紗耶香の罪②


 いつしか紗耶香にとって、善というものは異質なものに変容していった。いや、初めから何も変わっていなかったかもしれない。彼女にとっては両親の機嫌を取ることが「善」であったのだから。

 その両親が壊れてしまったのではもうその必要性もない。

 両親が褒めてくれた記憶だけが忘れらない愛の記憶として残った沙耶香は、人に褒められる行為こそ善であり、使命であると確信した。

 それから紗耶香は、人間の間を取り持ち機嫌を伺うことばかりに執心するようになった。どうすれば、相手が傷つかないか、またどうすれば自身が最大限に善を発揮できるか、それを誰かにどうほめたたえてもらえるか。

 紗耶香は、自分の顔やスタイルにも執着した。どうすれば美人としてほめたたえられるか、どうすれば自分に注目してもらえるか、そんなことを日々黙々と考え、またそれを実行した。それは功をなし、紗耶香にとって居心地の良い環境を作り出し、両親に褒められずとも他人によって褒められる優越を知った。 

 そんな紗耶香が学校推薦で受かった大学の同学部で遭遇したのが、自身と同じ善を持った男であった。

 雄二というその男は紗耶香にとって非常に魅力的な男であった。雄二は紗耶香にとって善の見本のような人であったからである。

 クラスで馴染めていない人を見つければ、一緒にご飯を食べ、次の日には視力が悪い受講者がいれば、隣でこっそりノートを見せてあげ、また次の日、体調が悪い人がいれば、懸命に看護をしていた。紗耶香が注目すればするほど雄二は、知らないところで人を助けてあげていたのである。

 無論、雄二を悪く言う人は多少のやっかみか嫉妬ぐらいなものであろう。人のうわさに敏感な紗耶香でさえこの程度しか聞かないのだから雄二の人柄は最大の評価に値するものである。

 雄二は、紗耶香が何度も自分に課した努力を雄二もきっと苦しみながらも取り組んでいるんだろうと想像した。

 そう思うとより一層雄二のことが輝いて見えて興奮した。雄二の親切さを見るたびに沙耶香は自分と重ねては逐一チェックをつけた。

ここも、私と同じ、これも私と同じ。

 人に褒められる事を率先して行う雄二には、同じ様に率先して行える自身が必要であるとまで思い込む様になった。

 しかし、沙耶香にとって神様のような存在である雄二には中々近づくことができなかった。自分と似てるとはいえど神聖視する存在である。沙耶香はその辺の男と付き合いと別れを繰り返す事で自分の価値を確かめ、雄二がどんな女を求めても演じられる様努力した。

 沙耶香は程なくして外から眺めているだけであった雄二と話す準備が完了した。というのもバレンタインデーのチョコレートをどうするかと言う話になった際、そこで雄二と接触し、雄二にあげようと意気込んでいたからである。

 だが、雄二はチョコレートをもらうことはあまり好きではないと淡々と話した。

 沙耶香は少し苦い顔で話す彼の表情から中学、高校の間で、バレンタインデーで困った事があったんだろうと察した。その確認が欲しく、なんで?と雄二に聞き返すと少し空を仰ぎ悩んだ後、こう答えた。


「チョコレートは僕にとって裏切りの味だから」


 沙耶香はこの答えにいたく興奮と高揚を覚えた。

 なぜなら、とどのつまり自分と同じであったからである。裏切りの証は私も知っている。あの甘くとろける味。そう、貰うだけでは物足りないあの甘美な味と蕩けるような舌触り。他の人には絶対渡したくない罪の味。チョコは沙耶香にとって特別な意味を含んでいた。雄二はやはり私と同じ部類の人間である。

 ここまで雄二と同化できるならきっと沙耶香を知れば好きになると違いない。そう思うのも仕方がなかった。

沙耶香は、その解答に対しこう答えた。


「実は私もなの」


えっと聞き返す雄二についでこう返した。


「人からもらうチョコは嫌い」

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