第18話 ウォーケンは殺せない
将来、自分の伴侶となる。
つまりそれは、ウォーケンが最終的に自分を含めた魔族、そして人間、いや、あらゆる生命の頂点に立つ事は、ヴェルサリアにとって「確定事項」だった訳だが。
当然ながら、今はまだ足りないもの、課題は山積している。
強さが足りない。
知性が足りない。
教養が足りない。
品格が足りない。
つまり、教育が足りない。
言葉を覚えたことで意志疎通が可能になったため、じいやにウォーケンの教育を任せる事になった。
「いやぁ、あの方はすごいですなぁ。まるで乾いた砂が水を吸い込むように、物事を理解していきます。たった一カ月で本も読めるようになりました」
「そのくらい出来て当然じゃ。妾の将来の婿どのじゃからのう」
じいやには、ヴェルサリアの本心を教えてある。
⋯⋯というより、ウォーケンの行動範囲が広がるにつれ、自室の鏡が増えたので、ヴェルサリアの私室を清掃しているじいやに不信に思われて問い詰められ、白状したのだが。
今では、ウォーケンが魔王城のどこにいても観察する事ができた。
教育とともに、城での戦闘訓練にも参加するようになった⋯⋯が、あまり意味が無さそうだった。
相変わらず、魔法を受けると気絶する。
そして、魔法抜きだとウォーケンに勝てる者は皆無。
なにせ、魔法以外の攻撃が当たらない。
そして、仮に攻撃が当たっても無駄だろう。
そう思わせる事があった。
「へー。これが飛竜部隊ですか」
「どうじゃ? なかなか壮観じゃろう?」
「でも、あんまり元気ないですね」
「⋯⋯普段は、もうちょっと元気だがの」
ウォーケンを連れ、飛竜部隊用のドラゴン達を飼育している竜舎に行った時の事。
ウォーケンが竜舎へと足を踏み入れた瞬間、ドラゴン達が異様に緊張したのがわかった。
ヴェルサリアとて、ここまでドラゴン達にプレッシャーを与える事はできない。
ドラゴン達は気がついている。
ドラゴンは魔法が使えない。
つまり、ウォーケンに対する対抗手段を持たない。
この男がその気になれば、ここにいるドラゴン全てを殺す事は容易だろう。
つまり、天敵。
今、目の前に現れた男は、ドラゴンたちの命を容易に搾取する事が可能な存在なのだ。
(ふふふ、さすがは我が婿どのじゃ⋯⋯)
凶暴なドラゴン達が、借りてきた猫のようにおとなしくなる姿に、我が事のようにヴェルサリアが満足していると⋯⋯。
「あ、あいつは元気そうだ」
気付けば、ウォーケンはずんずんと奥へと歩を進めていた。
「いかん、そっちは⋯⋯!」
竜王の末裔とされる王竜種。
その最後の一匹、王竜グラッツオ。
ここにいるすべてのドラゴン達より巨体だが、実はまだ成長期の子供だ。
王竜種は、成長期の過程である事に悩まされる。
牙が成長するにつれ、口が「疼(うず)く」のだ。
その不快感は、本来同じ王竜種の硬い鱗を噛むことによって鎮める。
だが、地上最高の硬度を持つ物質である王竜種の鱗に、代替品などない。
グラッツオは、常にその疼きを覚えている。
そのため、他の竜を噛んでしまうのだ。
幼竜とはいえ、グラッツオに噛まれて無事なドラゴン⋯⋯いや、生命体など存在しない。
王竜の牙は、地上最強の矛。
王竜の鱗は、地上最高の盾。
だからこそ両者は拮抗し、互いを受け止める。
その矛が、ウォーケンへと放たれた。
防ごうにも、王竜の動きはその巨体に反して速く、ヴェルサリアをもってしても固有行動(ユニークアクション)が間に合わない!
(妾はなんという油断を⋯⋯! ⋯⋯えっ? あれ?)
