第17話 出逢い
「ヴェルちゃんはさー。もっとその
スパーっと。
人目のない室内で、タバコをふかしながら、友人のゲルルニアが忠告してきた。
一応、魔王と部下ということで、公式な場では節度をもって接してくれる。
しかし二人になると、彼女は本性を隠さなかった。
「別に困っておらんしのぅ」
実際、魔王城内の支配体制は強固だ。
魔将軍たちは皆幼なじみ、その中で突出した魔法の使い手である自分が上に立っている。
「兄貴とかさ、ちょっとヴェルちゃんが顎の下でもくすぐってやれば、もっと頑張ると思うよー?」
確かに彼女の兄、グルゲニカについては、多少思うところもある。
才能だけで魔将軍筆頭を張る男だが、なんせ習練を嫌う。
「努力せずに強いのが良いんじゃないか。汗にまみれるなんて格好悪いよ」
などとほざいているのだ。
「まあ、本人がやる気にならんとのぅ」
「だからそこを、ヴェルちゃんがうまく転がせば良いのよ」
「どのように?」
「仕方ないわねー」
ゲルルニアが一冊のノートを渡してきた。
表紙には、「ニアのヒミツノート♡」と可愛らしいフォントで書かれている。
ヴェルサリアが受け取り、ページを開くと⋯⋯。
「男はすぐにやりたがるクセに、すぐにやらせる女には執着しない。できそうで、できない、そんな女を目指せ」
とか。
「言い訳できる余地を残せ。『しつこく迫られたから仕方なく』など、あくまでもこちらから迫ってはいけない」
などが、表紙のフォントもビックリするほどの楷書で書かれている。
「いや⋯⋯なんじゃこれは⋯⋯」
「私が
「そうか⋯⋯まあ妾には不要じゃ」
くだらないと断じ、そのままノートを返す。
「そう? でもいつまでも子供の時みたいに『妾はウォーケンみたいな本物の男と結婚するじゃ!』なんて言ってられないよ? 魔族がいくら年とりにくいって言ったって、いつまでも若々しくって訳にもいかないんだから」
「ま、それでも焦ることもない。縁が無ければ、別に男などいらんなぁ」
「もったいないなぁ」
と。
コンコン。
と、ドアがノックされた。
その瞬間、ゲルルニアは足元にタバコを叩きつけ、
彼女の魔法の腕前は元々かなりのものだが、その動きは普段以上だった。
まずゲルルニアはタバコを炎上させて燃やし尽くし、ふたたび
魔王ヴェルサリアをもってしても、見事、と評すべき速さだった。
「はーい、今開けまーす」
さっきまでより1オクターブくらい高い声でゲルルニアがノックに返答し、ドアを開ける。
そこには、最近配属されたばかりの、ゲルルニアの部下がいた。
「ゲルルニア様、準備が整いました!」
「あー。カシムさん、やり直しぃ。ニアって呼んで下さいー」
部下の報告に、ゲルルニアがぷぅと頬を膨らませた。
「え、いや、しかし⋯⋯」
「意地悪するの?」
そのままゲルルニアは、カシムとかいう部下の胸のあたりを、ツンツンとつつく。
そして、身体を寄せながら、上目遣いで可愛く睨んでいた。
カシムという男は、顔を赤らめながら、なんとか言葉を発した。
「に、ニア様、準備が整いました」
「うーん、本当は『様』もいらないけど、魔王様の前だもんね、合格ー!」
そのまま、男の手をぎゅっと握り、余韻が残る程度の時間でパッと話した。
「それでは魔王様、私たちはこれで」
「し、失礼します」
ゲルルニアと、顔を赤らめたまま立ち去るカシムの姿を見ながら⋯⋯。
「まったく。普段からあの
ヴェルサリアは溜め息とともに彼女たちを見送った。
魔王であるヴェルサリアだが、普段はそれほど忙しくない。
城の事は部下に任せ、遠出することも多かった。
彼女の趣味は、「ウォーケンの伝説巡り」。
過去の大魔王ウォーケンの足跡を巡りながら、その姿に思いを馳せる。
ウォーケンは白髪、褐色の美丈夫で、何人もの女を虜にしたにもかかわらず、その誰も
そんなウォーケンの伝説巡りを行っている中、ある村で気になる伝承を聞いた。
ウォーケンが最後に向かったとされる山があるという。
ウォーケン伝説には、デマも多い。
実際これまでも、姿を消したウォーケンの最後の行き先についてはヴェルサリアも色々と聞き、その都度調べ、それは出鱈目だったと知った。
だから、その山に行ったのも、ちょっとした気紛れだった。
山には、ひとりの男がいた。
見聞きしたウォーケンと同じく、褐色、白髪の男。
男は──美しかった。
単に容姿が優れている、という事ではない。
容姿も優れていたが。
一糸纏わぬその身体から発する雰囲気が、何よりも美しい。
どのような彫刻家であれ、再現不可能と思わせるだろう、傷一つない、鍛え抜かれた体躯。
あらゆる生命を暴虐をもって支配する、そんな意志が伝わってくるような猛々しさ、それでいて、相反した知性を深く宿したような、濁りのない瞳。
その男を見た瞬間、理解した。
(こやつこそ⋯⋯妾の伴侶じゃ!)
