第13話 赤竜神の翼
左手を右肩に。
右手を、落下してくる物を受け止めるように前に出す。
その後奴は口を動かし、傷の回復を行った。
詠唱前に行った動き、それが奴の回復魔法の
俺は吹き飛んでいった奴の動きを、遠目からでもしっかり観察していた。
対魔法使い戦において、この固有行動の看破は必須だ。
魔法を行使する上で省けない行動。
それが固有行動。
魔法というのは厄介な事に、「範囲内必中」だ。
魔法が発動された時点で、効果を及ぼす範囲内にいれば、防ぐ方法はない。
対処法は二つ。
発動前に範囲外に逃げる。
発動前に、叩き伏せる。
この二つだ。
その二つを可能にするためには、まずは魔法の範囲を知ること。
そして相手がどれだけ詠唱を短縮、または無詠唱で魔法を行使できるのか。
固有行動に要する時間はどの程度か。
その三つの見極めだ。
俺が魔王様より「自分の方が弱い」と結論付けているのも、その三つ。
魔王様の魔法範囲は、他の魔将軍と比較しても別格。
しかも無詠唱魔法の達人なうえ、固有行動も最速で最小限。
魔法を食らえば即気絶、という弱点を持つ俺にとって、まさに天敵だ。
逆に言えば、魔法使いにとって魔法の範囲や詠唱の有無、固有行動を見切られるのは死活問題、ということだ。
他の魔将軍たちも、固有行動は何かを悟らせないように、巧妙に隠蔽している。
固有行動に無意味な動きを混ぜ、フェイントをし、幻惑してくる。
固有行動を見切られるってのは、「今からこの魔法発動するよー」と相手に知らせるようなものだからだ。
だからこそ固有行動を見切り、魔法を空振りさせ、安全圏から一気に間合いを詰め、一撃を叩き込む。
それが俺の魔法使いへの対処法だ。
相手を如何に倒すかを考える時間は──楽しい。
それは、山には無かった娯楽。
駆け引き。
山では駆け引きもクソもなかった。
殴って、殺す。
それだけ。
それは戦闘ではない。
俺は山を降りて、初めて「戦闘」の喜びを知った。
自らの特性を把握し、相手を出し抜く。
最高の娯楽だ。
そんなことを俺が考えていると、後ろから声をかけられた。
「だ、旦那⋯⋯大丈夫?」
ロクサーヌが心配そうに俺を見ている。
心配ない、と言いたいところだが、こればっかりはわからないからなぁ。
「さあな。負けるかもしれん⋯⋯殺す気なら、さっき殺せてたがな」
手加減はミスしたが、それでも壁にぶつけて気絶くらいはさせるつもりだった。
あの一瞬でとっさに防御魔法を発動し、傷をあっさり癒やす、しかもそれなりの身体能力を持つ相手となれば、必勝とはいえない。
「おい⋯⋯もし良ければ、俺が少女を連れて逃げよう。だから、この鎖を何とかしてくれないか?」
鎖を巻いた変態が何か言ってきた。
「いや、お前はあいつの仲間だろ?」
「いや⋯⋯どういう勘違いをすればそうなる⋯⋯あの男、オラシオンは敵だ」
え?
あいつがオラシオン?
ふむ。
じゃあこの鎖男は、勇者の居所を聞くのには関係ないな。
「じゃあそうしてもらおうか」
俺は鎖男の背後に近付くと、巻かれている鎖を背中の部分で連結している、部品らしきものを手刀で断ち切った。
山には物を切る道具が無かった。
なので、素早く手を動かして振り抜き、物を切断する技術が身に付いたのだ。
鎖がほどけ、男は解放された。
振り向いた男は、真っ二つになった部品を、驚いた様子でみている。
「お前⋯⋯これを素手で⋯⋯? いや、そうか、切断系⋯⋯しかし無詠唱でここまでの断面⋯⋯」
男がぶつくさ言っている。
「ほら、怪我人は邪魔だ。さっさとロクサーヌを連れて⋯⋯」
──と。
オラシオンが倉庫へと戻ってきた。
服はボロボロで⋯⋯何だ?
左手に、先ほどまで無かった腕輪がはまっている。
そのまま奴は倉庫内に転がっている剣を拾い上げると、そのままこちらへやってきた。
「逃げるのは間に合わなそうだ、何かあったら彼女を庇え」
「しょ、承知した。あと、俺の名はマウン。何か指示があれば名を呼ぶが良い」
「ああ」
適当に返事をしながら、オラシオンを観察する。
──妙だな。
さっきまでベラベラ喋っていたのに、無言だ。
しかも、何か⋯⋯違和感がある。
本来あるべきものが、ない、と感じる。
そのままオラシオンは、まっすぐこちらへと歩み寄ってきた。
もう少しで、また俺の間合い。
まあ、好都合だ。
殺さないと決めている以上、拘束するのがベスト。
先ほどからの観察により、やつの
両腕をへし折れば、魔法をくらう事もないだろう。
──と、その時。
「ふぅううううううっ!」
奴が勢いよく、息を吐いた。
そこで、感じていた違和感の正体に気がついた。
奴は、息をしていなかった。
呼吸を止めていた。
呼吸音が聞こえていないという事実を、俺の耳は拾っていたのだ。
まさか。
呼吸を止めたのち、息を吐く。
それが奴の
──────────────────
強敵を前に、オラシオンは賭けに出た。
対魔王戦を見据え、勇者認定戦でも秘匿したオラシオンの奥義。
「我が背に授かりしは猛々しき赤竜神の翼」の魔法。
その性質から、無詠唱でしか発動できない。
効果は、息を止めた時間に応じて、オラシオンの能力が底上げされるというもの。
それは呼吸停止二十秒につき、一秒与えられる
力、速さ、思考速度、動体視力、そして何よりも、時間感覚が研ぎ澄まされる。
それは例えるなら──時間の支配。
あらゆる物が、ゆっくりと見える。
ハエが羽を動かすことすら、扇を優雅に仰ぐ貴婦人の所作の如く、その動きを
全てがスローモーションになるため、攻防を有利に展開し、他を一方的に
今は吹き飛ばされた場からここに戻るまでの、二分間息を止めた。
今回、竜神の翼を授かるのは──六秒。
限界は、三分間息を止める、つまり九秒だが、今はこれ以上止めない。
反動が凄まじいからだ。
限界を超えた動きは、魔法の効果が切れた瞬間にオラシオンの体を引き裂くように苛む。
九秒使えば、一両日は立ち上がれないほどの損耗をしてしまう。
今ここには、魔王だけでなく、マウンもいる。
余力がなければ、昼のように簡単には
この魔法を選んだ理由は、何も戦闘能力の底上げだけではない。
(自己に作用する魔法なら、仮に魔王とはいえ盗めまい!)