グラッツオは全力で噛みついたが、ウォーケンは平気そうにしている。
「おー、他のドラゴンと違ってコイツは元気だな!」
ガジガジと。
ウォーケンはグラッツオに噛まれるに任せている。
しばらくウォーケンを噛み続け⋯⋯やがてグラッツオは満足げに口を離した。
「いやードラゴンって懐くと可愛いもんですね。山だったらぶっ飛ばしてたけど」
グラッツオをウォーケンが撫でる姿。
それはまるで、神話のワンシーン。
神より全権を与えられた救世主が、竜王を従えているかのように──
ヴェルサリアはウォーケンに言った。
「妾は用事を思い出した、先に戻る」
「え? はい、わかりました。俺はもう少しコイツと遊んでます」
少し不思議そうに首を傾げるウォーケンに背を向け、ヴェルサリアは急いで立ち去る。
だって、あんなシーンを直接見続けたら⋯⋯。
(妾、ここで死ぬ! 確実な愛(う)い死(じ)にが今肩を叩いた!)
結局部屋に戻ったものの、やはり部屋でも観察し続け、ヴェルサリアは愛(う)い死(じ)にしかけた。
ある日の事。
魔王城で大爆発が起きた。
別に特段珍しい、という事もない。
犯人はわかっている。
魔将軍の一人、「爆炎のナターシャ」。
最大火力だけで言えば、ヴェルサリアと同等か、それ以上の魔法の使い手だ。
ただ、魔法の制御が不安定なため、集団戦で敵に最大火力をぶつける時以外、あまり出番を与えないようにしている。
敵味方区別なく吹っ飛ばされたら困るからだ。
爆発が起きたのは、大浴場のようだった。
「やれやれ。奴が爆発させたとなると、改修には妾も手を貸さんとの」
ヴェルサリアは生物、無生物に限らず魔法で『再生』を行える。
そのため浴場に向かうと⋯⋯。
入り口(があった辺り)に、赤い髪で、その豊満な肉体にバスタオルを巻いた姿の、半裸のナターシャがいた。
予想通りの犯人だ。
ナターシャはヴェルサリアを見ると、バツの悪そうな表情を浮かべた。
「あ、姐さ⋯⋯魔王様、ごめん、やりすぎちゃった」
「全く。お主は魔王城での魔法行使は禁止しとるじゃろ」
「仕方なかったんだよー! で、ゴメン! ウォーケンを殺しちゃった! 風呂を覗いたから⋯⋯!」
「⋯⋯何じゃと?」
ウォーケンが⋯⋯この女の風呂を覗いた?
妾以外の女にも、興味が?
ナターシャの胸が、妾より少し大きいから?
いや、今はそこではない。
嫉妬から次々浮かんでくる愚かな考えを払いのけ、ヴェルサリアはナターシャを問い質した。
「殺したとは⋯⋯どういうことじゃ!」
「だって、急に入ってくるから⋯⋯!」
気がつかずに、入った⋯⋯ということか?
いや、ウォーケンは人の気配に敏感だ、誰かが入浴中だと気がつく事は明白。
つまり、本当に覗きの可能性が高い?
いや、だから今はそんな事を考えている場合ではない。
「ええい、そこをどけ!」
「あっ、姐さん?」
普段の、冷静沈着な自分の姿しか知らないナターシャの戸惑いが伝わってくる。
しかし、そんなものに構ってはいられない。
ウォーケンは魔法が苦手だ。
そして、この風呂場の惨状から考えるに、ナターシャの馬鹿が使用したのは「極大爆裂破砕陣」。
それは伝説の、人間の賢者が竜王を誅殺するのに使用された魔法の奥義。
魔法に耐性のないウォーケンが、この魔法を受けたとしたら⋯⋯?
絶望的な予感を覚える中、ヴェルサリアが目にしたのは──
──いつも通り、気絶する⋯⋯気絶しただけのウォーケンだった。
気絶していたウォーケンの身体を調べた。
特に傷などが付いている様子もなかった。
今までなら、傷がなかった理由はわかる。
ヴェルサリアはウォーケンに傷がつくほどの魔法を使ってないからだ。
だが、今回は違う。
あのナターシャが、手加減無く繰り出した最大火力を身に受けたのだ。
それで、傷一つないとなると⋯⋯。
考えられるのは、一つ。
ウォーケンに魔法はほとんど効かない、ということだ。
物理的な攻撃は、王竜の牙を受けて平気にしている事からも、100パーセントカットするのだろう。
そして、魔法。
ほとんどカットするが、ほんの僅か、痛みを覚える程度には効く、ということではないのか?
あえて数値化して言えば「1ダメージ固定」のような。
だからウォーケンにとって、極小雷撃だろうが、極大爆裂破砕陣だろうが、同じ。
常人で言えば、針でつつかれた程度には効く、という事なのでは?
