第10話 暴風と共に
ロクサーヌはこの街の案内人だ。
当然、地理は頭に入っている。
既に辺りは暗く、その上、普段は足を踏み入れない地域だといっても、特に目隠しなどされた訳ではない。
連れてこられた場所はすぐにわかった。
船から荷揚げした物資を保管する、倉庫街の一角だ。
標準的な大人の身長、その二倍程度の高さをした鉄扉(てっぴ)に閉ざされた倉庫に到着した。
同行していた案内人のアルが、重量感のある入り口を横にスライドさせ、開けようとする。
しかし、扉が動き始めるのにはしばらく時間がかかった。
「オラシオン、様、この、扉、重い、ですね」
「本来は数人で開閉するものだからね」
ふうふうと息を荒げながら、かなりの時間をかけて、アルは扉を右にスライドさせた。
全員が中へと入ったのち、同じか、もう少し時間をかけて、アルは必死の形相で扉を閉める。
扉は再び閉まり、「がちゃん」と重々しい音が倉庫内に鳴り響いた。
中は暗く、ほとんど何も見えない。
オラシオンが何か呪文を唱えると、アルが手にした松明に火がついた。
案内人は、その松明を燭台へと差し込み固定した。
改めて明るくなった倉庫内に視線を這わすと、剣や槍といった武器が目立つ。
(お婆ちゃん、大丈夫かな⋯⋯)
ロクサーヌを『絶対に譲らない』と言い張り、庇ってくれた。
自分の命が危ない状況でも、家族だと言ってくれた。
今まで、どこかで主人と奴隷という線引きがロクサーヌにはあったが、それは間違いだった。
(謝りたい、お婆ちゃんに⋯⋯)
その為には、ここから帰らなければならない。
恐怖に怯む気持ちを抑え、言った。
「市場の警備責任者ともあろう方が、『奴隷法』をないがしろに?」
奴隷の扱いを定めた、奴隷法。
そこには、「所有者の承諾なしに、奴隷の所有権が変更されることはない」と明記されている。
あくまで奴隷の所有者、その権利を守る為の物だが、この場ではロクサーヌ自身を守る最後の砦だ。
「おいおい、奴隷如きが誰に法を語ってやがる!」
そこに、同行していた案内人のアルが横槍を入れてきた。
ロクサーヌは気付いている。
現在の状況を引き起こしたのは、この男だ。
恐らく、オラシオンの歓心を買おうと、ロクサーヌを差し出したのだ。
「いや、この娘が言っていることには一理あるよ」
意外にも、彼女の主張を認めたのはオラシオンだった。
しかしどうあれ、こちらの言い分が認められたのなら、ここは更に言葉を続けるべきだ、ロクサーヌがそう思った時──。
「だからアル、あの婆さん殺しちゃおう」
オラシオンは振り向き、ちょっとした買い物でも頼むかのようにアルに命じた。
ロクサーヌは慌てて聞く。
「ど、どういうことさ!」
「いやあ、君の所有権を主張されたら面倒だからね。死んで貰えばそんな心配ないだろう? さあ、アル。早く」
オラシオンが促すと、アルは引きつった笑顔で言った。
「いやー、オラシオン様、それは流石に⋯⋯」
アルは最後まで言えなかった。
オラシオンが剣を抜き、アルへと突きつけたのだ。
松明の火によって、白刃がギラリと光を放った。
「お、オラシオン様? いったい⋯⋯」
「今回の事は君の提案だろ? 手を汚すくらいしてもらわないと」
「⋯⋯それは、その、でも」
「さあ早く。それとも、僕に斬られた方が良いかい? 案内人の一人や二人斬っても、僕の立場ならなんとでもなるよ」
「やっ、止めてよ! 婆ちゃんに、婆ちゃんだけは手を出さないでっ!」
ロクサーヌが制止すると、オラシオンはこちらを向き⋯⋯
目をギラギラとさせながら、口元に気味の悪い笑みを浮かべた。
「いやあ、良いねぇ、最高だ。君のような娘が、必死に懇願する⋯⋯」
ロクサーヌは震えた。
目の前の男が理解できない。
アルも、呆気に取られたような表情をしている。
