら、最後まで交渉の成立を目指すべきなのかも知れない。

 怒り狂う男を如才なく宥め、落ち着かせ、交渉を続ける事もできたのかもしれない。


 しかし俺は『出来る男』の前に、『魔将軍』なのだ。

 魔将軍に求められるのは、小利口な知恵者たる事ではない。

 圧倒的な強さを行使し、周囲に武威を示す。

 魔王軍の将として、仮に見られていなくても、兵たちの範となるべく振る舞う必要がある。

 それが俺を魔将軍へと任命した魔王様に、ワガママ三昧の俺が辛うじて示せる忠誠心だ。


 見せるべきは上手く立ち回り、結果、過度に弱者におもねる姿ではない。

「この人なら、戦場で俺の命を預けられる」と思って貰えるような、威風堂々とした姿だ。

 どんな時も、強者としての振る舞いを忘れてはならないのだ。




 背後から、ロクサーヌが感嘆するように「はふぅ」と息を吐き出した。

 俺の気持ちが伝わったのだろう。


 彼女は呟いた。


「こうなると思った⋯⋯」


 溜め息だったのかも知れない。

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