第12話 勇者とは

 相手の攻撃によって激しく宙を舞いながら、オラシオンは素早く思考を走らせる。


 判断材料は主に三つだ。

 現在の速度、倉庫の広さ、壁のおおよその強度。

 

(最低でも五⋯⋯いや六音節!)


 オラシオンが行使できる無詠唱魔法は一種のみ。

 この場面では使えない。

 防御魔法に関しては、無詠唱こそ使えないが、詠唱省略による簡易発動はできる。


 魔法の詠唱は圧縮が可能だ。

 しかし圧縮率に比例して、発現する現象は劣化する。

 現象の劣化割合は術者の力量に比例するが、高位の魔法使いであっても、無詠唱ならおよそ七割は劣化すると言われている。

 これから使用する魔法『鉄を身に纏いし堅牢の加護』の呪文は、本来全文を詠唱すれば三十六音節だが、流石にその猶予はない。

 かといって、圧縮し過ぎれば壁への激突に耐えられないだろう。


 六音節なら、オラシオンは四割ほど魔法の強度を維持できる。


 三音節まで省略は可能だが、その場合、強度はオラシオンの力量ではおよそ一割と極端に低下する。

 時間的猶予はない、とはいえそこまで下げるのは流石に不安があった。


鉄身オラバルシア!」


 省略した呪文を唱え終え、最後にこの魔法の発動に必要な固有行動ユニークアクションである、胸の前で両手のひらを、交差させるようにしてくっつけて握り──ほぼ同時に壁に激突する。


 本来ならば壁に叩きつけられたと同時に、潰れた肉塊となりそのまま死んでいただろう。

 だが、『鉄を身に纏いし堅牢の加護』を圧縮した魔法『鉄身』により、肉体の強度は上昇している。

 崩壊したのはオラシオンではなく、分厚い壁の方だった。


 まるで大砲から射出された砲弾の如く、オラシオンは飛来しながら次々と倉庫の壁を破壊していく。


 壁を破壊すると同時に、不充分な防御魔法により、オラシオン自身の身体も少しずつ壊れていく。

 気を抜けば、手を離してしまいそうな衝撃が全身を襲った。

 だが、手を離すのは、命を手放すのと同義。

 手を離した途端、魔法が解けるからだ。

 歯を食いしばりながら、必死に手を合わせ続ける。


 幾つもの壁に激突することで次第に勢いは衰え、今度は地面を滑るように転がる。

 受け身を取る余裕すらなかった。


 結局、数カ所の骨折、数え切れない裂傷を負ったのちに、身体は止まった。


「痛い、なぁ、しかしとんでもない奴だ⋯⋯」

 

 合わせていた手から力が抜け、自然と離れる。

 脳が相当揺らされたのだろう、吐き気を覚え、思わず離れたばかりの手で口を押さえた。

 それでも咳き込み、手に不快な感触を覚え確認すると、咳と共に吐き出したのは生暖かい血液だった。

 

 結局のところ、判断は正しかった。

 あれ以上詠唱を短縮すれば身体が保たなかっただろうし、あれ以上に短縮せず肉体の強度を上げようとすれば、魔法は間に合わなかっただろう。


 命を繋ぐギリギリの均衡、それを制した実感があった。


 幸いなことに、肉体の欠損もない。

 欠損や切断などがあれば、高位の治癒術者に頼らざるを得ないが、骨折や裂傷であればオラシオン自身にも治癒が可能だ。


 相手とは距離がある。

 『平穏を誘う天使の息吹』の呪文を短縮することなく使用し、身体の損傷を癒した。

 身体が癒されると共に、先ほどまで感じていた吐き気なども収まり、思考がクリアになる。

 

「さて、どうするか⋯⋯」


 ボロボロとなり、服としての用途はとうに果たせない上着で口元の血を拭い、捨てる。


 次に、腰元に付けているポーチに触れる。

 無事だ。

 中には希少な道具なども入っている、これが吹き飛んでいれば、先に捜索を優先しなければならなかったところだ。


 吹き飛ばされた際に剣は手放してしまったが、あそこに戻ればいくらでも手に入る。

 武器の心配はいらないだろう。


 これほどの相手とは思っていなかった。

 羊飼いの陳情によれば、『まるで魔王のようだった』とのことだったが⋯⋯。


「これは本当に、その可能性がある。いや、高いな⋯⋯」


 魔王である可能性──それを認めたのは、相手の攻撃手段だ。

 相手の攻撃については見当がついている。


 恐らく──無詠唱魔法。


 一連の流れを、戦いの素人が見たなら『オラシオンを手で押して吹き飛ばした』などという、馬鹿げた感想を語るかも知れない。


 だがそもそも、それほどの力で人を押したなら、手を突き出す力自体が凄まじい打撃となる、吹き飛ぶまでもなくオラシオンは死ぬだろう。


 だからこそ、今のは魔法だとハッキリわかる。


 鉄扉を吹き飛ばしたのも、今自分に使用してきたのも、同じ魔法だろう。


(珍しい現象だ、全く未知の魔法だが⋯⋯恐らく重力を操作し、対象に指向性を与えて吹き飛ばす、といったたぐいの魔法だな)

 

 重力操作は、使用者が歴史上でも五人に満たないと言われる高難易度魔法。

 まさかオラシオンも、自分の人生でその使い手に出会うとは思ってもいなかった。


 しかも無詠唱でこの威力、凄まじい力量の魔法使いだ。


 今の出来事を深く掘り下げるなら⋯⋯。


 恐らく相手は、少し離れた距離で魔法を使用しようとした。

 しかし、オラシオンの踏み込みが予想以上の速度だったため、胸に手を添える形となったのだろう。


「そこから考えれば、今の魔法の固有行動ユニークアクションは、一歩踏み込むように前傾姿勢を取り、手を突き出す⋯⋯といったところか」


 しかも、相手が魔王であると仮定するなら⋯⋯魔法をもって対抗手段とはならない。


 御伽噺に出てくる魔王の特徴。


『魔王は相手の魔法を盗む』。


 実際、人類史最強の賢者と謡われた男も、当時の魔王に、自らの魔法を返されて破れたという。


 その話自体、オラシオン自身は今の今まで信じてはいなかった。


 魔法を盗むなど、離れ業どころか正に神業、不可能だろう、と。

 しかし、今体験した出来事がオラシオンの認識を変えた。

 これほどの魔法の使い手ならば、そのような事も可能なのではないか、と。


「弱い魔法の一つでも使用して、試してみるか?」


 呟いてすぐ、己の考えを否定する。

 とても、様子見する余裕がある相手には見えない。


 だからといって、相手の正体、戦闘力を把握するまでここは引く──といった選択肢はない。


 むしろ、もし相手が『魔王』なら。


 オラシオンは自然と笑みを浮かべた。


 これは又とないチャンスなのだ。

 勇者とは、魔王を倒す者。

 ならば、仮に目の前の男が魔王で、それを自分が倒したなら?


 その時は、誰もが認めるだろう。

 オラシオンこそが勇者だ、と。

 

 

 確かに強敵だ。

 

 しかしどれほど優れた無詠唱魔法の使い手であっても、魔法を使用する上で固有行動は省略できない。

 それさえ見切れば、対策は可能。

 何やら勇者にご執心のようだが⋯⋯オラシオンも伊達に『天才』と呼ばれている訳ではない。


「フェリス⋯⋯見ててくれよ、私が真の『勇者』になる所を⋯⋯」


 オラシオンは敵の元へと戻りながら、頭の中で対策を積み上げていた。

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