生まれてこの方感じたことのない、自分の本能の、深い部分がうずくのを感じた。
この男に──支配されたい。
蹂躙されたい。
その思いが、とんでもない事を口走らせた。
「妾は魔王ヴェルサリア。でも、今日から貴方が魔王となり、我ら魔族、その全てを支配してください」
そのまま返答を待つ。
返事はなかった。
その代わりに⋯⋯言葉は不要、そう思わせるような事があった。
⋯⋯男の身体が『変化』したのだ。
今までも。
男が自分を見るとき、その瞳に情欲が宿っていることは珍しくなかった。
男どもが自分を『雌』として、組み敷きたい、そう思っていることに気付いていた。
その事に、なんの感情も湧かなかった。
だが、今は。
この男に、自分は欲せられている。
その事が、堪らなく嬉しい。
全てを委ね、このまま男に身を委ねたい⋯⋯という気持ちと。
どこかで、冷静な自分がいた。
(いや、出会って五秒はさすがにちょっと!?)
相反する気持ちに揺れ動く中、そんなヴェルサリアの葛藤を無視するように男は動いた。
──瞬間、脳裏に浮かんだのは。
『男はすぐにやりたがるクセに、すぐにやらせる女には執着しない。できそうで、できない、そんな女を目指せ』
『言い訳できる余地を残せ。『しつこく迫られたから仕方なく』など、あくまでもこちらから迫ってはいけない』
あの、くだらないと突き返した『ニアのヒミツノート♡』に書かれた文章だった。
「身体を委ねたい⋯⋯でも、すぐはダメ? 抵抗⋯⋯いや、抵抗するフリ? どっち? どっち? どっちぃいいい!?」
自分でも意味のわからない事を叫びながら、長年の習慣はヴェルサリアに無詠唱魔法を使わせた。
出力は最大限抑え、それこそ
「頑張って抵抗したけど、無理だったの、彼ったら強引で」
そんな言い訳ができるほど、微弱な魔法を使った。
男は──「パタン」と音を立てて倒れ、あっさりと気絶した。
「え?」
しばらくして。
「え?」
また、しばらくして。
「え?」
その日しばらく、ヴェルサリアの「え?」は止まらなかった。
──────────────────
その後、ヴェルサリアは気絶した男を魔王城へと連れ帰り、城の一室を与えた。
最初は暴れたが、何度か魔法を食らわせるとおとなしくなった。
どうやら言葉は理解できないようで、話しかけても返事はない。
与えた飯はうまそうに食う。
どうやら魔王城の食事が気に入ったようだったが、一つ問題があった。
香辛料を、体が一切受け付けないようだ。
一度南方の香辛料たっぷりの料理を口にしたところ、魔法を受けた時同様に気絶したのだ。
それ以来、香辛料が入ったものは口にしない。
どうやら匂いで嗅ぎ分けられるらしい。
なので、塩でシンプルに味付けしたものを与えた。
すると男は、にっこにこで食う。
(
男が食事をする姿は、いつまでも見ていられた。
いや、いつまでも見ていたかった。
うん、なら見ちゃおう。
ヴェルサリアの決断は早かった。
実はそれまで、どんなに研究しても作れない魔導具があった。
遠見の魔導具。
離れた場所を観察する為の魔導具だ。
百年近く研究して不可能と判断し、それ以来研究は頓挫していた。
男が来て、一週間。
望みの物は、あっさりと完成した。
ヴェルサリアは、物事を論理的に考える。
そして論理的に考えた結果、この魔法具が完成した理由に行き着いた。
『愛』
それしか考えられない。
「ふふふ⋯⋯これが『愛』の力か。恐ろしいものよのう⋯⋯」
まずは、映像を取り込む魔法具を男の部屋に設置。