そして、気絶する理由。
おそらく数百年、痛みと無縁に過ごしたウォーケンの、脳が引き起こすショックによる「過剰反応」。
そう考えれば、「香辛料が一切ダメ」という事にも説明が付く。
辛味、それは即ち舌が感じる「痛み」。
だから、辛いものを食べると気絶する。
つまり、もし、ウォーケンが「痛み」に慣れたならば⋯⋯。
ウォーケンは、まさに無敵の存在となる!
(これは⋯⋯今まで以上に躾を頑張らなければ!)
とりあえず、ちょっとした事でも罰を与えねば!
痛みに慣れてもらうためだもんね、仕方ないね!
ヴェルサリアは心に誓った。
それはウォーケンを魔将軍へと抜擢したのち、彼の初陣での出来事だった。
「ウォーケン様が⋯⋯敵に捕らわれました!」
ヴェルサリアは内心の動揺を表に出す事なく、部下の報告に耳を傾けた。
敵は魔王ヴェルサリアの暗黒大陸支配体制を不満に思い、蜂起した『魔帝軍』。
大将で、魔帝を僭称するガルバラン率いる一陣に、ウォーケンが単身で乗り込み、魔法を食らい捕らえられてしまったという。
「なぜ、誰も奴を止めなかったのじゃ! そもそも、なぜウォーケンはそんな無茶を!?」
ヴェルサリアの疑問に、伝令は答えた。
「ウォーケン様は⋯⋯魔帝軍が、魔王様の事を次々と口汚く罵る声を聞くや否や、怒りに我を忘れたご様子で飛び出してしまいました⋯⋯」
「⋯⋯そうか」
嬉しい。
メチャクチャ嬉しい。
口元がピクピク震えるのを感じる。
しかし、今はそれどころではない。
ウォーケンが絶対的な防御力を誇るとはいえ、殺す手段がない、とまでは思わない。
もちろん、ヴェルサリア自身がそんな事を試す訳にもいかず、検証などする事はなかったが⋯⋯。
「魔将軍が殺されたとなれば士気に関わる! 救出には妾自ら出陣する! 案内いたせ!」
「はっ!」
(ガルバラン⋯⋯ウォーケンにもしもの事があれば⋯⋯妾がこの世の地獄を見せてやろうぞ⋯⋯)
仄暗い決意を胸にしながら、ヴェルサリアは出陣した。
不思議なことに。
ヴェルサリア率いる一軍は、ウォーケンが捕らわれているというガルバランの城に、何の抵抗もなくたどり着けた。
どうも様子がおかしい。
城内に入ると⋯⋯夥しい死体がヴェルサリアを出迎えた。
その中心で、ウォーケンが眠ったように横たわっている。
どうやら気絶しているようだ。
と、敵軍兵士の一人がウォーケンの前で顔面を蒼白にし、ガタガタと震えていた。
配下の兵に命じ、ウォーケンを確保したのち、ヴェルサリア自ら生存者の尋問を始めた。
「何があったか⋯⋯一部始終話せ」
兵士は相変わらず震えながら、ここで起きた出来事を告白し始めた。
味方の士気を上げるため、ガルバランは気絶したウォーケンを処刑しようとした。
しかし、剣で首を斬ろうとしても、追加で魔法を浴びせようと、ウォーケンは何事もなく、相変わらず気絶し続けるだけ。
業を煮やしたガルバランは、ウォーケンを井戸へと放り投げた。
水で窒息死させようとしたのだろう。
ウォーケンを井戸に投げ入れてしばらくして、井戸から水柱が上がった。
それとともに、ウォーケンが飛び出して来て、まずガルバランの頭を掴み、そのまま地面に押し付けた。
ウォーケンを一回り程度大きくした、ガルバランの巨体は縦に潰され、地面の染みになった。
その後もウォーケンは暴れ回り、周囲の兵士は次々と殺された。
再び気絶させようと、魔法を当てたもののも、ウォーケンは止まる事無く殺戮を続けたという。
「それで、俺の前まで来て、俺は、もうダメだ、そう思ったんだ、でも、ソイツは突然倒れた、倒れる前に俺は見たんだ、ソイツは目を瞑っていた、そう、ソイツは⋯⋯気絶したまま、暴れまわっていたんだ!」
「ふむ」
兵士の話を参考にすると⋯⋯。
気絶したウォーケンを、何らかの方法で殺害しようとすると⋯⋯。
生存本能なのか、闘争本能なのかわからないが、どうやら自分の周囲の、自分に対して害意を持つ人物を自動的に攻撃する、といったところだろうか。
