第8話 オラシオン

「ちっ、恥をかかせやがって⋯⋯」


 ロックから客を奪おうとした男は、取り残されたあと一人憤慨していた。

 男は勤めている案内人グループのボスから指令を受けていた。


「あの婆の店を潰せ」


 と。


 案内人グループは、さらに集客を増やすため、婆さんの店の立地に目を付けた。

 市場を入ってすぐ、という好立地。

 そのため、今までも店に入ろうとする客に声をかけて妨害していた。

 客を奪い、店の資金をショートさせて潰すためだ。

 とはいえ、今日はその企みも失敗に終わった。


「だいたい、そんなのまどろっこしいんだよ、さっさと潰す方法ねえかなあ⋯⋯」


 そんな事を考えていた時⋯⋯。


「やあ、アルじゃないか!」


 爽やかな声に名前を呼ばれ振り向くと、そこには常連客の姿があった。

 女性のようなサラサラの金髪を肩まで伸ばし、腰に剣を差した、貴公子然とした美青年。


 最近派遣された、この市場の警備主任だ。


「これはこれはオラシオン様!」


「いやー君に紹介された奴隷、良かったよ」


「それはそれは、何よりです」


「うん、でももうダメになっちゃったんだ。また紹介してよ」


 (マジかよ、まだ二日しか経ってねぇってのに⋯⋯)


 内心とは裏腹に、アルは追従の笑みを浮かべた。


 目の前の男はお得意様で、サイコ野郎だ。

 若い女奴隷を買っては『壊れた』と称してまた次を買いに来る。


 アルは奴隷市場の人間、それも案内人だ。

 基本的に奴隷の行く末など頓着しない。

 最初の頃こそ、自分が斡旋した奴隷の運命に同情していたが、今はいちいち奴隷に同情しても仕方ないと思っている。


 だがそれでも、オラシオンに買われる奴隷には多少同情してしまう。

 

「いやー、オラシオン様のお眼鏡に叶う奴隷となると、そうそうは⋯⋯」


「えー? どうにかしてよ。じゃないと自分を抑える自信がないよー」


 そう言って笑みを浮かべるオラシオン。

 アルは知っている。

 オラシオンに楯突いたせいで、行方不明になった同僚の事を。

 どうにかしてよ、とは言っているが、これは半ば命令なのだ。


「とは申しましても⋯⋯」


 さすがに奴隷の供給過多という状況とはいえ、次々とオラシオンの好みに適した奴隷が現れるわけではない。

 

 オラシオンの好みは魔族や半魔の女で、異様なまでに執着する。

 だが女奴隷は需要が高く、常に供給不足だ。

 何とか言い訳してこの場をやり過ごそうとしていた時、その騒ぎは起こった。


「離せ! 離さんとお前らから殺す!」


「おい、お前何を急に!」


 声をした方を見ると、何やら奴隷が暴れている。

 大柄で全身傷だらけの、凶暴そうな男の奴隷だ。

 長身のオラシオンよりも、ふた周りは大きい。


 パキン!


 しばらくして、甲高い金属音が鳴り響いた。

 なんとその奴隷は、自分に繋がれた鎖を引きちぎり、制止していた男へと拳を振るった。

 一撃で男の顔が陥没する。

 即死だろう。

 男はそのまま、オラシオンの方へと歩み寄ってきた。


「見つけたぞ⋯⋯大人しく縛に繋がれていれば、このような機会もあると思っていたぞ」


 男の凄まじい形相に、オラシオンは特に表情も変えずに聞いた。


「どこかで会ったっけ?」


「俺はお前が騙し討ちした『バライア村』の者だ」


「⋯⋯ああ! バライア村ね! 確か戦士長だったっけ?」


「ああ。貴様に騙され、妻と子を失った! お前だけは絶対に許さん!」


(バライアの戦士長って⋯⋯あのマウンか!?)


 奴隷の多くは、魔族や魔族と人間のハーフだ。

 そういう事情から、奴隷商売に携わる者は魔族の事情に明るい。

 アルもその一人だ。

 そのため、目の前のやり取りについても多少理解できた。


 バライア村は、永らく王国内で自治を獲得していた。

 その原動力となったのが、圧倒的な戦闘力。

 村の男は皆屈強な戦士で、それを束ねていたのが目の前にいる魔族戦士のマウンだ。


 王国内で公式に自治を与えるという餌に釣られ、その会談に出席中、村はオラシオン率いる手勢に滅ぼされたと聞いている。


 報告を聞いたマウンは、失意の中で奴隷に身を窶(やつ)し、この街に送られたとは聞いていたが⋯⋯。


(鎖を引きちぎるたぁ、噂通り人間離れしてやがる⋯⋯)


 アルの経験上、鍛えていない魔族と人間にはそれほど身体能力に差はない。


 ただ魔族は若い時期が長い上、その時間を学習や鍛錬に当てることができるため、一芸に秀でた者が多い。

 それが優秀な奴隷としての資質だというのは皮肉な話だが。


(とんでもない事に巻き込まれちまった⋯⋯)


 アルはこの事態を引き起こした疫病神を見る。

 当のオラシオンは、落ち着いた様子でマウンに語りかけた。

 

「いや、丁度良かったよ」


「⋯⋯何がだ?」


「奥さんと娘さんから、君宛の伝言があるんだ」


「⋯⋯伝言?」


 マウンが聞き返すと、オラシオンは笑顔で頷きながら言った。


「ああ、傑作だよ? 捕まえた時に、『私たちは絶対に屈しない、私の夫が、私のお父さんが、絶対アナタを殺す!』そう二人は泣き叫んでたよ! なのにすぐにダメになっちゃったけどね! ハハハハハハハ!」


「きっ、貴様ー!」


(何挑発してんだ!)