「さあ、簡単にダメにならないでくれよ!? ああ、興奮が、興奮が収まらないよ!」
オラシオンも、ロクサーヌとは違う種類の震えを身体に感じているのだろう、我が身を抱くようにしながら息を荒くしていたが⋯⋯。
やがて、にじり寄るようにゆっくり、しかし確実にロクサーヌへと近付き、手を伸ばしてきた。
「そんなに怖がらないでよ、いい思いさせてあげるから、さ」
「い、い、いやあああああああ!」
あまりの恐怖にロクサーヌが叫び声を上げた、その時。
「やめろ、外道」
倉庫の暗がりから、男の声がした。
オラシオンの手が止まり、その場にいた全員の視線がそちらを向いた。
「おや、お目覚めかい? マウン」
オラシオンが暗がりへと声をかけた。
ロクサーヌは半魔だ、魔族ほどではないが、多少夜目が効く。
目を凝らすとそこには、鎖を体中に巻きつけられた、顔色の悪い男がいた。
マウンの名は聞いたことがある。
確か、最近奴隷となったという、とても強いと評判の魔族だ。
「その少女の声が俺を起こした。その子を解放しろ」
「いやいや、君はそこで見てなよ。この子は君の娘と同じようにしてあげるよ」
「ふざけた事を⋯⋯」
ガチャガチャと、鎖の音がする。
どうにかして外そうとしてるのだろう。
しかし、鎖はしっかりと男を拘束していた。
オラシオンは男の元へと歩み寄り、見下ろしながら言った。
「ははは、流石に馬鹿力の君でもそれは無理だ。それはドラゴンを拘束するのに使う鎖なんだよ? せいぜい目の前で起こる事を、無力を噛み締めながら見続けるがいいさ! ついでに、君の娘の時はどんな感じだったか話ながらにしようかな? はははははは!」
「おのれ、この外道が!」
「貧弱なボキャブラリーだね! ははははは!」
「⋯⋯この、勇者のなりそこないが!」
──マウンが言った瞬間。
それまで上げていたオラシオンの哄笑がピタリと止まった。
歩み寄り、無表情で、冷たくマウンを見下ろしていたオラシオンだったが、やがて振り絞るように言った。
「取り消せ」
「俺は、一度口にした自分の発言を取り消すほど、器用では⋯⋯ぐっ!」
まだ話している途中で、オラシオンがマウンを蹴りつけた。
そのまま、何度も何度も、踏みつけながら狂乱したように叫ぶ。
「取り消せ! 取り消せ! 取り消せ! 取り消せ! 取り消せ!」
ガッ! ガッ! ガッ! ガッ! と。
蹴りつける音と、オラシオンの声が、同じタイミングで繰り返される。
「私が、勇者だ! 奴らは、間違って、いるんだ! 私! ほど! 勇者に! 相応しい! 者は! いないん、だ!」
取り消せといいながら、マウンの言葉など聞く気はないように見える。
オラシオンは何かに取り憑かれたかのように、マウンを蹴り続けていた。
あんなに連続で顔を蹴られている中、口を開ける者などいない。
オラシオンの叫び声と、蹴りつける鈍い音が倉庫内に響き続けた。
ロクサーヌにとって、それはとても長い時間に感じた。
何分か、何十分なのか。
しばらくは呻き声を上げていたマウンも、今は沈黙していた。
声を出す気力さえ奪われたのだろう。
辛うじて意識は保っているようだが、目は虚ろだ。
一息、だが長く、ふーっとオラシオンは息を吐くと、くるりと後ろを向いた。
「おや、アル。まだいたのかい? 何をぐずぐずしてるんだよ、さっさと婆さん殺しに行きなよ」
「は、はいっ!」
今、目の前で起きた出来事に気圧されたのか、先ほどのような躊躇いを滲ませることなくアルが返事をした。
同時に、入り口へと駆け出す。
もう、アルは迷わず婆ちゃんを殺すだろう。
「や、やめて!」
走るアルの背に向かって叫ぶ。
だが、止まらない。
そのまま、アルが急いだ様子で倉庫の外へと繋がる扉へと向かい⋯⋯。
ガンッ!