そして、左手には保険。
魔法返しの腕輪。
遺跡より発掘され、あらゆる攻撃魔法を無効化する効果を持つ。
状態異常系の魔法を無効化できないという難点はあるが、竜神の翼を授かっている間は、あらゆる状態異常系魔法を無効化する。
つまり──今のオラシオンは無敵。
自身でそう確信している。
万能感とともに、踏み込む。
自身が遅くなったと錯覚するが、それは時間感覚のせいだと理解している。
普段は感じない空気の抵抗でさえ、水中を泳ぐ時のように身体にまとわりつくのを感じる。
それほどの速さで接敵した。
通常時なら、それは瞬きと同じ程度の時間。
一気に敵へと肉薄し、右手の剣を振りかぶった。
ここまで、一秒。
──瞬間。
魔王が、目を閉じた。
敵を前にして、この態度。
(舐めるなよ、魔王!)
オラシオンは意に介さず、魔王の首もとへと剣を走らせる。
そして剣が初期位置から、相手の首への軌道を半ば以上進んだ時。
魔王は再び、目を開いた。
次に魔王は動いた。
無造作ともとれるほど、力みを感じさせることなく右手を突き出してきた。
二秒。
魔王から繰り出された、拳。
圧縮された時間の中でさえ、それは凄まじい速度だった。
この拳、赤竜の翼を授かってなかったら、見逃しちゃうね。
そう確信できる速さ。
魔王の攻撃は後出しだった。
にもかかわらず、オラシオンの剣より確実に先に届く。
つまり。
(盗まれた!)
そうとしか考えられない。
──つまり。
『我が背に授かりしは猛々しき赤竜神の翼』
の魔法は、盗まれたのだ。
そのための
(目を閉じ、開く⋯⋯それだけで魔法を盗むだとッ!?)
他に魔王は動きを見せなかった。
それしか考えられない。
しかも今のオラシオンは、状態異常は完全に無効化している。
つまり、魔王が魔法を盗むのは、攻撃魔法でも、状態異常魔法でもない。
第三の魔法とでも呼ぶべき、絶技。
ただ、オラシオンの魔法、その効果自体は持続している。
今なお、通常では有り得ない時間感覚を保っている。
つまり、身体強化系の魔法は盗まれたとて、解呪はされない。
──だが。
恐らく身体能力も魔王が上なのだろう。
相手の攻撃が先に届く、それが証明している。
オラシオンは咄嗟に、意識を防御に回す。
突き出されてきた拳を、あいた左手で払うために動かした。
拳がオラシオンへと届く、ギリギリで防御は間に合うと判断した。
事実、間に合った。
防御行動自体は。
魔王の右手首あたりに、オラシオンの左手が触れた、刹那。
(痛っ、熱っ!)
止まらない。
触れた腕から伝わる摩擦に、左手の皮膚が悲鳴を上げる。
通常、真っ直ぐの攻撃は、横から払われるのに弱い。
それは昼間、マウン相手にも証明した。
オラシオンの技量なら、どんな剛力を乗せた攻撃も、横から邪魔をするだけで簡単に軌道を変えられる。
いや、変えることができた。
今までは。
魔王が繰り出したのは、防御不可の一撃。
オラシオンの横槍など、弾き返す怒濤の一撃。
それは大災害を前に、人は為すすべなくひれ伏すしかないかのように。
三秒。
もうこのまま、相手の拳を顔面に受けるだろう。
防御に使った左手を、一瞬で焦がすほどの一撃なのだ。
間違いなく、死ぬ。
──しかし。
魔王は、オラシオンの眼前で拳を止めた。
いや、正確には、額。
額のあたりだ。
魔王の拳が、徐々に開かれた。
指が
いや。
そのまま、曲げられた指があった。
中指と、親指。
親指で、中指を押さえるような形を確認した瞬間、オラシオンは気がついた。
(⋯⋯ああ、これは)
フェリス。
オラシオンの幼なじみであり、妹のようであり、恋人のようであった女性。
魔族であり、奴隷として家に仕えていた。
どんな反対を受けても、必ず一緒になるとオラシオンが誓った対象。
オラシオンが寝坊をしたときには、少し怒ったように。
オラシオンが冗談を言えば、笑いながら。
オラシオンが愛を囁けば、照れながら。
「もう、オラシオン様ったら」
彼女はオラシオンの額を、指で弾いた。
懐かしい、愛らしい、彼女の癖。
(全部、お見通し、か⋯⋯)
四秒。
五秒。
そして、六秒。
静かに時が過ぎる中、魔王が中指を伸ばした。
──額に伝わる衝撃に、オラシオンは気絶した。
⋯⋯ゆっくりと、ゆっくりと。
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