自室の魔導具を起動すると、受信用の鏡に男の姿が投影されるようになった。
自室にいる間は、寝るときを除いて常に鏡を見ていた。
そして寝るのももったいないので、ついでに短時間睡眠用の魔法まで開発した。
──ストーカーの誕生である。
シンプルな味付けを好むと思い控えていたが、一度給仕が間違えてケーキを与えた。
男は、それまでの食事以上にケーキを貪るように平らげた。
次の食事で、また味付け肉を運ばせたが、食べようとしない。
ヴェルサリアにはピンとくるものがあり、急いでケーキを運ばせた。
ケーキを見るや否や、男は目の色を変えた。
奪い取るような動きを見せたため、ヴェルサリアは指を動かす。
その頃には、男はヴェルサリアのその動きが魔法を放つ前兆だと理解していたのか、ピタリと動きを止めた。
ヴェルサリアはそのまま指をケーキへと向け、言った。
「ケーキ」
男はその様子を観察してきながら、もぞもぞと口を動かし、はじめて言葉を発した。
「セーェキ?」
ヴェルサリアはすぐに訂正した。
「ケーキ」
男はまた口を動かした。
「セーへキ?」
「ケーキ」
「セーキ?」
「ケーキ」
「セェーシ?」
「セから離れるのじゃ」
「⋯⋯?」
「ケーキ」
「ケェーキ⋯⋯?」
「そう、それじゃ、ケーキ!」
「ケーキ!」
「おお! そうじゃ、ケーキ!」
「ケーキ!」
ちゃんと言えたご褒美に、ケーキを与えると、男は嬉しそうに平らげた。
男が最初に口にした言葉は「ケーキ」。
⋯⋯正確には、「セーェキ」。
それから男は、どんどん言葉を覚えた。
一カ月後。
「あ、魔王様おはようございます! いやーここのメシは上手いっすねぇ! あと風呂? 温かい水に浸かるのがこんなに気持ちいいなんて知らなかったですよー! なんか身体がほぐれるっつーか、そう言えば最初に入った時、垢がそりゃもう尋常じゃなかったっす! それで風呂上がりに冷たい水をキュッと飲む、これもまた快感ってかんじで最高です!」
めちゃくちゃしゃべるようになってた。
「⋯⋯お主、めちゃくちゃしゃべるのう。どこでそんなに言葉を覚えた」
「え? ああ、俺、耳を済ますと大体この城の会話全部聞こえるんすよ、地獄耳? ってやつだと思うんですよね! それで覚えました!」
「そうか」
「そういえば⋯⋯魔王様、よく『ういうい』言ってますけど、あれナンスカ? なんかの掛け声ですか?」
「⋯⋯腹筋するときに、ちょっとの」
「そうですか! へーっ!」
口に出さないように気をつけんとな、とヴェルサリアが考えていると、男は「あ、そうだ」と呟いてから言った。
「魔王様、俺に名前を付けてくれませんか? なんか強そうな名前が良いです!」
「⋯⋯名前?」
疑問系で答えたが、実はもう決めてある。
ヴェルサリアは決めてあった名前を男に告げた。
「よし、お主は今日から『ウォーケン』と名乗るが良い。過去におった伝説の魔王じゃ」
「めっちゃ強そうじゃないですか!」
「ああ、めっちゃ強かったらしいの。気に入ったか?」
「やったー! 魔王様ありがとう! めちゃくちゃ気に入りました!」
男は飛び跳ねながら、満面の笑みで喜んでいた。
「ふふ、良かったの」
男改めウォーケンが無邪気に喜ぶ姿を見ながら、ヴェルサリアは努めて冷静な振る舞いを見せながらも⋯⋯。
(
内心は感情が爆発し、ヴェルサリアは
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