と、凄まじい音を立てて、アルが鉄扉(てっぴ)に激突した⋯⋯ように見えた。
違うとすぐにわかった。
アルが扉に激突したのではない。
扉が、アルに激突したのだ。
横にスライドさせて開くはずの扉が、何故かアルの方へ真っ直ぐと押し開かれ、そのままアルごと倉庫の奥へと吹き飛んでいく。
鉄扉の飛ぶ勢いが凄まじい風を巻き起こした。
突如倉庫内に発生した暴風により、とっさに抑えようとしたが間に合わず、ロクサーヌが被っていた帽子も宙に舞い上がった。
女であること、そして魔族の血が入っていること、それはできるだけ隠した方が良いだろうと、お婆ちゃんに貰った帽子。
中にしまっていた髪が露出し、まるで嵐の中にいるように煽られているのを感じる。
次に
「バァアアアアン!」
と、巨大な鉄製の打楽器を、激しく打ち鳴らすような音がした。
帽子を抑えようと上げていた両手で、そのまま耳を塞ぐ。
耳を塞いでなお、振動を肌で感じることができるほどの、音の衝撃が断続的に襲いかかってきた。
倉庫内を音が反響し続けている。
鉄扉が奥の壁へとぶち当たり、衝撃によって凄まじい音を発生させ、それに伴い倉庫全体を揺らしたのだ。
扉はそのまま、石造りの壁にめり込んでいる。
そちらに視線を移すと、まるで扉の影から上半身だけ出して、こちらを覗いているような姿で、アルが口からしとどに血を流している。
事切れていることはすぐにわかった。
突然の状況に腰が抜け、ロクサーヌはペタンと地面に座りこんだ。
「何だよこの扉、押してもなかなか開かねぇから押し過ぎちまったぜ」
入り口から、聞き覚えのある声がした。
といっても、決して慣れ親しんだというような相手ではない。
だが──。
男は周りを見回すことなく、まっすぐとロクサーヌへと歩み寄ってきた。
宙を舞っていた帽子が、意志を持ったようにひらひらと男の元へと下りてきた。
男はそれを地面に落とす事無く、手で掴み取る。
そのまま目の前で歩みを止め、ロクサーヌの頭に帽子を──被せることなく、座り込んでいる太ももの上に落とした。
ロクサーヌが帽子を取り上げ、胸に抱きかかえると、その代わりといった感じで、ポンと頭に手を乗せてそのまま話しかけてきた。
「この帽子はいらないんじゃないか? 可愛い顔してるじゃないか、その方がいい」
いや、脱げたんです。
そう思ったが、口から発したのは別の言葉だった。
「だ、旦那⋯⋯どうしてここに?」
聞いたあと、我ながらバカな質問だと思った。
そんなの──答えは決まってる。
なぜそうするのか、いや、してくれるのか理由はわからない。
しかし、彼は恐らくこう答えるのだろう。
『助けに来⋯⋯』
「昼間、小僧扱いしたことを詫びに来たんだよ。こんな可愛いお嬢さんをな」
「⋯⋯え?」
全然違った。
まるで、異性がこちらに惚れていると勘違いして、聞いてみたら全く違ったような、そんな気恥ずかしさを覚えた。
でも昼間、奴隷を差別する店員に怒った時も、彼は少しはぐらかす様に答えていた。
きっと、顔に似合わず照れ屋なのだろう。
思わず吹き出しかけ──ロクサーヌは、はたと気が付いた。
──さっきまでどうしようもなく止まらなかった震えが、今は収まっていることに。
そして。
頭から伝わる、彼の温かさから──
(私、帰れるんだ。お婆ちゃんの所に)
不思議と、そう思えた。
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