この兵士は、迫り来るウォーケンを目の前にして、恐れから害意を失い助かった、ということだろう。
そして気絶中のウォーケンには、魔法は無意味。
つまり⋯⋯ウォーケンは殺せない。
殺そうとすれば、殺される、という事だ。
「ははは、思わぬ大収穫じゃ」
「そうですね、まさかこんなにあっさりと魔帝の軍を壊滅させられるなど」
部下の追従は間違えていたが、あえて訂正しなかった。
ウォーケンは殺せない。
大収穫だ。
「納得⋯⋯いきません!」
御前試合の直後、ヴェルサリアの元に魔将軍筆頭のグルゲニカが詰め寄って来た。
グルゲニカ対ウォーケンの試合は、ウォーケンの降参によって幕が下りた。
だが、グルゲニカが何を言いたいのかわかる。
あの試合は、ウォーケンの勝ちだった。
ウォーケンの速度に、グルゲニカはついて行けていなかった。
いや、グルゲニカだけではない。
他の魔将軍も、1対1ではウォーケンには敵わないだろう。
間合い外で事前に準備するならともかく、魔法の有効範囲内にいるウォーケンに、
辛うじてヴェルサリアのみが、その魔法の範囲と固有行動(ユニークアクション)の速度で対抗できるくらいだ。
今回の試合でウォーケンが降参したのは、ただ
「といっても、降参によって勝負が決するのはルールじゃからのう」
ヴェルサリアが言うと、グルゲニカは拳を震わせながら答えた。
「この私が⋯⋯勝ちを譲られるなど⋯⋯!」
「まあ、譲られたとしても勝ちは勝ち。もしそれで悔しいと思うのなら、修練しないのが格好良いなどと変なこだわりは捨てて、今後は励むことじゃな」
「くっ⋯⋯!」
この日より、グルゲニカは誰よりも訓練を積み始めた。
ウォーケンがもたらした、良い変化の一つだ。
その後も、躾と称してウォーケンに痛みへの耐性を持って貰うため、ヴェルサリアは彼に魔法を放ち続けた。
が、ウォーケンが痛みへの耐性を得る前に、予想もしない事が起きた。
ウォーケンの素行が、格段に良くなったのだ。
今ではケーキをわざと戸棚に置くなど、ヴェルサリアが知恵を絞らないと躾の機会がない。
その頻度は、月に一度あるかないか、というところまで落ち込んだ。
じゃあ、ウォーケンに真実を話し、魔法を浴びせ続け、耐性を獲得させるか?
いや、そんな事はできない。
なぜなら、ウォーケンの弱点克服に、自分が積極的になる。
それはつまり、ウォーケンがヴェルサリアを我が物にしたいと知っているにもかかわらず、それに協力する、ということだ。
となると、それは⋯⋯。
「妾はお主に抱かれたい、そう告白するも同然じゃ!」
じいやに
「正直に話して、弱点克服の協力を申し出ればよろしいのでは?」
と質問されたとき、ヴェルサリアはそのように答えた。
ヴェルサリアの答えに、じいやは少し首を傾げたあと、さらに質問してきた。
「それは、何か問題でも? だって、真実ではありませんか」
「いやじゃ! そんなの恥ずかしすぎる! 妾はあくまで、ウォーケンから迫られたいのじゃ! いい女は、自分から『抱いて』などと言わんのじゃ!」
そう。
「ニアのヒミツノート♡」にも書いていたではないか。
「しつこく迫られたから、仕方なく」
それがウォーケンを虜にする手段!
ヴェルサリアは信じて疑わなかった。
ヴェルサリアは確信していた。
ウォーケンこそ、魔族における「勇者」だと。
そのウォーケンを人間の住む大陸に派遣し、戦闘の中で痛みへの耐性を獲得させ、魔族にとっての勇者として覚醒して貰う。
それが、ヴェルサリアの思惑。
「勇者を探して来い」
それは魔王ヴェルサリアにとって、二重の意味を持つ。
そして。
「しばらく会えなくなるとわかってそのような決断⋯⋯ああ、なんと妾は健気なのじゃ⋯⋯」
そんな自分に、ちょっと酔っていた。
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