 アルの懸念通り、マウンは自制を失ったようにオラシオンへと飛びかかった。

 凄まじい速度だ。

 一瞬で間合いを詰め、そのまま、先ほど人の顔を陥没させたほどの腕力で、オラシオンへと殴りかかる。


「待ちなよ、まだ続きが⋯⋯」


「黙れ!」


 オラシオンが制止するも、マウンは止まらない。

 ぶうん、と、風が唸る音が聞こえるほどの一撃だった。


 しかし。


 オラシオンが迫ってくる拳の、手首あたりを掌で押した。

 勢いは流され、拳はオラシオンに当たらず横に逸れた。

 マウンは続けざまに何度も左右から拳を振るうが、オラシオンは身を翻して躱すこともなく、その場に立ったまま、全てを同じように手で去(い)なし、相手の拳が通る軌道を変え続ける。


 その顔には笑みを浮かべ、余裕すら感じさせた。


「舐めるなッ!」


 愚弄されたと感じたのか、マウンは更にラッシュを放ち続けるが⋯⋯やがて肩で息をし始めた。


「はあ、はあ、はあ、はあ⋯⋯」


「あれ? もう終わり? そんなんじゃ奥さんと子供に合わせる顔がないよ?」


「ふざ、けるな、はあ、はあ、終わりのはずが⋯⋯ない!」

 

 疲れ果て、腕を振るうのもやっとの筈のマウンから放たれる、見ているこちらにまで伝わってくるような、執念の一撃。


 ──しかし。


 オラシオンはその拳も軽く受け流したのち、初めて攻勢に転じた。

 一歩踏み込み、拳を流されたせいでたたらを踏んだマウンの懐に入り、拳を繰り出す。


 パンッ! パンッ! パンッ!


 三度の打撃音。


 アルの素人目から見ても、それほど速い攻撃ではなかった。

 しかし、オラシオンの拳はマウンの顎、こめかみ、人中(鼻の下)といった急所を的確に捉えた。


 マウンの膝が崩れ、オラシオンの前に倒れた。

 膝と顔を地面についたその姿は、まるでオラシオンに許しを乞うているように見える。


 倒れ伏すマウンを見下ろしながら、オラシオンは愉快そうに言った。


「君は勘違いをしている。戦いに必要なのは力ではない、技術だ。芸術の域にまで昇華させた技術を前にすれば、どんな剛力も無力。理解したかい?」

 

 得意気に語るオラシオンだったが、ふと表情を変えた。

 首を傾け、視線を自分の足元へと移したのと同時に、マウンが地面に臥したまま言った。


「捕まえた⋯⋯ぞ」


 見ると、オラシオンの足首をマウンが掴んでいる。

 

「へぇ、まだそんな元気があるんだ。でも残念」


 オラシオンは躊躇いを感じさせることもなく腰の剣を抜き払い、マウンの親指を切り落とした。


「ぐあああああっ!」


 そのまま、掴まれていた足を手から抜き、剣を仕舞いながら言った。


「知ってるかい? 手から先全部を奪わなくても、親指さえどうにかすれば拘束を解くのは簡単。これも技術さ」


 丁度その時、騒ぎを聞きつけた衛兵達が姿を見せた。

 衛兵達は先ほど顔面を殴られて死んだ奴隷商、マウン、オラシオンを見比べながら質問した。


「オラシオン様、これは⋯⋯」


「ああ、大したことじゃない。その奴隷を拘束してくれ」


「は、はい」


「気をつけないと、あっちの男みたいになるからね。拘束具は最高の物を用意したほうがいいよ。あとは⋯⋯」


 オラシオンは自分が切り落としたマウンの親指を拾い上げ、衛兵に渡した。


「治癒術士のエリザさんが『海竜亭』に逗留している。これを繋げてあげておいて。請求は私に回してくれ」


「し、しかし」


「ん?」


「お言葉ですが、奴隷が他者を殺害した場合、死罪と決まってます。死刑にするのに、わざわざ指を繋げる必要は⋯⋯」


 衛兵の言葉に、オラシオンは人差し指を立て、空を指し示した。


「『上』からの意向だよ。彼はまだ殺せないんだ。いいから言う通りにして?」


「⋯⋯了解しました」


 上の意向という言葉が気になったが、アルは知っている。

 好奇心を出し過ぎることは、時に己の為にならないことを。


 その後、オラシオンは同じように衛兵に二、三指示をしたあと、アルの元へと戻って来た。


「で、心あたりの奴隷はいないのかい?」


 まるで先ほどの騒ぎなどなかったかのように、オラシオンが聞いてくる。


 それまでの人生で見てきた喧嘩などとは違う、本物の──戦闘。


 問題のある人物ではあるが、目の前の男は圧倒的な強者、それを再確認させられた。


 初めてオラシオンが戦う姿を見たせいか、アルは今まで以上に相手に恐怖心を覚えていた。



 ここで、『心当たりなどない』と言えば、我が身に不幸が降りかかるような気がしてならない。


 ──その時。


 アルの心に悪魔が囁いた。


 ボスから下されている指示をこなし、そしてオラシオンの歓心を買う、一挙両得の考えを。


 深く考える事無く、目の前の男に提案する。

 


「はい、心当たりといえば⋯⋯既に他に買われている奴隷ではあるのですが、非常にオラシオン様好みの者がいます」


「へぇ。でも良いのかい? もう所有者がいる奴隷なんて紹介して」


「なぁに、武名轟くオラシオン様が、直々に譲るように要請すれば、きっと相手も首を縦に振るでしょうぜ」


「そうかな?」


「そうですとも!」


「ま、取りあえず詳細を教えてよ、好みがどうか調べたいし」


「気に入ること間違いなしですぜ、へっへっへ⋯⋯」

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